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ゆるく書く ゆるく生きる

最近、仕事で執筆をする傍ら、プライベートでも書くことが増えた。
こうしてnoteに掲載する時もあるし、誰かひとりにだけ伝えることもある。先日は、生まれて初めて、完全プライベートでインタビューをさせてもらった。

「そんなに書いて、大変じゃないですか」
と言う人もいる。正直、思うように手が進まないこともあるし、苦悩する時間は長い。伝えたいことを伝える方法が見つからなくて、葛藤する時もある。

それでもわたしは書くことが好きで、書きたいと思う。仕事でも、プライベートでも、常にわたしは言葉と共に在りたい。

ただ、そんなわたしでも、書くのが怖くなった時がある。

書くことが、できない

大学を休学していた頃、知り合いの方に声をかけていただいて、教育系のメディアで編集兼ライターとして働かせてもらったことがある。
それまでも書くことは好きだったし、ブログは書いていたけれど、「お仕事」として書くのはほぼ初めてで、特に編集なんて知らないことの連続だった。
最初は右往左往しながら、でも着実に成長していくのを感じて、実際に書いた記事が読者から評価されて、編集会議で取り上げていただく機会も増えて。その会社に勤めてから最初のお給料をもらった時、「わたしは書くことを仕事にしているんだ」と、誇らしく思えた。

そこを辞めてからも、いくつかのところで書かせてもらって、「良い記事だね」と言っていただいて。
この頃にはとっくに「書くことで生計を立てたい」と考えていたし、「わたしの書いたものは評価に値するものなんだ」という自負も芽生えていた。

それから、約1年。
仕事を続けつつ、プライベートでも書く機会が増えた頃。

「書く」ことが、とても苦しいものになっていた。
プライベートで何か書こうとしても、進まない。仕事でも、1時間パソコンに向き合って300字しか書けない。その300字も、なんだかひどく拙いもののように思えて、結局全部消してしまう。
書けない。書くということが、できなくなった。

わたしは、プロだから

結論から言ってしまうと、当時のわたしはこだわりすぎていたのだと思う。
書くことでお給料をもらって、依頼を受けて、「ライターです」と名乗る。売り込む。
大好きな「書くこと」が仕事材料になって、常に周りから評価されるようになって、だんだんと「良いものを書かなければならない」と自分を追い詰めるようになっていった。

それは、プライベートでも同じことで。
映画のレビューを書いていても、人に手紙を出そうとしても、すぐにライターであるわたしが顔を出して言う。
「こんなもの、人前に出せるのか」

キーボードを叩く手が止まる。打ち込んだものを読み返す。違和感だらけのように思えて、消す。打ち込んでみる。やっぱり違う。消す。書く。消す。書く。消す。それを繰り返す。

やがて、何も言葉が出てこなくなった。
話せるし、考えられるし、頭の中は文字でいっぱいなのに、書けない。脳内にあるものを文字にしようと思うと、途端に思考がストップしてしまう。考えていることと手の動きが一致しない。

幸い、なにか商品やサービスを紹介するようなものは書けたので、そういう仕事をぼちぼち続けながら、それでもプライベートではパソコンを一切開かなくなった。Twitterに投稿する頻度もがくんと落ちた。LINEを返すのもつらかった。

それでも、書くことは好きだった

書くことからしばらく離れた時、ふと「書いてみたい」と思った。
きっかけは、単に時が癒してくれたのかもしれないし、いろんな人の記事を目にしたからかもしれないし、いつまでも下書きに入っているソレが少し可哀そうに思えたからかもしない。

下書き状態のままほったらかしになっていたものを引っ張り出して、続きを書いてみた。自分でも驚くくらい自然に指が動いて、どんどん言葉が紡がれていった。まるで話しているように。声に出すのと同じリズムで、タイミングで、画面上に文字が表示されていった。

楽しい、と思えた。
これを読んでみてもらいたい、と思えた。
書くことが、好きだった。

記事を公開して、「すてきだね」って言ってもらえて、次に書きたいテーマが思い浮かんで。
もうわたしの中の「書くことへの恐怖」は、消え去っていた。

「たまにはゆるいのも書いていいと思うよ」

ある人から言われたことがある。
最近noteを爆速で書いていて(昨日は4記事書いていた。ウケる。)、「takaren advente note」なんていう謎なものも始まり、通勤中はスマホでnoteを書き、フリースクールでも生徒が来るまでは記事を書き、人との待ち合わせてあいた時間にもずっと書いていた。
そしたら、「大変やろ」と声をかけていただいた。

「たまにはゆるいのも書いていいと思うよ」と言われ、まず思ったのは、

ゆるく書く、ってなんだ?

ということだった。
書いたものを褒めてもらうことも増えて、自分が納得できるクオリティのものを出せるようになった自負もある。
いまは、人生で一番と言っても良いくらいに書くことが楽しい。もっと書きたいと思う。書けば書くほどアイディアがうまれ、誰かの記事を読めば即座に自分だったらどう書くだろうと考える。

ゆるく、書く

「ゆるく書く」ことについて考えて、いろいろと定義をしてみて、そもそも定義をすること自体ゆるくないなと気づいたりもして、結局答えは見つからなかった。
ひょっとしたら、答えを探さずにいることが、ゆるさへの第一歩なのかもしれない。

ひとまず、やってみることにしようと思う。
まずは、自然体で書くことを続ける。小手先のテクニックや知識ありきの何かではなくて、素直に、自分の中から出てくる言葉を大切にする。
そういうところから、少しずつ「ゆるさ」に慣れていきたい。

ゆるく、書こう。
誰かにちょっとしたプレゼントを渡すように、絵葉書を送るように。
楽しく、やさしく、やわらかく。
遊ぶように、書こう。

あとがき

TOP画像は、運営するフリースクールでのスタッフとの一コマ。ベランダに敷いた芝生が日のひかりを吸い込んで、絶好のお昼寝スポットになる。
うたた寝しがちなスタッフのゆるさは、いつもわたしをホッとさせてくれる。
ゆるく行こう。ゆるく生きよう。

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