美しい言葉は私を傷つける
恋人が優しく言った
「愛してる」
結婚式にお呼ばれした時、ブーケトスをキャッチした私に向かって新婦が言った
「幸せのお裾分けだよ!」
恋愛がぼちぼち順調であると友人に報告し、それを確かめるように言われた
「今、幸せ?(ニッコリ)」
※決して宗教勧誘ではない。
私は“愛"とか“幸せ"という言葉を他人から与えられる事に対して(近しい間柄だと余計に)違和感を感じてしまう。
不意にプレゼントのようにそれらの言葉をかけられると、何か得体の知れないものを押し付けられた気がしてならないのだ。
勿論、愛情を注いで育てている植物もあれば、美味しいものを食べた時は幸せだ。
でも、
それこそが愛!幸せ!なんだよ。
と、自分の感覚を他人に押し付けることに抵抗を感じてしまう。
おもちゃを買ってもらった子供が
「お願いを叶えてもらった自分は愛されている、幸せだ。」と感じる場合もあれば
「お父さん・お母さんと遊びたいのに、代わりにおもちゃを与えられる自分は愛されていない、不幸せだ。」と感じることもあるだろう。
“愛"や“幸せ"は実に曖昧なものである。
だから、誰かの価値観で私を束ねられるのは納得がいかない。
とは思うものの、同時に “愛" “幸せ"と表現できる人を素直に尊敬する。
いつか、私も自信を持って誰かに
やわらかくて美しい言葉を捧げられるようになりたい。
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