最近の記事

所在なくない日々

なんとなく所在なかった日々が終わり、ここのところは目を見張るほど元気だった。新しい仕事を増やしてみたり、住環境が若干変化したりして色々環境が変わったので、それに付随する体調不良はあったりしたけれど精神的にはとても健全と言えるだろう。 とにかく安定するように気を配っていた頃とは違い、環境が安定していけば気持ちは健全になっていくものなんだなと思った。飼育水槽の水質みたいなものだろう。ここは安全に泳いでいられると思えば、本来の自分に戻れる。 わたしのいいところとして、大体の人間

    • 2024/2/2 脳に合わせたお仕事事情

      かれこれ3年ライターとちょっとデザインをしていて、あたらしい仕事をすることにしました。なんとなく始めたけどなんかずっとやってるな。 今は時給のライター・デザイン仕事と、たまに歩合のちょっとしたライティングをしていたけれど、あたらしい仕事はがっつり文字単価です。時間固定仕事特有の、給与が発生しているのに早く終わっちゃって、呆然としている時間みたいなのが苦手なので、ぶっ倒れるくらい一気にやって、しばらくまるっと休むっていう仕事スタイルが向いているみたいです。締め切りがあってそこ

      • 2024/1/30 貧血日記

        わたしは貧血がひどい。 去年の秋口、人生が立て込んでいてひょんなことでご飯が入らなくなってしまったあたりからさらに悪化した。これはいけないと思い医薬品の鉄剤を服用したものの、思ったように吸収されず、貧血は悪くなった。 人はごはんを食べずにサプリだけ飲んでも栄養を吸収しない。 さらにコーヒーとお茶類のヘビードランカーであるので、貧血は悪化する一方。 (カフェインは鉄の吸収を阻害します。) ただ、当時液体くらいしか気分的に入らなかったので、ラテなどにしてどうにかカロリーアップし

        • 驟雨/この素晴らしき世界

          祖父を見舞うときは、待合室にある温度のない薄い青色の、角度90度のソファで待つのが常だった。岸壁に張り付くように建つ夕方の病院は、セピア色に染まっている。驟雨が去った後の、水を湛えた空気の重さが息苦しかった。 古い病院は理科準備室のにおいがする。ひやっこく張り詰めた、離人感のある怪しげで陰鬱な空気。 祖父は末期のがん患者で、若い頃は随分と酒乱だったらしい。人斬り鎌を持って暴れたというのが、飲み会での話の定番ネタだった。 彼の全盛期などいざ知らず、わたしが生まれてからずっ

        所在なくない日々

          軽薄である

          少し寝た。この時間に起きているのは珍しい。小学生のときみたい。自分の時間を自分で使える仕事をしているから、あまり寝なくても何とかなるのはありがたい。お酒を飲むと寝られなくなる。お腹は痛むしろくでもないけど、悪くはない。 背負い込んでいた問題がひとつ片付いた。わたしではどうしようもなく、叶ったとて今後もしんどくなると思っていたことだったので、目の前の霧が晴れたような清々しさがある。かなしみはあったけど、代え難いほどの開放感があったのも事実だ。 芽生えていた感情を握りつぶした

          軽薄である

          内外1/16

          午前中の図書館は静謐で、耳をつんざくような、暴力的な無音が支配している。特に二階の一番端、滅多にひとの来ない郷土史なんかが並んでいる場所。そこにずっと弾かれることのない馬頭琴が飾られていることを初めて知った。 あれはいつだったか、当時よく一緒に居たひとと博物館の体験コーナーで互いに馬頭琴を弾きたくて、とりあった思い出が頭の中にぽっかりと浮かんだ。記憶は確かに存在する。いつだってきっかけがないと出てこないだけで。 詩集の本棚に向かう。大きな図書館だが、詩集については置かれて

          わずらわしく、ままならない

          梅光園に緑道があります。そこの二番目のベンチにただ座っているだけで、あとは何もしていません。なにか気分が上がることがあって、道すがらスキップなんてしてみても、やっぱり黙ってそこに座っていると、何か思慮深い気持ちになってしまいます。冬の朝の空気は澄んでいます。頬が切れるほどに尖っていますね。夕日が真っ赤に焼けています。死にたくなるほどに。滑稽なので笑っています。あまりおもしろくもないのですが。すでに見た気がするものをいつも追いかけています。 緑道につわの花が黄色く、点々と連な

          わずらわしく、ままならない

          それは大層普通なワールド

          目を開けたら朝だった。考え事をしている時期は頭だけ宙に浮いているような心地があるので、身体はどこにいったか寝覚めにまず探す。ここが腕、ここが脚。そうやって部位を確かめつつ、起動を繰り返しているうちに全身が立ち上がる。 鉄筋コンクリート造のこの部屋は、いくら木造などに比べて気密性が高いといっても冬の朝は恐ろしいほど冷える。布団から出ていた鼻先が異様な冷たさを帯びているのを寝ながらも感じていた。いくら頭寒足熱って言っても、寝ている間に鼻のひとつやふたつ凍結して朽ちてしまうんじゃ

