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子どもの未来を考えた療育手帳の判定

先日、「行政としての児相の葛藤(手帳編)」
https://note.mu/takamiki/n/nc29401471506
で触れましたが、児童相談所は知的障害児の療育手帳の判定をしています。

なんのための手帳か

手帳の目的はもちろん必要な支援を受けることなのですが、多数を占める軽度〜中等度知的障害の子どもにとっては、支援学校に行くため、あるいは障害者就労するためのパスポートだったりします。
なので、手帳の交付が降りるかどうかは人生を左右する大きなイベントになります。

手帳の更新

自治体によりますが、数年に一度くらいの頻度で手帳の更新があります。その度に知能検査をして、数値とともに暮らしの様子などを聞き取り度合いを決めるのですが、成長に伴って検査結果が(良くも悪くも)変わることはよくあります。
なので、最悪のパターンとして「18歳までは療育手帳があったのに、障害者就労する段階になって手帳が非該当になって就労できなくなった」みたいなことが起こり得ます(今のところ聞いたことはないですが、理論上は)。

なので、判定する側としては限られた材料で「この子がこの先どうなりそうか」を予測しながら、その見通しを保護者と共有していくことになります。

その子の『先』を考える

日頃から、その子の人生の10年、20年先を考えながら診療をしているので、先の見通しを考えるのは苦ではありません(むしろ楽しい)。
ですが、手帳の判定は本当に悩みます。
なぜかと言うと、「数年後に更新判定をするのが自分ではない可能性が高いから」です。

僕もまだ児相歴が浅いので他のドクターがどう考えているかは分からないのですが、該当/非該当や度数の判定がどっちに転んでもおかしくないケースでは、どういう判定になるか本当に予測がつきません。
また、更新ケースでは(僕はですが)その子のこれまでの検査結果歴と判定歴を見ながら、保護者と「判定のカスタマージャーニー」を共有するようにしています。そうすることで保護者と一緒に先の判定の見通しも共有しやすくなりますし、先で起こりうる不測の事態に対して準備をしてもらうことができます。
他のドクターもそれをしているとすると、僕の今回の判定が、先々の判定に微妙な影響を与えることになるかもしれないと思っています。
そうなるともう、どこまで考えて判定をしていいものやら、うんうん唸って悩んでしまうケースもあります。

それが一番大事

手帳の判定自体は結果なので個人的に歪めることはできません。でも、自分が出した結果がその子の人生にどういった影響を与え得るかを考えながら判定することはできます。
難しい仕事ですが、そこが児相における手帳判定の本質だなと思っています。

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