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こんにちは!
店舗運営の悩みを解決し高収益店舗を作るコンサルタントの福島です。
飲食店・美容室・携帯ショップ・アパレル・スーパーなどの小売・サービス業などの店舗を構えているお店に対して、売上UP・収益UP・スタッフ育成・店長育成・マネジメント教育・経営のサポートなど今まで私が培ってきたものをご提供するサービスとなります。

店舗運営をしていると日々たくさんの悩みがあると思います。
その悩みを少しでもお聞きし、私のノウハウを使って
少しでもお手伝いが出来たらという気持ちです。
↓各種SNSなどのリンクを貼っております↓

それでは、簡単に福島孝志の自己紹介をさせていただきます。

・熊本県八代市出身(八代亜紀さんの地元)
・小学校6年生でデブになり兄の友達からドラえもんと言われる
・中学校ではモテずに隠キャ生活
・女性が多い商業高校へ入学
・高校1年生の時に痩せて高校デビュー
・友達の妹にと付き合い、友達とモメる
・友達の彼女の妹と付き合ったが、仲良かった
・高校卒業後、滋賀県のダイハツ工業に就職
・友達の彼女にちょっかい出したと因縁をつけられ元ヤクザに殴られる
・1年後、また女にちょっかい出したと因縁をつけられ坊主にさせられる
・夜の世界に興味を持ち、京都の祇園でホストになる
・車にハマり、16アリスト購入し改造に1,000万円かける
・数々の雑誌に掲載され、少し有名になる
・数々のイベントで優勝しトロフィーをたくさんもらう
・未来が見えなくなり、ダイハツ工業を退職
・埼玉へ来て、体を鍛えるために鳶職へ転職
・芸能関係に興味を持ち、芸能事務所に入り俳優の道を選ぶ
・麻雀にハマり、プロを目指す
・ニートで毎日ゲーム三昧の日々
・ゲームでお金儲けを知りゲームで稼ぐ
・家の近くのソフトバンクショップに時給1,000円のアルバイトで入社
・入社して2ヶ月で未経験からトップ販売員に
・過去最速で社員になる。
・社員が横領し、発覚後にみんな辞めて10人規模のお店に2人になる
・数々の結果を出しアルバイトから過去初の部長(No.4)へ昇格
・店舗ビジネス(小売、サービス、飲食業)向けのコンサル業をスタート

そして現在に至るという感じです。
壮絶〜

ホスト時代

20歳くらいの時は夜の世界に興味を持ちホストになりました。
当時の宣材写真はこちらです。
※20歳か21歳くらいの時です。

いやー若いです。若い!!
顔も幼い感じだったので少し上の女性からは人気でしたよ笑
ダイハツを辞めることは親が許さなかったので、ダイハツで工場勤務をしながらホストに通う日々でした。
滋賀県は本当に田舎で歩いて駅まで行けるほど近くもないため、駅まで車で行き、そこから車を止めて京都まで行って朝9時か10時くらいに終わってそこから家に帰る感じで、相当きつかったのを覚えてます。
キャッチして連れてきたお客様にテキーラをグラス一杯一気しろと言われて一気させられたことは今でも覚えてます。
マジで最悪で2度としたくありません。
そんなこんなですが、そこのお店のトップの人らに騙されました。
どうしても会社を辞めて一本にさせたかったんでしょう。
わざと自分のお客様なのに、私に電話させ相談をさせる手口でした。
人のお客様を取ったり連絡することはタブーなので本当は電話が来たら伝えること、電話を出ないことが普通ですが普通に相談に乗ってしまったのです。
それがバレて、責任を取るか会社を辞めてホストになるかのどちらかでした。
それで一気にやる気が失せ、飛ぶことを決意。
飛ぶことは決意でもないか(笑

アリストに改造費1,000万円時代

アリストに改造費を1,000万円ほど掛けました。
今となってはアホという言葉で終わりますが、当時はかなりカッコいいと自分で自画自賛しているほどでした。
仕事は車のためで、お金がなくなるほど使っていました。
当時タバコを吸っていたんですが、タバコすら買えずに彼女に買ってもらったりするほどです。

しかし、メリットもありました。
改造して有名になれば有名雑誌に載ったり、知り合いが増えていったり。
今となればビジネスにならないなら全く価値がないですが。
ですが今でも連絡取り合う人もいるので完全にムダではなかったと思っています。

