触角
……昔、俺の目の前に、触角があったのだ。
いつ見てもピコピコと動く、実に気になる、触角。
いつも予期せぬ動きで、目の前を踊る触角。
いつしか、毎日触角の動きを確認するようになった。
数学の授業中、ふいに触角がくるりと向きを変えた。
……へえ、触角には、顔がついているのか。
「ねえ、この問題、わかる?」
一言二言、言葉を交わしたのち、触角はいつもの位置に戻った。
俺の目の前の、触角。
いつ見てもピコピコと動いていて、実に気になる、触角。
予期せぬ動きは、いつしか予想できる動きへと変わった。
予想できない触角の動きをみるのが、楽しみになった。
英語の授業中、ふいに触角がくるりと向きを変えた。
……なんだ、触角の顔が、笑っているぞ。
……笑うと、ずいぶん愛嬌のある顔になるんだな。
「ねえ、ここの訳、間違ってるよ、正しくは、こう。」
一言二言、お礼を伝えたら、触角はいつもの位置に戻って、いくぶん陽気に、はねた気がした。
……俺の目の前から、触角が消えてしまった。
いつ見ても目の前でピコピコと動いていたのに、離れた位置に行ってしまった、触覚。
離れた位置から、触角を確認した。
相変わらず、自由気ままに揺れているようでなによりだった。
だが、なんとなく、物足りない。
どうも、毎日が、つまらない。
美術の授業中、ふいに触角がやってきた。
……なんだか、触角の顔が、緊張しているみたいだぞ。
……いつもみたいに、笑っていたらいいのに。
「ねえ、ペア、組んでもいい?」
触角をきっちり描いてやったら、触角の持ち主はやや憮然とした様子で、自分の席に戻って行った。
俺の目の前に、触角がやってくるようになった。
暇があれば、俺の目の前でピコピコと動く、元気いっぱいの触角。
間近で触角を確認してみた。
つまんで伸ばしたら、人差し指でチョンとでこをはじかれた。
授業後、校門のところで触角が揺れていた。
……なんだ、触覚が風に揺れて大変なことになってるぞ。
……早くそばに行って、ちぎれそうになっている触角を、抑えつけなければ。
「ねえ、一緒に帰ろ!」
強風にあおられる触角を時折そっと抑えつつ、家まで送り届けるようになった。
俺の目の前で、元気いっぱいに揺れる触角。
晴れている日も雨の日も、笑った日も泣いた日も、いつも俺の横で揺れていた。
何度も、触角に触れた。
何度も、ポカポカと胸をたたかれた。
たまに、触角ごと、ぎゅっと、抱きしめた。
たまに、触角に、ぎゅっと、抱きしめられた。
やがて、触角はしっぽになった。
元気よく飛び跳ねるしっぽから、目が離せなくなった。
元気のないしっぽを見ては、心から心配をした。
しっぽは元気に跳ねているだろうかと、毎日心を寄せた。
俺はしっぽが、気になって仕方がなかったのだ。
しっぽの横で、チャンスをうかがう日々が続いた。
しっぽをゲットするために、俺は毎日、笑顔を届けた。
しっぽをゲットしなくちゃいけないのに、しっぽに呆れられる日もあった。
しっぽをゲットできなくなるんじゃないかと、あせった日々もあった。
しっぽは、いつの間にか娘のおもちゃになり、息子のおもちゃになった。
しっぽは、長くなったり、短くなったり、色が変わったり……見ていて実に飽きない代物だった。
しっぽは、丸くなったり、リボンで飾られたり、時には華美にカーブを描いたり……いつまでも見ていたい大切な宝物だった。
しっぽは、だんだんと元気をなくしていった。
いつしか、しっぽはなくなり、白い髪が、力なく横たわるようになった。
俺は、愛する妻の髪を、ゴムで結んだ。
……ずいぶんぶりに見る、触角。
「はは、俺の大好きな、触角だ……!」
「おじいちゃん、何やってるの?」
病室の、白い空間に、俺の触角が……とても映えていた。
真っ赤なリボンをつけた、元気のない、触角。
ただ昏々と眠り続ける、動くことのない、触角。
すっかり色の抜けた触角は、元気に跳ねることなく、俺の前から、永遠に、消えてしまった。
俺の愛した触角は、空へと、帰ってしまった。
……もう、俺の愛する妻はいないのだ。
「おじいちゃん、髪むすんで―!!」
孫娘の髪を結びながら、俺の愛した触角を思い出す。
「今日は触角でいいかい。」
「触角って言わないで!!ツインテールって言うんだよ!!!」
孫娘に怒られながら、俺は愛する妻を思い出す。
そうだなあ、触角ってからかうたびに、いつもぽかぽかとやられたんだった。
「は、ハハハ!!!そうか、ツインテールか!!」
目の前で元気よく揺れる、ついんてぇるを見ながら。
俺は愛する妻との日々を思い出し、大きな声で……笑った。
ツインテールを触覚っていう人、わりといますよね…。
最近のツインテールはゴージャスでいいよねえ♡
↓【小説家になろう】で毎日短編小説作品(新作)を投稿しています↓ https://mypage.syosetu.com/874484/ ↓【note】で毎日自作品の紹介を投稿しています↓ https://note.com/takasaba/