          それは大層普通なワールド

          どうせ忘れる日

          どうせ忘れる日がたくさんある。 記憶の集積のどこかに、ラザニアの具みたいにぐちゃぐちゃと挟まっている記憶があるんだろうけど、それはたぶん金輪際取り出されることはない。他の思い出と引っ付いて切り分けられない、何かの思念となってひと塊になっている。 忘れるってたぶんそういうことで、頭や感覚のどこかにはストックしてあって存在はあるけど、ピンポイントでアクセスできないってことだ。 たとえば今日何かを食べたとして、すごくおいしくてもいつかは忘れてしまう。重要だと思って覚えた中国語

          どうせ忘れる日

          荒神さま

          砂浜の近くに引っ越したときの話もしましょう。 その家は塩害を受けるほど海に近い家で、少し行くと砂浜です。新築特有の、何か鼻にまとわりつくような臭いはありましたが、綺麗で広く、快適な部屋でした。ただ九階とあって地面から遠く、不安定な気持ちがどこかありました。 引っ越してきたとき、わたしは荷解きもほどほどに、まず荒神さまを立てなくてはと思いました。 当時はたばこも吸っていましたし、ガスコンロの物件でした。なにぶんよく料理をするもので、やはり幼少の時分から馴染み深い荒神さまをお

          荒神さま

          Go back

          友達からなんとなくでもらった指輪がある。 その子はアクセサリーを集めるのが趣味だった。でも彼女には指が手に十本しかなく、身体はひとつしかない。たくさん持っていてもしょうがないということで指輪をくれたのだ。 もらった指輪はふたつ。とろける鼈甲飴のような色をしたものと、シルバーのダイヤモンドに似たカットガラスが嵌め込まれた、節榑立った幹のようなものだった。 本当に何気ない日に貰い受けたその指輪たちは、まるでわたしのためにこしらえたのかと思うくらい指に馴染んだ。特にシルバーの

          狐・開け放たれた窓・がらんどうの部屋

          わたしが埠頭の近くに住んでいた時の話です。その日は仕事もお休みで、朝から何もなく、どこか当てもなくふらついていました。金色に染め上げた髪の毛をふたつに結わえ、穏やかで碧色の五月の風がお気に入りの黒いワンピースの裾を掴んでは、すぐ離していきました。 埠頭の近くは海なのにシステマチックで、人工物がたくさんあります。 運搬の拠点として、人でもものでもなんでも運んでいるからなのでしょう。 濃紺というのが相応しいような深さのある海に、わたしのかわいい赤いレペットのバレエシューズがのま

          狐・開け放たれた窓・がらんどうの部屋

          思考の隙間に薔薇は咲いたか

          ここのところ寒さが本格化して、とんでもなく眠い。 冬になるといつもこうで、経口でカロリーがあまり摂れない時は特にこれが顕著になる。いつも食べている量では体温維持が追いつかず、ついには長い時間寝こけてしまう。 今日は何時間寝ていたのか。軽く外に出て、それからずっと昏倒しているような生活だからどうにか起きていたいけれど、食べている間にも寝てしまう始末なのでこれはもう、こういう仕様と思うしかない。 寝ている間に何回か、何もせずに天井をみている時間がある。わたしの部屋の天井は高い

          思考の隙間に薔薇は咲いたか

          ライスペーパー憧憬、タロイモの夢

          ※2018年の日記を移植しています 小さい時、わたしは無駄に繊細な子供で、ニュース番組を見ることができませんでした。現実で起きていることを大人がまじめにしゃべっているということがなんだか怖い感じがしたからです。 そんなわたしにとって教育テレビはいつみてもたのしい色彩で、つらくならない。素敵なものでした。 教育テレビは異文化への入り口となることが多いような気がします。 ヴィンテージCGや来訪神好きは確実にそこから来ているし、極端なものでライスペーパーへの憧れというのがあり

          ライスペーパー憧憬、タロイモの夢

          サラダチキンの幽霊

          ※2018年の日記を移植しています サラダチキンが苦手です。 サラダチキンが店頭に並んでいるさまをみるにつけ、小さいころ友達の家で飼っていたなんだかよくわからない魚が死んだときの、水面に浮いていた白さを思い出すからです。 白かったということは白身の淡白な魚だったのかもしれませんが(おいしそうだね)、わたしは食べないタイプの淡水魚の死体が苦手なのです。 「サラダチキンには魂がない気がする」「サラダチキンには元気がない」とかいって食べるのを断念していました。 なんだかサラダ

          サラダチキンの幽霊

          オカノウタダシの夢

          曇り空の千代という駅で降りる。 大阪の新世界のような街。 道端でビールを三本持ったモダンガールがいて、ビールを売ってくれるように頼むが、これはちがうんです!と言って走り去る。 古ビデオ屋でVHSを買うものの、見る機械がないと思っていたらオカノウタダシというヒゲをこさえた夏目漱石に似た人が家で見てもいいという。 お邪魔してVHSを再生するまえに部屋を見せてもらったが、昔の有名な写真作品に映っている豆の枝をずっと育てていると見せてくれた。 白いヴェールのかかった緑の豆が暗

          オカノウタダシの夢