載った雑誌は
・VIP STYLE
・VIP CAR
・egg

VIP STYLEやVIP CARは何回も載せてもらうことができました。

VIP CAR

ここは埼玉県の埼玉新都心で撮影しました。
プロのカメラマンが撮影するので超カッコよかったです。
埼玉に来て少し経ったくらいなので24歳とか25歳の時ですね。

VIP STYLE

VIP STYLEは女優を使っていつも撮影をしていて、当時は神谷えりなさんでした。
ここに4ページの見開きを飾ることができました。

egg

ギャル雑誌のeggにも掲載されました。
本当にこう見るとチャラ男だったなとつくづく思います

ニート時代

埼玉へ上京し、鳶をしていましたが辞めた後は何もせずニート暮らし。
本当にやることがなく毎日ゲームをしていました。

当時、ワンピースのグランドコレクションというゲームが流行っていて
そこに乗っかってガラケーでゲームをしていました。
慣れることはそんなに遅くないため、すぐにゲームもできるようになり
そこから極めるためにトレードを勉強したり、少しでも上手くやれる方法を見つけるようになりました。

トレードも上手になり、レア度の低いキャラクターでも上位キャラクターが取れるようになったりすることでお金をかけずにアイテムを手に入れることも容易になりました。

当時はメルカリなどなく、ヤフオクが主流の時代でソシャゲの売買もそこまで厳しくなかったのでフィギュアを1体数万円で売ったりしていました。
知らず知らずのうちにゲームでお金が稼げるようになっていたんです。

しかし、このままではダメだ。。
と思ってゲームをやめて就職の道を選びます。
本当はここで独立していれば良かったんです。。
当時は2013年。ちょうどヒカキンが有名になったタイミング。
しかしこの時は頭も悪かったので自分でビジネスをやる概念がなかったことが後悔しています。
今なら言ってあげたいです。
絶対に自分でビジネスやれって。
そうすれば絶対に今の自分はもっと上に行けていたはず。
挑戦できるタイミングに挑戦しないと一生後悔します。

ソフトバンク代理店時代

家の近くにソフトバンクショップがありました。
営業をしたことがなかったのと、携帯も苦手でガラケーだったので営業職か携帯ショップの2択でした。
その時にどっちが良いのか?と考えた時に携帯ショップの方が家族に教えることができると思って携帯ショップに行きました。

携帯ショップに入社するまで自分はただの田舎もんで、車好きで本当に何も持っておらず、ただのロン毛のチャラ男でした。
当時の私の武勇伝は、面接の時にTシャツ、ジーパン、カラコン、ロン毛で面接に行ったことです。

これでよく受かったな。って思います。
今であれば絶対に入社できませんでしたけどね笑

私はただの工場勤務、鳶の経験者で、もちろんビジネスはできない、営業活動もしたことない、スマホすら持ってない。
ないない尽くしの状態で当時は25歳でした。
更には、当時の奥さんのお腹の中には子供がいました。
その状態でニートも相当ですよね。。
お腹に子供がいるのに、仕事させていて自分は仕事もせずに朝から夜まで毎日ゲームしてたんですよ??
なかなかのクズ人間ということだけはご理解できると思います。

入社当時の写真

いやー若いですね。
一応髪は切りましたが、ちゃんと接客業らしい髪型ではなかったです。
当時は青のカラコンしてて、Twitterに書き込まれて大問題になったことは今でも覚えています(笑

入社後、2ヶ月で販売はトップになりました。
この当時はまだソフトバンクの運営も2店舗しかなく、入社して1ヶ月くらいで3店舗目が出来たくらいの会社でした。

仕事はどんどん楽しくなり、1位は当たり前になりました。
そこからどのように継続していくか、自分の力を発揮していくかにフォーカスして日々取り組んでいました。
当時、アルバイトから入社する人がほとんどで社員になるのには1年以上は当たり前で2年から3年掛かる人もいましたが、私は過去最短の半年で社員になることができました。

私の性格上、ハマったらとことんやり続けることが強みなのでそれが活きました。
そこから実績もどんどん上がり、それに比例して会社の業績も良くなりお店も増え続けました。
私も入社して1年ちょっとしたタイミングで実績低迷しているお店の店長を任されました。
そこから結果を出して次のお店の立ち上げをしてどんどん立ち上げに成功。

