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「虹の都へ」 トッド・ラングレンとの最低で最高な録音の日々(1989②)

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初めてのアメリカは、トランジットのトラブルなどもあって遠かった。たどり着いたニューヨークシティから北へ車で2時間半、トッド・ラングレンのプライベートスタジオがあるウッドストックへ。空港からストレッチ・リムジンに乗って(アメリカではタクシー代わりに普通に使うものだと聞いた)の後部座席で寝そべりながら、窓の外の絵に描いたような星空を眺めてウッドストックに到着したのは、東京の自宅を出てから24時間後だった。

XTC「スカイラーキング」を始め、数々の名盤が録音されてきたトッド・ラングレンのプライベートスタジオ、ユートピア・サウンド・スタジオは、まるでクリスマスケーキの上のチョコの家みたいに、石の煙突が突き出た山小屋を改造した物件だった。

僕がここに来る直前に、このスタジオでアルバム「からくりハウス」を録音したレピッシュは、ギターアンプをトイレに押し込んで録音したらしい。商業的なスタジオとは違い、防音扉で区切られた部屋はない。そんなDIYなスタジオで数々の名作を録り続けてきた宅録の帝王・トッド・ラングレン。今でこそ当たり前の「Bed room recording」を50年近く前から実践していた先駆者なのだ。

*アルバム「Something / Anything?」の見開き部分にあった写真。自宅スタジオでVサインを決める、マンハッタン時代のトッド。

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日記より抜粋。着いたばかりの頃、焦る気持ちが目立つ。

9/23(土)
明日、渡米だというのに、実感がない。不安はあまりないが、気が張っている。今回は最低で最高なレコーディングだ。曲が8曲しかないのに、渡米しなければいけない。でも、プロデュースはトッド・ラングレンだ! デモテープの帝王に、弟子入りするような気持ち。

9/24(日)体調は今ひとつすぐれない。こちらはやはり寒い。喘息も残っている。原稿も書かなきゃ。曲も書かなきゃ。

9/26(火)ベッドに入ったり、TVみたり、ギター弾いたり、散歩したり。
一番気になるのは曲だ。曲・曲・曲。曲ができない!

日記の中には「虹の都へ」に関する記述がほとんどない。あの曲はCMのための曲として気負いなく作った曲で、トッドと録音するより前に日本でCM用にセルフプロデュースバージョンを録音していたので、曲としては完全に仕上がっていた。渡米してからは、とにかくアルバムの残りの曲のことだけを考え続けていた。

*セルフプロデュースで作ったバージョンはこれ ↓

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10/1(日)朝、うなされて起きた。昨夜ムリして原稿を書ききった疲れか、あるいは作曲ノイローゼか。せっかく生活に慣れてきたと思ったら、そんなつまらないことでくよくよしたりする。なんて不安定なんだろう、そう思ったら悩みがバカバカしくなって「一喜一憂」ができた。

現地ではスタッフと一緒に開拓当時に建てられたという古い石造りの一軒家を借りて、朝はみんなで順番に自炊しながら生活していた。地理的にも、そして街の雰囲気も東京〜軽井沢がN.Y.〜ウッドストックの関係に近く、自然豊かな、でもただの田舎ではない文化のある避暑地というロケーションの中で音づくりに没頭していた。

渡米する少し前から、アルバムの構想は練っていた。1st、2ndの音楽性から少し離れて「90年代のサイケデリック」をキーワードにアルバムを作りたいと思った。その頃書いたメモには、若者特有の、わかるようなわからないような、ぶっとんだ感じがある。サイケだ(笑)

毎日、新曲にトライしたり、つくりかけの曲の続きを考えたり、未完成な歌詞を考えたりしながら、出来た曲から順番にアレンジに取り掛かって行くことにした。終わりの見えない作業が続く。

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