「底辺の結束力」と昔のインターネット

信じているものがある。

「底辺の結束力」だ。

簡潔に説明すると。

エリート同士が競争する現代では周りに仲間などいない。全員ライバル。出し抜かれないように蹴落としていく。それが底辺同士ではどうだ。競い合うことがない。だから信頼することが可能なのである。

「カイジ」という漫画はこういうテーマであり、おいらの好きな漫画だ。

主人公のカイジは、借金を返済すべく底辺が集められたゲームに挑む。互いに騙し合う底辺たち。しかしカイジは仲間に裏切られてもなお信頼し続け(ときには信用してもらうためにお金を渡す(!!))、「金は命より重い」と演説するエリートの利根川と戦い、勝利する。利根川の数々のセリフは有名だ。「正論」だと言う人も多くいる。それはこの漫画のアンチテーゼが現代人のメインストリームだからである。


さて、この「底辺の結束力」があったのが、昔のインターネット。

職なし友なし彼女なし。そんな奴らが唯一楽しめる「裏」の世界だった。俺はそれが好きだった。実際面白かった。

今はどうか?   インターネットは現実の延長線上にある。誰もがsnsを駆使し、まとめサイトを見てる。本人が見てないからといって誹謗中傷することも、できなくなった。

底辺の居場所はない。インターネットでも馬鹿にされている。「普通」「勝ち組」の奴らが来たから。そして奴らは、インターネットでは面白くなかった。

インターネットがつまらなくなった。

かつての、底辺が生き生きしてる様子はない。2チャンネルでの一体感はもう生まれない。祭りは終わった。誰もが、自分より下を見つけようとしている。

こども部屋おじさんは、どうしたらいいのだろう。

忘れないでほしい。今、あなたがインターネットを楽しんでいるとしたら。それは昔、底辺たちが集って築きあげた、文化の名残だと言うことを。

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