「強要」

 「どんなに楽しい事でも強要されてはストレスが溜まる」と思ったのは、ゲーム実況者の動画を観たからだ。一見、楽しそうにゲームをプレイして居る様に見えるが、難易度の高い物だとストレスは溜まるだろう。そう言う私も子供の頃によくテレビゲームをしていたが、クリアー出来ないと苛立たしく成りコントローラーを床に投げ付けた事があった。何もゲームだけの話ではなく、日常の中にも「強要」されると腹立たしく思える事が多々ある。

 私が子供の頃には「テレビゲームが脳に与える影響」と言った内容で、学者なのか識者なのかは忘れたが研究結果を発表して居た。研究結果を抜粋すると「一日二、三時間テレビゲームをして居ると脳が苛立ち易く成る」との事だった。ただ、実験に用いたゲームが「テトリス」だけであり「テトリスみたいなパズル要素の強いゲームではストレスも溜まるだろう」と思ったのを覚えている。

 研究者が極端な状態を作って平常時と比べるの事をよくするのは、意図した研究結果を出したい為だと思っている。テレビゲームの場合だと既に「脳が苛立ち易い」と成る結果を得たい為に、特定のゲームを長時間させる様な実験が成される。ストレスを感じやすいゲームを意図的に選択して居るので、「ゲームをするとストレスを溜める場合がある」と結論付ける事が出来るが、私は作為的で悪意がある様にも感じられる。別に「ストレス発散の為に短時間ゲームをすると脳は落ち着く」と言った研究成果でも良いのではと思うが。

 今では自分でゲームを遊ぶよりも、他人のプレイした動画を観ている方が多くなった。理由は子供の頃にクリアー出来なかったゲームを、いとも簡単に攻略しているので懐かしさも手伝ってか観てしまう。この状況なら要らぬストレスを溜める心配は殆ど無い。それに長時間ゲームをして居る程、暇ではないのも理由の一つである。大人に成るとテレビゲーム以外にも楽しい事があると気付くので、子供の様に没頭する事はもう無い。

 テレビゲームを例に出したが、日常的に熟す仕事の場合ではどう成るだろうか。日々の食事を作るのが面倒くさいと感じる人が居る。それは私の母の事なのだが、母の口癖に「日曜日はお母さんを休む」と言うのだった。言葉通り本当に休んでしまう。一日中寝ていて家事は一切しないので、仕方無しに自分で食事を作っては食べていた。子供の頃からの我が家の決まり事なので、それが普通だと思っていた。今にして思えば「日曜日でも食事くらいは作れよ」と言いたくは成る。

 そんな母に育てられたので何事も自発的に行動する癖が付いてしまった。それは悪い意味で発動されて居た。私は学校の宿題をした事が無いのである。「学校から帰ったら後は自由時間。テレビゲームがしたい」と言って、母に怒られた事は無かった。と言っても中学生に成ると塾に入れられたので小学生までの話だが。放任主義と言えば聞こえが良いか、毎日忙しく働いていた母なので子供に割ける時間は少なかったのだろう。それを非難したい訳ではないが、もう少し子供の躾をちゃんとした方が良いのでは、と他人事の様だが思ってしまう。

 父も居るには居たが、放任主義を通り越して私に対しては無関心の様に感じるのだった。それでも休日は父と一緒にデパートに行くのを楽しみにして居た。ただ問題なのは食事が出ない事であった。デパートには食堂があるのだが昼時に成っても、父は食事をしないのである。今でも疑問だが、お腹が空かないのか不思議であった。そう言う私も父に小銭をせびってゲームセンターで遊ぶのに夢中で、食事も取らずに居ても平気だった。

 母と一緒にデパートに行くと、逆に小遣いを貰えないのでゲームセンターで遊べない。その代わり昼飯はちゃんと食べる事が出来た。両親共働きの一人息子なので家族三人で行動する事は少なく、母と一緒に出かける方が少なかった様に記憶している。そんな自由気ままな両親を観ているせいで、「理想な父で在る事」または「理想な母で在る事」を私は「強要」しなかった。子供らしく我儘を言う時もあったが、聞き入られる事も無いので諦めて居た幼少の私。

 そんな子供だったので両親を尊敬できないで居た。それは今でも続いて居るのだが、母の最近の口癖は「一緒に暮らして居るのだから」に成った。父が大病を患い介護が必要な状態で母だけに任せて置くには限界があるので、私が手伝って居るが正直言って面倒くさい。母が「日曜日はお母さんを休む」と同じく「週に2日は息子を休む」と言いたく成る。家族で居る事の大切さを語れれば良いのだが「強要」された「家族」程、脆いものはないと思って居る。

