見出し画像

健康で文化的な最低限度の生活

人生初、議員になってはじめての生活保護申請の同行へ。

ご紹介いただいた方も驚いていたが、その方は私のことを知っていた。「高野さんってよく西友前にいる高野さん?」私も覚えていた。以前、西友前でお茶を差し入れしてくれた方だった。非常に元気で明るい方。最近突然、仕事を失った。バブル期に母親と住もうと思い、購入した家も不動産価値以上のローンが残っている。引っ越しした3年後に母は亡くなった。姉も亡くなった。婚姻歴もない。身寄りもいない。60歳で死ぬ予定だったからと無年金。相談員に「長生きして申し訳ない」「早く死にたい」などと話すその方の横顔を見て、率直に涙をこらえるのに必死になってしまった。

と同時にやる気が湧き出てきた。こうした人を1人でも救うために、政治を志したんだ。困窮者も、母子家庭も、独居老人も投票にいかない。票につながらない。既得権益層は、必ず投票に行くから、これから勝負すれば負け続けるだろう。だが、決して自分の志、政治の原点を忘れるわけにはいかない。

今回、生活保護の面談に同席して、38年前、まだ29歳の母が3歳の私を連れて函館に戻り「生活保護だけは絶対にもらわない」と言い、必死に働いた理由もわかった。

憲法25条にある「健康で文化的な最低限度の生活」とは、そもそも生活保護により達成されるのだろうか。53,700円で住める部屋がほぼない江東区で、住まいと暮らしと生きがいについて考える貴重な機会を頂いた。

突然仕事を失う。病気や事故で働けなくなる。誰の身にもいつかは降りかかるかもしれない。区議会議員になって本当よかった。ここからがスタート。見えなかったものが見えてきたこと。何より、多くの方の安堵と笑顔の表情を見ることできるのは嬉しい。

高野はやと@江東区