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正論はなぜ刺さらないのか?

最近、目上の方から正論を強く主張される機会に遭遇しました。内容の詳細はさておきテーマは私の行動を促すものでした。言ってることはもうめちゃくちゃ正論で。それをとてもわかりやすく理論整然と説明されたんです。

その結果。。。全く行動しませんでした。なんならその正論を聞いている最中に絶対にこの行動はしない!と心に固く誓ったりしていました。

そうなんです。その正論は全く自分に刺さらなかったんです。自分が捻じ曲がっていて天邪鬼ということも刺さらない主因になってるとは思うのですが、理論整然としている正論がどうして刺さらないのかについて自分なりに興味があったので、この記事では「正論はなぜ刺さらないのか?」という話題について考察していきたいと思います。

まず、正論が刺さらない理由の一つは、シンプルに感情が逆撫でされるからだと思います。これ言ってる方は気づいていないことが多いのですが、言われた方からすると非常に上から目線に感じてしまいます。

言う方がどれだけ言葉を整えようが、相手を変えようという気持ちが透けて見えてしまって心が拒絶反応を引き起こしてしまうんです。

もう一つの理由は、正論自体が楽しそうでないからです。正論はどんなに楽しそうに言われても全くワクワクしません。正論の先には常に、「君のためを思って僕はこれだけ正しいことをわかりやすく言ってあげているんだよ。分かるよね?それに応えるために君は動くべきだ」という独善的で強制感のある考えが潜んでいます。

いわゆるベキ思考です。やらなければいけない。動かなければいけない。mustの思考。この強迫観念に近い思考が受けての行動を拒絶します。

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では、どういった場合に人は動くのでしょうか?

私はコーチとしてコーチングに携わる立場ということもあって行動をするか決めるのはあくまで受けてであって、答えも全て相手の中にあるという思考が非常に大事だと考えています。

正論は、出しての考えが強く反映された思考であり論理です。この中には受けての意見や決断を尊重する余地がありません。

どんなに素晴らしいことを述べても、どれだけ説得力があって正しそうでも、最終的には行動した人にしか、その結果に対する責任を取ることはできません。

正論を言った人には責任は取れません。だからその言葉がどれだけ正しくてもその言葉には重さが生まれないんです。その前提に立つからこそ、自分が驕らないように相手を尊重することが重要なのです。

今回、逆の立場として加害者になってしまう危険性も感じました。私もいつ立場が変わり、加害者になってしまう可能性があります。というか気づかないうちに誰かに自分の正論を押し付けてしまっていることもたくさんあると思っています。

それを少しでも回避するためには相手の中に答えがあるということを常に心に置き、その答えを尊重したコミュニケーションが重要です。

どんなに正論であっても、相手の立場や感情を考慮しない言葉は、相手を傷つけるナイフにしかなりません。言葉を発する際には、相手の気持ちや状況を理解し、共感し、助けになるような言葉を選ぶことが大切です。

コミュニケーションにおいては、ただ正論を伝えるだけでなく、相手に寄り添い、一緒に考え、楽しみながら進めることも大事になります。

今回の経験を通じて、私自身も相手の立場に立ち、常に謙虚な気持ちでコミュニケーションを行い、相手の答えを尊重し、ワクワクしながら一緒に成長していける関係を築きたいと強く思いました。どんな状況であっても、相手とともに考え、感じ、行動することが、最も大切なことなのだと改めて感じました。

以上です。


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