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荒神さま

砂浜の近くに引っ越したときの話もしましょう。

その家は塩害を受けるほど海に近い家で、少し行くと砂浜です。新築特有の、何か鼻にまとわりつくような臭いはありましたが、綺麗で広く、快適な部屋でした。ただ九階とあって地面から遠く、不安定な気持ちがどこかありました。

引っ越してきたとき、わたしは荷解きもほどほどに、まず荒神さまを立てなくてはと思いました。
当時はたばこも吸っていましたし、ガスコンロの物件でした。なにぶんよく料理をするもので、やはり幼少の時分から馴染み深い荒神さまをお迎えしておきたいと思ったのです。

荒神さまというのは、火伏せの神様のことです。地域差はあるでしょうが、おおよそ台所に祀られます。京都の方ではまた趣が違って、愛宕神社に火伏せのお札をもらいに行くようです。

兎も角、家の近くで火伏せを頼めないかと、近くの感じのよいこじんまりした神社にお願いに行くことにしました。
ほんとうに小さい神社ですが、土着の趣があり、毎年神楽も奉納されている神社だったので、そこにしました。

御神木である大きな楠木があって、狛犬の前には梅が枝垂れていました。住所を告げて、火伏せをお願いしていると、近くの竹林からサラサラと葉の揺れる音がして、どっと風が吹き、髪の毛が一本一本擦れてしゃらしゃら音を立てます。

帰る道すがら、道沿いに生えている赤い野苺を摘んで口に入れました。野苺は中に蛇がいるといって、小さい頃から半分に割って食べるのが常でしたので、そのときもそれに倣いました。蛇と言っても、わたしの生まれた地域ではよくないものを大雑把に蛇と呼ぶところがあるため、虫食いのことです。

その地域のものを食べると、土地の記憶のようなものが身体の中に入るのかもしれません。その場所に馴染んだ気がするもので、やっとひとごこちついた気持ちになって、我が家になったばかりの場所に帰宅しました。

その夜のことでした。寝室で眠っていたわたしはなんだか眩しくて身を捩ったのです。薄目を開いてくるりと右横を向いたとき、明らかに何かと目が合いました。ですが、直感的に悪いものではないことはわかりました。

声が出なかったので、こんばんは、と口の動きだけで告げました。気配は答えませんでしたが、なんとなくご挨拶いただいた空気がありました。よろしくお願いしますと出ない声で告げて、そのあとは寝落ちしてしまいました。

翌朝起きて、あれはまあそういうことなんだろうと一人で合点して、とりあえずしばらくは何事も起きなさそうだと思ったのち、荷解きを再開しました。



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