「威勢」

 「威勢が良い」と言う時には蔑称として使われる事が多い様に感じる。それは「虚勢」と同義の様に受け取られているからだろう。それと「威勢」の中に「威嚇」の意味を含むのも、原因の一つだ。私自身は「威勢」の良い言葉使いはしない事にしているが、他人が読んでみてどの様に感じるかは不明瞭だ。しかし「威勢」がある言葉とは何かと考える。具体的な例を上げて考察してみると以下の様な事が言えるだろう。

 「バナナを食べると便通が良くなる」と実際にテレビの健康促進番組で放送していた。母が真に受けて毎日バナナを食べ始めたが、直ぐに効果が現れないので一週間食べただけで止めてしまった。バナナの効用は扠置き、テレビを見ればこの程度の「威勢」がある言葉が踊っている。母は七十歳を過ぎていて、私が「何でバナナを食うと便通が良くなるのか」と問い質しても「お医者さんが良いって言ってるから」と言うだけだった。

 その時「盲信」なる言葉が浮かんできた。世代の違いとは言えないが、母はテレビからの情報を信じる事が多い。私は皮肉で「バナナの中身より、皮の方が効くなら食べるのか」と言ったら、母は「それは嘘だ」と言い放った。それなので「皮の方が繊維質が多いだろうから、便通は絶対に良くなる」と強弁したが、全く聞く耳を持たない母であった。それ所か「馬鹿な事を言っている」と言われてしまった。

 「高齢者が信仰するのはテレビだ」と「威勢」の良い言葉を書いてみた。強ち外れた意見ではないが「高齢者を馬鹿にするな」との意見も出て来るだろう。それなので「高齢者はテレビ好きだ」くらいの事を言う様にしている。そう言っている私はネットの情報に踊らせれて居る時がある。「パソコンをアップデートすると新機能が使える」との情報を目にすると、早速試すのだが不具合の発生で日本語入力が出来なくなった事があった。

 「威勢」の良い情報に踊らされて居る点では、私も母と同じだろう。ただ、詐欺まがいの電話が毎日の様に掛かって来るので、母には知らない人からの電話には注意する様にと言っている。その為か、母は電話で何かしらの勧誘に引っかかる事は無い。逆に電話口で「威勢」良く話す相手では「今忙しいから」と言って切るのであった。それもテレビの報道で詐欺被害注意を見聞きしてでの対応だろう。

 「詐欺が多いので警戒心を持って電話には出る様に」とテレビではそう伝えている。しかし、テレビが正確な情報を発信しているとは限らない場合が多い。健康促進の番組を見ると「飽くまでも個人の意見です」とのテロップを見かける。少なくとも国などの研究機関での研究成果による情報でなくては、私は信じない事にしている。そこには「威勢の良さ」に「鮮度」があるのかとも思える。誰も知らない情報を駆使して評価を得る。そこには「虚勢」が潜む事があるのではと。

 以前に私が出先から家の電話に掛けても繋がらなかったので、母の携帯電話に掛けたのだが「今、家の電話に掛けたの?」と聞いて来た。それなので「そうだけど、今何処に居るの?」と聞くと「家に居るけど」と言い返すのであった。こう成って来ると「家に電話を置く必要が無いだろう」と言いたく成ってしまう。それなので家の電話に掛けて来るのは、携帯電話を持っていない伯父や伯母くらいである。

 さて、ここで疑問が出て来るのだが、テレビのニュースでは電話での詐欺を特集しているが、それは矢張り「威勢」の良い言葉なのかと思えた。「それで何が悪い」と言われれば言い返す言葉は無いが「電話詐欺に注意」と「健康促進」とが同列に報じられる事に疑問が湧いてくる。「それは高齢者に関係のある内容だから」とは分かっているが、言い換えると「テレビは高齢者のモノ」と言いたく成る。それで良いのかと疑問に思ってしまう。