 「良き父、良き母」とは何を指して言うのだろうか疑問であった。少なくとも私の両親は当て嵌まらない様な気がする。それは何処かに理想とする「両親」が居るからだろう。父は度を越した酒呑みで、仕事から帰ると酔い潰れるまで呑んでは愚痴を何時までも言って居た。母はそんな父に愛想を尽かして居たのは、子供の目からも分かった。父の悪口を書くのは気が引けるが家の事は全て母任せで、私の事など興味が無い様に子供の頃から感じていた。

 「砂上の楼閣」として私の「家族」は機能していて、息子である事を「強要」されると逃げ出すのであった。事実二度、実家から引っ越して独り暮らしをした事があった。一度目は二十代の頃で仕事のストレスから苛立ち、父母の顔を見るのも嫌に成ってしまった。幸い職場が車で一時間程かかる場所だったので「通勤時間を短くしたい」と、尤もらしい嘘を付いて家を出た。やっとアパートで一人に成れた事に安堵したが、悲劇は繰り返されるのだった。

 職場でのストレスから睡眠障害に陥った。病院に行き薬を処方してもらうが、それでも三日間眠れない状態にまで成り私は発狂した。詳しい状態を書くのは今でも躊躇ってしまうが、一日中ベッドの中で何かに怯えて居るだけの状態だった。職場に行ける状態では最早なかったので、有給休暇を使って休んでいたが上司が心配してアパートに訪ねて来た。その時、どんな対応をしたかは忘れたが、傍から見れば精神疾患なのは分かっただろう。上司の配慮か母に連絡が行った様であった。

 真っ昼間、ドアを鳴らすチャイムの音で起き出ると母が居た。虚ろな瞳の私は何も言わずに立ち止まって居たら、母が「おうちに帰ろう」と一言だけ言った。私は何も言わずに母の車に乗って実家に帰った。以後、闘病生活が始まるが特に筆記する事が無い。二年間、病院と実家の往復で何処にも行けなかったので、これと言った話が無いのである。その二年間を思い出す時に「よくあの状態で生きていたな」と他人事の様に思うだけである。

 以後、私は「良い息子」である事を止めた。母もそう「強要」する事も無くなったが、漸く「家族」として機能出来る状態に成った様に感じられた。父に勧められて入った会社なので何と父に話をしたら良いのか分からなかったが、父は何も言わなかった。そして会社を辞める事に反対はしなかったのが、私には有り難かった。もし「会社に行け」と叱責を受けたなら私はどうなって居たのか、考えるのも恐ろしい。

 大概の精神疾患は学校や会社を辞めれば回復する場合が多い。事実、私も復帰する事が出来た。私の場合は環境に恵まれて居たのだろう。経済的な理由で会社を辞められない人の方が多いのだから。社会が生み出す無言の圧力がどれだけ人を苦しめるのか、私は身を持って知って居る。だからと言って精神疾患の人に無責任にも「嫌だったら辞めれば楽だよ」とは言いたくない。飽くまでも個人の体験として記して居るだけなので、参考にして欲しいと「強要」はしたくないのだ。

 二度目の引っ越しだが都会に出て働こうかと思って行ったので、精神的な負担は少なかった。両親も納得して送り出してくれたので気持ち的には楽であった。これも詳しく書くと切りがないので簡素に書くと、映画製作の仕事がしたかったのだった。その為、先ずは映画の専門学校に入学するのだった。三十二歳にして学生に逆戻りしたが特別変な気持ちには成らずに居た。「人生やりたい事をやるのが一番」と思えたのは、何かに怯えて居るだけの状態を二年間も経験しているからかも知れない。

 自分語りは好きではないが「強要」に付いて書くと、こんな内容に成ってしまった。それなので以下にはどんな場面で「強要」が成されて居るのか指摘してみる。普遍的な事が書ければ良いのだが金や対人関係での「強要」は間接的な犯罪だと思って居るので、何を題材にすれば良いのかよく分からないが、実際に聞いた話を書く。

 「ボランティア活動は自主的に行うもの」との認識だが、どうも最近では違う様だ。詳しくは知らないが、高校だと内申書にボランティア参加経験があると書かれ、進学に有利であると聞いた事がある。高校生でも自主的に参加する人も居るので一概に言い切れないが、「進学を有利にする為にボランティアに参加するのは違うのでは」と私はそう思ってしまう。これはまだ実害の無い例だが、他国を見ると「自主性」ではなく「強要」だと思える事例がある。

