「文化」

 「文化とは国や地域に根付いている風習や催し物」と此処では、そう定義するが「文化」と呼べるのに値する事とは何か、との疑問を私は持ってしまう。「文化」と一口に言っても五年十年で広まった風習を「文化」と呼ぶのに抵抗がある。逆に百年間続いた風習なら「文化」と呼べるのかと言えば「それは違う」と言いたく成ってしまう。忘れられた風習の方が多いとの考えなので、未だに続く「文化」には何かしらの「大人の事情」なる物が含まれていると思っている。

 個人的な話なら私は年賀状を書いた事が無い。厳密に言うと中学生時代に書いた事はあるが、それは同級生と話し合って年賀状を送り合う行為がしたいだけだった。大人のマネをしたくて書いたので、子供の好奇心でしかなく以後書く事は無い。それは社会人と成っても変わりはなく、年末に年賀状を書くのに忙殺される事は無い。年賀状と言う「文化」は何時から始まったのかと、昔から疑問に思うのであった。

 郵便事業が始まったのは明治時代に成ってからで、その以前に年賀状なる物があったとの話を聞いた事が無い。江戸時代にも書簡を送る「文化」があるので、新年の挨拶としての手紙はあったのだろう。ただ識字率の問題や送料から一般庶民には普及しなかったのではと思っている。明治の文明開化なる掛け声で、手紙を送る事が簡便に出来る環境が整うまで年賀状は普及しなかっただろう。一般的に手紙を送る「文化」は大正期の絵葉書ブームまで待たなくてはならない。

 大正時代に竹下夢二の挿絵の入った手紙を送り合うのが流行したので、当時の葉書が残っている。以前、美術館で展示してあるのを観たのだが、それが私が知っている一番古い葉書であった。年賀状を書く「文化」は百年以上続いている、と書くと伝統的な物だと思える人も居るだろうが、私としては「百年くらいで文化だと叫んで良いのか」と疑問に感じてしまう。私の個人的な経験で考えれば、祖父の時代から送り始めた年賀状に「文化」を感じ取れないだけなのだが。

 家それぞれに「文化」があると言えば、これも事実だろう。それが他人から見れば非常識と捉えられても「よそ様の家の事だから」と言って済ますのも「文化」としてある。それなので我が家では誰も年賀状を送る事はしない。その事を私を含め家族の者は公言しているので正月に届く年賀状は殆ど無い。それを寂しいと感じる事も無い。「年賀状くらい書けよ。社会人失格だぞ」と言われれば「文化の違いですから」と言い訳をするのだった。

 「文化」の違いは何処から来るのだろうか。古い話では平安時代の雅楽は一族毎に違い伝わる物で、他の一族が演奏すると罰せられるそうな。その様な環境で生まれた物は「文化」と言って良いのか疑問である。例えば食事の作法で一番初めに箸を付けるのは汁物からと決められてしまっては、窮屈な「文化」と言いたく成ってしまう。と言う事は「文化」には普及率なるものが不可欠なのだろう。普及しない物は「文化」と呼ぶ事が出来ないとすると、どんな状況が当て嵌まるのだろうか。

 江戸時代まで続いた髷を結う「文化」だが、明治維新により散髪脱刀令により廃止された。当時の人は特に抵抗なく髷を結うのを止めたそうな。髪結い屋が反対したとの記録は残っていないが、髷を結う事に携わる人の仕事が無くなったのは言うまでもない。それよりも元侍が散髪脱刀令が施行されても刀を所持していた方が問題だったそうな。その為、新たに明治九年に廃刀令が施行されて許可なく刀を所持できなくなった。

 明治の世相を考えると「侍の魂の刀を捨てる事はできない」と言うよりも、護身用として刀を携帯していたかったのではと思っている。何時、幕末期の動乱で恨みを買って斬り殺されるかも知れないと、多くの元侍は思っていたのだろう。それなので廃刀令によって厳しく取り締まわれるまで、刀を所持していたと私はそう思う。それがどう言う訳か「侍の魂」との常套句で刀を所持するのが正しい「文化」として語り継がれているのには疑問を持ってしまう。