 家に固定電話が無い家庭が増え、最近では家にテレビが無い人も多く成って来ている。テレビなどの娯楽性の強いメディアが、特定の支持層を得る事を目的としている場合が多いが、高齢者特有の番組内容では先細りするのは目に見えている。他方、スポンサーを見るとスマホやネット企業が多く進出していて、高齢者向けの番組に突如としてスマホゲームのコマーシャルが放映され、私は違和感を感じて観てしまうのだ。

 その違和感の原因は何かと言えば、高齢者とスマホが結び付かないのが一番の要因だろう。深読みすれば高齢者にスマホを購入させる為に盛んに宣伝しているのかとも思えた。本来ならテレビの視聴時間を削る様な状況に成るスマホやネットを、テレビ局側の人は宣伝したくはないのが本当の所だろう。それがスマホやネットに広告収入を頼らなくてはいけない状態では、テレビは消え行くメディアなのかも知れない。

 現在ではテレビの代わりにネットやスマホが普及したが、テレビにも増して「威勢」の良い言葉で埋め尽くされている様に感じる。単純に考えればクリックされて見られた回数がネットでの評価基準なのだから、「威勢」の良い言葉で誘い込むのは当たり前の話だろう。しかし、詐欺に近い内容も暫し見受けられる。「サムネイル詐欺」なる言葉を使う人が居た。確かに見出しと内容が乖離している場合もあるので、的外れな意見でもないとは思う。

 個人的な体験談だが会社の研修で「農薬が健康に及ぼす被害」と言った題名の講演会に出席した事があった。名のある大学教授の講演だったが、その内容を要約すると「現代の農業には農薬は必要である。スーパーに置かれている野菜に虫が付いていた、又は虫に食われた痕があると売れない。それなので農薬を散布する必要がある」との事であった。参加していたのは何処かの婦人会らしき人達も居た。その時、私は正直言って「題名とは真逆の話だ」とは思った。

 しかし、講演の内容を伝えるべき対象者は、スーパーマーケットで毎日買い物をする人達であると言えるだろう。「農薬が健康に及ぼす被害」の題名が「威勢」の良い内容をイメージさせるが、これが「現代農業には農薬は必要」との場合ではどうなるか。少なくとも健康を気にしている人には「健康被害」の言葉に反応を示すだろう。試しに、健康促進のテレビ番組をよく見ている母にその事を伝えると「でも農薬は虫が死んじゃうし、何処か体に悪そう」と言った。

 母の発言は農薬に詳しくない人の感覚として一般的かと思える。その証拠に、その講演後に開かれた親睦会で、講師に対して質問を浴びせていた女性が居た。質問の内容は私の母と大して違いはなかったと記憶している。その質問に対して講師は「農薬を使わないで、虫が付いている野菜を食べられますか?」と回答していた。それで女性が納得したのかは分からないが「野菜を特殊な洗剤で洗えば落ちて、健康被害に遭わない」などと言う人も居るので、それよりは適切な対応だと思う。

 「農薬が健康に及ぼす被害」は確かに注目を浴びる内容に思える。それに付いて適切に語る必要があるのも言うまでもない。何も、その講師の様に「農薬は必要だ」と言うのではなく、題名に則って講演するのが本来あるべき姿である。けれど、人は「威勢」の良い言葉に耳目が行ってしまう。頭から「農薬は体に悪い」と思っている人が「農薬は必要だ」との内容の講演に参加するとも思えない。その講師は経験から農薬に否定的な人を対象に講演がしたかったのだと私はそう思っている。

 農業に於ける農薬や化学肥料は、時として「盲信」を引き起こす。害虫に同じ農薬を繰り返して散布していると耐性を持った個体が出現する。その個体が繁殖すると被害が出るが、農家は一度効果があった農薬を使い続けるケースが多い。その為、害虫被害が甚大になる事がある。そこに「新しい農薬が出たので、これならば殺虫作用が高いです」などと付け込む農薬業者が居る事に言及して置く。