ソフトバンクからも成功事例としてたくさん取り上げてくれました。

また、商業界という雑誌に2度掲載していただきました。

1回目の商業界

当時、店長の時です。
私にフォーカスというよりも会社にフォーカスされていてそこの代表として私にオファーしていただきました。

2回目の商業界

2回目は見開きで掲載していただきました。
車雑誌には何度も掲載されていましたが、ビジネスマンとしての雑誌掲載はなかったので非常に嬉しかったです。
実績を出し続けることで周りに良い影響を与えることができて、更には自分の価値が上がっていくことを非常に感じました。


そこから更に新しい挑戦も。
他の運営している売れていないソフトバンクショップのお店を買い取ってそれを自社で立ち上げたりと新しい取り組みにも成功。
半年で完全に立ち上げることができて、部長に昇格。
アルバイトから部長は過去初だったため私も非常に自信になりました。

それで終わりではなく、今までの概念を覆すことをモットーに取り組みました。
ソフトバンクを運営していると運営している会社がランク付けされており、Sランク、Aランク、Bランク、Cランク、Dランクになっています。
これが下がるとお金が入って来なくなりどれだけ販売しても全く利益が出ない状態です。
当時はBランクになってしまっていたところ、私が就任してSランクまで引き上げに成功。
部長になって退職までの3年間、一回もAランクに落ちることなくSランクを継続することができました。

本当に思うのは後発であろうと、先に行っている人を超えることは出来るということ。
みんなと同じことをやっていては誰も見向きもしません。
みんなができないことが出来るようになったり、
気付いてないことに気付いて先手を売ったりすること。

ビジネスの世界でもそうですが、レッドオーシャンなのに自分が参入しても誰も見向きもしないのと同じですよね。
レッドオーシャンであろうとも、みんなが目を付けてないところに目を付けて入り込むかどうかだと思います。

そうすることで会社では重宝されるようになるし、そりゃ結果も出るし給料も上がりますよね。
当たり前に出来るほど簡単なことじゃなかったですが、いかに目の前のことに本気で取り組み、1秒1秒を大切にすることだと思います。


コンサルティング業へ独立

2022年に会社員を辞め、コンサルティング業界へと参入しました。
もうコンサルと言えば無数にコンサルタントがいる時代です。
今更?
と思うでしょう。
絶対成功しないって思うでしょう。
自分もそう思いました。
今更遅いって。

では何故私がコンサルティング業をしようと思ったのか?
世の中、店舗型ビジネスを運営しているお店は相当多いですが、なかなか売上が上がらない、集客がない、スタッフが育たない、幹部が育たないなどたくさんの悩みがあります。

接客を受けていても、「もっとこうしたらいいのに」って思うことがほとんどです。
ちゃんと教育を受けてそうなっているのか、受けてなくてそうなってしまったのかそれは分かりませんが、もやもやすることが非常に多いんです。

私が勤めていた会社は本当にそういうことがなく、素晴らしい会社だったためそういう悩みは少なかったです。
上記の悩みを、私が関わることで解決したいと思うようになりました。
接客の素晴らしさ、お客様からのありがとうの価値、自分の会社で働く理由などたくさんの価値があります。
それを私が伝えていきたい。
私が伝えることで会社様、会社で働くスタッフ様を変えたい。
そんな風に思っています。

コンサルって胡散臭いって思う人が多い世の中です。
偽物のコンサルであれば胡散臭いでしょう。
実績もないのにコンサルだけ名乗っていたり。
ちょっと出来るようになったからといって出来る気でいたり。

私も完璧ではありません。
まだまだ成長段階です。

そのため、店舗型ビジネスで悩む会社様と一緒に私も成長していきたい。
そんな想いで事業を運営していきたいと思っています。

自分の考えに共感し、一緒に仕事がしたいと思ってくださるクライアント様と成長していきたいと考えております。
その分、絶対に企業を成長させるとお約束させていただきます。

Positive impact
これは「良い影響」という意味です。
前職の経営ビジョンの一部ですが、私と関わってくださる方に良い影響を与えたいという想いから付けました。

自分が関わったことで企業が良くなったり、潰れそうなお店が立ち直ったり、人間関係が希薄な会社が明るい会社になったり。
自分が関わったことによって何かプラスになるような関わりが出来ることを心から願っております。

今、お店を運営していて悩みがある企業様は是非ご連絡いただければと思います。

こちらにホームページや各種リンクを貼っております。
ホームページには多数のコラム記事を作成しているので是非ご覧になってください。

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