 なにも廃刀令に限らず政府の方針によって歪曲化された「文化」は多い。宮本武蔵を知らない人は少ないと思う。映画や漫画の題材によく成るので、今でも一定の普及率を持って知られている。しかし、江戸時代の庶民は宮本武蔵を知らないであろうと言われている。理由は明治以後の軍国主義による、国民教育の為に宮本武蔵が頻繁に登場する様になったのだ。宮本武蔵を評する時に「侍」と言うよりは「武芸者」として表現される点に注意して欲しい。

 明治の軍国化によって日露戦争勃発と成った。当時の初年兵の多くは農村の次男など家督を継ぐ必要の無い男子だった。兵役訓練を受けて入るが、いざ戦場に立つと士気が上がらない。それ所かロシア兵が突撃して来ると、持ち場を逃げ出す兵隊が多く居たそうな。日露戦争に勝戦はしたものの、兵隊の教育が大きな課題として軍部内に持ち上がった。その為、日本男児の誉れ高い英雄として宮本武蔵の話が用いられる様になった。

 宮本武蔵の武勇伝を語ると切りがないので割愛するが「侍」としてではなく「武芸者」として生きた、宮本武蔵が明治時代に評価された理由を考えるとこんな事が言える。宮本武蔵は勝つ事が全てで、その為には手段を選ばない所が評価され、兵隊に必要な気質だと私は思っている。「侍」と成ると忠義の名の下に君主に仕えるとの感覚に成ってしまうので、現代に於ける戦争には「武芸者」としての資質が求められるからだろうと思えた。

 「侍」とは仕官的な要素を含んでいるので、上級の侍に絶対服従とはならない。国元に仕官の口がなければ、他の君主に仕えるのも有りなのである。それよりも「武芸者」とは一戦毎に勝ち進むしかない者であり、最後の一兵になったとしても戦う事を強要された者であろう。「侍」と「武芸者」との違いを簡単に比較すると以上の様な事が言えるが、現在では何方も同義語の様に使われているのが気になってしまう。

 「サムライニッポン」と口に出して言った事は無い。スポーツには興味がないのでよく分からないが、テレビで流れているのを小耳に挟むとよく聞こえて来る。スポーツに対して「サムライニッポン」なる応援の仕方は、何時頃から始まったのか疑問に思う。前段でも触れたが「侍」は仕官、今風に言えば国家公務員くらいの意味しか持っていないと思っている。それなので声援にならないのでは、と思うのだが「サムライニッポン」なるフレーズが「文化」として定着してしまったので、私が今更に問題視しても仕方ない話だと思っているが。

 スポーツに対する声援に国策的な要素を含んでいるのは問題ではないかと。「文化」は自然発生的に普及する物ではない、との考えが浮かぶ。何かしらの政策の下に置かれた物を「文化」と言っている様に思える。しかし、それは「文化」を用いる側の問題であり、それを受け取るか取らないかは個人の問題だろう。少なくとも私は「サムライニッポン」なる言葉が叫ばれる状況の真っ只中には居たくないので「見ざる言わざる聞かざる」で居る積りだ。

 勘違いしないで欲しいのだが「文化」的な活動をするな、と言って居るのではない。「文化」を恣意的に扱うべきではないと言いたいだけなのだ。以上に書いた事は何かしらの作為によって作られた「文化」であろう。憲法には誰しも必要最低限の「文化」活動を保証しているが、本来あるべき姿の「文化」とは何であろうか。

 私の周辺を見回すと「文化」的な生活とは言えないのが現状である。北関東の田舎暮らしなので本屋すら無いのである。その地域の「文化」レベルは本屋を観れば分かる、と思っているので、その考えに則れば「文化」の無い生活を私はしている事に成る。とは言え、ネット通販を駆使して書籍を購入しているので、私自身の「文化」レベルが低いとは思っていない。それよりもネットの環境が無い状況の子供達や高齢者の方が気になる。