 アメリカでは兵役の募集をする時に、「大学に進学できる様に成る」と、言葉は悪いが「餌」にして居るそうな。兵役の対象者を貧困層に絞り勧誘を行うのは、経済的な「強要」でしかない。そうした若者達が戦場に繰り出される事に我が国でも疑問が出て来ないのでは、アメリカの戦争に加担する状況に成る、と指摘する。これがアメリカに限らず何処の国でも似たような事をしているのが目に付き、暗澹たる気持ちに苛まれる。

 「国民に主権がある」のが民主主義国家の基本であるが、それが蔑ろにされている様に最近は感じてしまう。経済格差の問題は昔からあったが、それが曖昧に成って居るのが根本の原因かも知れない。富裕層を非難する行為が咎められるとしたら、国民はストレスの発散場所を何処に求めたら良いのだろうか。芸能人のゴシップに一喜一憂しているだけのマスメディアに何の期待も持てないが、少なくともそんな事よりも政治判断の検証をするべきだと言いたい。

 あるドキュメント番組を制作している人が「反権力と言っている組織が内部の権力闘争で疲弊している」と言って居た。詳しい組織名を上げるのは差し控えるが、大きな組織や大企業などでは散見して居るので、思い当たる人も居るだろう。それなので私は「反権力」を言って居る組織を信じられないのである。「組織を維持するには反乱分子を排除」と書くと尤もらしく感じるが、そこには「トップの意見に従え」と「強要」されている様に感じる。

 「強要」していると思わせないのが、狡猾なるトップの遣り口なのだ。まるで部下が自発的に行った様に見せ掛けるのが得意な人は、誰とは言わないが思い当たる人の一人や二人は誰でも居るだろう。それで問題が出ればトップに居る人は「知らぬ存ぜぬ」と言い逃れをする。それは権力を持った人の問題なら追求の手を緩めないで、果敢に真実を探す事をしなくてはいけない。それを意識すると最近のマスメディアが何を隠そうとしているのか分かって来る。

 私は伝えられないニュースに意味があると思って居るので、我が国以外のアメリカなどのニュースメディアにだけ取り上げられたら、何を意味するのかと考える。それが世界を知る一歩だと言いたい。ネットにより情報が瞬時に世界に発信される世界では、何を信じれば良いのか迷う人も出て来るだろう。それに付いては再三指摘しているが、多角的な情報を精査する必要があるのだ。精査する事をマスメディアに頼って居ると間接的または直接的な実害が及んで来る。

 では自分で「精査」すると成ると何かしらの基準が必要に成って来るが、誰しも何かしらの組織に属して居るので「強要」された思想が入り込む。その様な状況下では冷静な判断は出来ないが、かと言って組織から離脱するにはリスクが大きいい。それなので「面従腹背」の精神が必要なのだ。一見、服従している様に見せかけて何か事あれば反旗を翻す。それを意識するのが世間を「精査」する第一歩と成るだろう。

 私は「精査」して居たのだろう、「家族」とは何かと。それが分かったのは「強要」しない関係に成った時だった。父母が息子に「大いなる期待」をするのを間違いだとは言わない。それが励みに成る時もある。だが長い人生で進むべき道が分からなくなる時がある。そんな時は立ち止まれば良いのだ。焦って無理をしても碌な事は無い。もう十年以上前、精神を患って何処にも行けなかった自分に対して、今は傍観者の様に私は居る。それは、その後の生きた証を求める行為が生み出したものかも知れない。

 「人生」に対して傍観者として「精査」すると、「あの時に起こった事は何か」と疑問と成って思い出される。そこに「強要」と言える物があれば非難の声を上げる。それが出来ない社会ではストレスが溜まるだけだ。溜めたストレスの発散場所は幾らでもあるのかも知れないが、それで何が解決するのか疑問である。子供の様にゲームでストレスを発散できる人を羨む。だが「強要」された社会を糾弾する人が居なくては、私の様に精神を患う事に成ってしまう。

 今、求められて居るのは「強要」する「社会」に対する「組織」を作り出す事では無い。もっと個人的な感覚が必要なのだ。「個として強くなり、公として反発する」事だと思っている。貴方が「良き父」や「良き母」で在る事を「強要」するのが当たり前と感じるのなら、ここまで書いた事は無意味だろう。無意味と言われても私は「個」として強く成りたい。そして「個」として繋がりあえば「公」としての立場を得られるのかも知れない。それで「より良い人」「より良い社会」に成ればと願うしかない。

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