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漱石VS谷崎! 古書本めぐる予期せぬバトル

 お目当ての古書をネット経由で手に入れた。
 届いた梱包をほどいている今、ワクワクは最高潮。

 夏目漱石の『四篇』である。可愛い表紙絵、背のタイトルは格調高い金箔押し。ずっしりとしたハードカバーの重量感も心地いい。古書といえど美品の風格。汚れも見当たらず大満足だ。
 『四篇』には「文鳥」「夢十夜」「永日小品」「満韓ところどころ」が収録されている。


▲表紙と鮮やかな朱色の標題紙
▲背のタイトル『四篇』は金の箔押し。立体感あり


 納品領収書と一緒に書店員さんのメッセージペーパーが封入されていた。
 たいていは『四篇』や漱石の補足情報だ。古書の世界観へ誘ってくれる書店員さんのメッセージ、私はけっこう好きなのである。

 ん? んんん??? ちょっと待て。

 このメッセージ、『四篇』や漱石の記述がどこにもない。書かれているのは谷崎潤一郎『春琴抄』復刻本への熱い熱い文章ではないか……。


♣︎漱石買って谷崎推しされるモヤモヤ


 よく見ると、メッセージペーパーは「古書だより」なるものだった。古書なんて現行商品じゃないんだからあるものはあり、ないものはない欲しいものはたいてい、ない。現にこの古書店にも熱く綴られている『春琴抄』は、ない

 それにしてもこの書店員さん、『春琴抄』復刻本装丁への偏愛っぷりが凄まじい。私、書店員さんの文章に釘付け状態である。↓

  • 黒漆の表紙に金蒔絵のタイトル……。ドエロイ!

  • 手にとった時、布でもなく紙でもなくウルシのぬるっとした黒を感じ、闇の中にかがやく春琴の文字が目にまぶしい。最高。

 などの私的絶賛表現を散りばめて、滔々とうとうと長々と語っているではないか。

 極めつけは『春琴抄』の黒表紙を形容するのに、これまた谷崎の『陰影礼賛』を引用して“黒い漆器の肌”と言っているところ。


書店員さんが愛でている復刻本『春琴抄』
(夫所蔵。妻への貸出し閲覧不可)


 漱石の『四篇』を買ったはずなのに、心はすっかり谷崎に傾いた。気を取り直すまでに30分。危ない危ない。

 『春琴抄』復刻本のことは一旦忘れ、私は『四篇』の古書魅力に浸ろうか。『四篇』こそ、昂揚気分で入手した戦利品なのだから……。


♣︎入手前─。マウス片手に虎視眈々


 古書入手というのは、場合によっては戦争である。
 どうにもこうにもエレガントではないけれど、入手前の白熱の様子をお伝えしたい。

 足を使っての古書店巡りは思いがけない本に出会える冒険なのだが、お目当て本がすぐに見つかるとは限らない。どれだけ巡り歩いても見つからないことだってある。

 そこで利用するのがネット古書店だ。探し歩く楽しみや情緒はないにせよ、じつにお手軽。現物を見ずに買うのは少々勇気がいるけれど、確実に、スピーディーに入手できる。

 数多いネット古書店の中、良店は出物がアップされるとすぐ売れる。
 このときばかり、愛すべき本好きさんたちは、皆、だ。

 だから注意深く、お気に入りの店を監視している。監視対象なのである。

 古書店サイトで、わ、出たよ出た出たとお目当て本を見つけて興奮するも、意地悪く嗤う「SOLD OUT」の憎き文字。
 おのれ、敵は早かった……。

 だからである。だからこそ古書探しにおいて、愛すべき本好きさんたちは敵なのだ。戦闘相手にほかならない。
 譲り合いの精神はない。意地汚いほどみじんもない。

 そんなこんなでようやく買えたのが夏目漱石『四篇』初版復刻本だった。
 初版復刻本は、当時の贅沢な装丁デザインと造本の仕様を味わうのが命。しかも復刻本なので値段が安い。


▲表紙を見せて飾っておきたいくらい
▲文鳥と花の図案がとてもカワイイ標題紙


 勝利品ともいえる『四篇』の手応えある重厚感、紙の厚みや柔らかさ。書かれた時代を旅するような贅沢な造本仕様
 心がときめく。まるで待ち望んでいた恋人に巡り会えたかのように。

 谷崎の『春琴抄』をイチオシされて心がぐらついたが、いま浮気するのは人間としてどうだろう。
 ここは『四篇』への純愛を貫くまでだ。


♣︎入手後の今─。初版の味わいに感情爆発


 さっそく『四篇』収録のうち「文鳥」を読む。繰り返し読んで内容は知り尽くしているのだけれど。

 やっぱり紙の厚みや旧字旧仮名の時代感が、「文鳥」の世界観を一層鮮やかに浮き彫りにした。それらすべてが作品を彩る演出効果をもたらしているようだ。

 漱石とおぼしき主人公が、「千代々々ちよちよ」と鳴く愛らしい文鳥を「淡雪の精のような」などと愛で、過去の美しき女性を重ね合わせる憧れと慈しみの表現ひとつひとつが息吹をもって、温度をもって伝わってくる。

▲復刻本『四篇』より「文鳥」本文


 それだけに、世話を怠り、文鳥を死なせてしまった主人公が腹立たしい。しかも家人のせいにして当たり散らすなど言語道断。
 文庫本で読んだときは主人公の深い後悔と悲しみを感じ、やるせない気持ちに襲われたのに。
 なのに今はどうか。業腹である。

 今、私が思うことはひとつだけだ。
 文鳥が欲しい。文鳥が飼いたい。
 大事に育て、「千代々々ちよちよ」とさえずってもらいたいのである。


『文鳥』『春琴抄』『陰影礼賛』は復刻本で読まずとも十二分に素晴らしく酔いしれる作品です。どれも小品、短篇ですので青空文庫で気まぐれに読まれてはいかがでしょうか。新字新仮名で読みやすいです。


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