 以前にネットの記事で読んだのだが、田舎の小さな本屋が岩波文庫を置いていたそうな。岩波文庫は古典作品を安価で手に入れられるので、私は若い頃から購入して暇をみては読んでいた。その本屋の店主が言うには「地元の子供達が岩波文庫も知らないで、大人に成るのは恥ずかしい事だ」と。その言葉には賛同するしかない。私も子供の頃には本屋に行くのが楽しみの一つであった。専ら漫画本を立ち読みしていただけだが、今でも本棚に理路整然と置かれている本を見るだけでも楽しい。

 本屋が「文化」を維持する為の基盤であるのだが、それが失われて行くのが現状である。一応、何処の地区にも図書館はあるが、それだけで全てをカバー出来るはずもない。知りたい情報は誰でも探し出せる環境にすべきだが、それだけでは「文化」を形成する事は出来ない。知りたい事以上に知らなくてはいけない情報に接する機会を設けなくてはいけないのだ。そう言うと「テレビがあるから大丈夫」と反論する人も居るだろう。私の母がそうだ。

 テレビを観ないのでよく分からないがテレビ鑑賞が「文化的活動」と言えるのか疑問であった。多くの人がテレビに娯楽を求めているのは分かるが、一過性の情報ばかりに浸っていると思考する事が鈍ってしまうのではと思っている。具体的に高齢者程、テレビへの依存度が高いのではと思っているが、詳しい統計が発表されていない様なので現状はよく分からないのだが。

 情報の伝達には迅速性が必要な物もあるので、テレビやネットの方が有利であるのは言うまでもない。ただ一方的に伝えられた情報だけでは、思考する時間的な機会が無い様に感じる。私は雑学的な知識は人よりも多く、彼是と思慮する機会が多い。一見、何の関係性も無い事柄を扱っている様に見えるかも知れないが、それを紐付けて思考する事に長けている。「文化」と題して書いているが、書かれている内容は雑学のオンパレードであると自覚している。

 「雑学」と言っても特定の分野に精通している事では無く、私の場合は俯瞰的に物事を観る能力として発揮されて居る。「文化」と言う言葉を聞いて何を想起するかは人それぞれなので、此処まで書いて来た事は、何処まで行っても私の感覚から逃れられない。それなので此処まで読んでみて「結局、何が言いたいのか分からない」との感想が出て来るのも覚悟している。単純に、「文化」とは歴史的な価値を持っている行事の事を指す。とでも書けば納得する人も居るだろう。だが、それは私が言うべき事では無いと思っている。

 結局の所、私は書く事によって思考の整理をしているので、題材は何でも良いのである。そう成ると「文化」とは「雑学」の開放場所であるとの結論を出す事が出来る。歴史を知りたければ書籍を買って読めば良いだけである。そこで手に入れた知識をどう活かすか、との疑問が出て来るだろう。ネットの普及した現代では、知識をひけらかしただけでは何の評価もされない。得た知識の活かし場所として、書くと言う行為は「文化」的と言えるかも知れない。

 忠告して置くが「雑学」を溜め込んでいると人はどうなるのか。自ずと限界が来るのである。開放された「文化」と閉鎖された「文化」に分けて考えると、閉鎖された方には教条的な「文化」しか存在できない様に感じられる。本来あるべき姿の「文化」とは文字通り開放されていなくてはいけない。限界だと悟って表現する事を止めれば、それは消え去る「文化」に加担しているだけなのだ。それを私は知ってるから、書き続ける事が出来るとも言える。

 「文化」を開放するには知識に貪欲に成らなければならない。それに整理整頓されていない知識などはいらない。しかし、誰かの与えた「文化」を享受しているだけで人生が終わってしまうのが現状であろう。だが、私はそれが嫌なので抗ってみるが徒労に終わるかも知れない。それは「文化」活動をしていると錯覚しているだけかも知れない。

 いっその事「文化」などと言う物を捨ててみたい衝動に駆られる。それは書く事でしか自分を表現できない人達の歴史の中に、組み込まれるのではと危惧してしまうからだ。「文化」を開放したいと思えば思うほど、閉鎖的な空間を創り出しているとのジレンマが私にはある。しかし、書く事で自分を表す以外に術を知らないので、書き続けるだけだが。

 私は唾棄すべき閉鎖された「文化」から、開放される事を夢見ているだけかも知れない。

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