 あまり具体的に書くと問題が大きくなるので書けないが、有機農業として農薬や化学肥料を一切使っていないと「威勢」よく言って販売している野菜などには注意が必要である。大概の場合、害虫の発生はある一定の頻度で起こる。その時、直接は野菜に散布しないが、周辺の農作物や雑草に誘引物質を散布して、害虫を誘き寄せて薬剤で駆除する場合がある。これはまだ良い方で、個人的には無農薬や有機農業では無いと思える栽培方法もあるのだ。

 話が横滑りして農業の事に成ったので、もう一度「威勢」に戻す。人格における「威勢」とは何かと。以前働いていた会社の歳の離れた先輩は、財布の中に何時も百万円入れていた。その人はギャンブル好きで「威勢」の良い話を盛んにしていた。仮に競馬にするが1レース当たり五万、十万円の単位で賭けるのであったが、当たり前の話、当たればデカイが外せば無一文になる。それが何時聞いても儲けた話しかしないのであった。決して損をした話をした事がない。

 それは「威勢」ではなく「虚勢」なのだろうと、私は何時の頃からかそう思う様に成った。「威勢」良くギャンブルに負けた話をする人を見た事がない。私自身、ギャンブルに興味は無いので、何故その様な心理状態になるのか判然としないのだが、「勝ち続けている」との錯覚を相手に思わせたいとの事かと思える。そこには「虚勢」としか言い様のない感情が透けて見えて来る。それは個人の話なら「虚勢」を張っているとの評価で終わるが、大きな組織ぐるみではどうなるか。

 「企業は成長しなくてはいけない。決して現状維持ではダメだ」と、企業のトップに居る人は誰しも口にして居そうで、一見「威勢」の良い様に感じるが、私に言わせれば「虚勢」と成る。それはバブル崩壊後の就職難を知っている世代だからかも知れない。大きな会社に就職した年には合理化の名の下に人員削減が進んでいた。そんな環境では従業員の士気が上がる訳もなく、自分が人員削減対象に成らない様にするのが精一杯な状況であった。

 十年以上、その会社に居たのだが碌な事がなかった。詳しくは書かないが心身共に壊して早期退職をしたが、務めていた部署の建物が今では廃屋に成って居る。当時の同僚達がその後どんな経験をしたのかは分からない。と言うか、知りたくもない。そんな経験をしているので物事を観察する癖が付いてしまった。それなので「威勢」の良い人を信じられないのである。

 それはマスメディアが伝えてくる事でも「盲信」する事が、私には出来ない理由の一つだ。最近では「ネット上の情報程、信用できない物はない」と思っているが、今こうしてネットに書いている時点で私は矛盾している。それなので「威勢」に付いて、取り留めもなく書いては居るが、これと言った結論は出せないのである。出せたとしても「威勢」と言うか「虚勢」と言うか、その様な言葉に成るだろう。

 単純に「テレビは終わった。これからはネットが主流だ」「農薬は体に悪いから無農薬野菜を食べろ」「企業は成長し続けるもの」と「威勢」の良い事を言えれば楽なのは分かっている。けれど、それは私が殊更言わなくても、既に誰かが言っているし、態々に私が鬼の首でも取ったかの如くに言う事ではない。

 けれど、少なくとも「威勢」の良い言葉には気を付ける必要があると言いたいだけである。「威勢」の裏には「虚勢」や「盲信」が隠れ潜んでいるのだから。それと付け加えるなら「威勢」の良い言葉程、時として「威嚇」にも成ると。「威嚇」に付いてだが、これも詳しく書けない内容なのである。書いても良いのだが対象と成る人を貶すだけの行為でしかないので。

 かなり暈した表現に成るが「核兵器を持っている」と「威勢」良く言う人を、貴方はどう思いますか?。その人と仲が悪ければ「威嚇」に成るでしょう。では、仲が良かったら?。その人の事を「虚勢」だと思っている私は正常なのでしょうか?。

 何方にしろ評価するのは他人だと思っているので、自己評価など私はしない。言葉を紡ぐ行為に勤しんで居る私は「威勢」とも「虚勢」とも言えない事しか書けないと思っているが、貴方はどう評価しますかと問い掛けるしかない。

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