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これを読めば「ホスピタリティ」という言葉について誰かに伝えたくなる話。1

私はいま、人との接し方(もっと言えば、生き方)に大きなビフォー&アフターをもたらす「ホスピタリティ」という言葉をあなたと共有したくて、このnoteを書いています。仕事におけるお客様、ともに働く職場の方々、そしてプライベートでは家族や友人・知人…。私たちは日々たくさんの人と接して生きていますが、楽しくもあり面白くもあり、しかし一方では悩みのタネともなるのが人間関係です。まずは続きをご一読ください。この素敵な言葉と出合った私がそうであったように、あなたもきっと「あ、そっか~!」と肩の力が抜けて、人とのスタンスの取りかたに心のゆとりが感じられるようになるはずです。そして、読み終えたあとで顔を合わせた「誰かさん」に、いつもより2割増のスマイルを見せているに違いないと確信します。


■「痛いの痛いの飛んでけ~」は、なぜ効くのか?

公園で走り回っているうちにつまずいてしまい、ステ~ンと転んで泣き出す子ども。すぐにお母さんが駆け寄って来て抱き起こし、服のホコリを払い、ひざについた砂を息でフッフッと吹き飛ばし、「痛いの痛いの飛んでけ~」とおまじないをかける。すると子どもは泣き止んで、ほっぺたの涙をグイッと拭いて、また元気に駆け出して行く…。
 
天気のいい休日の公園などでこんなシーンを見かけると「自分も幼いころ、同じようにしてもらったことがあったよな~」なんて思い出したりしながら微笑ましい気持ちになります。「痛いの痛いの飛んでけ~」というおまじないは英語圏にもあって、“Pain, pain, go away!” と言うそうです。以前、ある医薬品メーカーのCMで、英語のほかスペイン語やタガログ語にも同じ表現があると紹介していました。試しに、ネパールとベトナムから来た留学生に尋ねてみると、それぞれ「私の国でもそんなふうに言いますよ」との返事。
 
どうやら世界各地にあるらしいあのおまじないは、なぜ効くのでしょうか。
 
「痛みは、電気信号が神経経由で変換されて脳に届き、それにより知覚される現象に過ぎない。転んで少々ひざを打った程度の痛みなら、親にかまってもらっているうちにすぐ薄れ、意識の上でも忘れてしまうのだ」なんていう自然科学的な答えは脇に置くとして、私はこう思います。
 
「痛い」と訴えたことを親がちゃんと気にかけてくれて、「そんなの大したことないじゃん…」などと軽くあしらわずにそのまま受け容れてくれて、砂を払っておまじないをかけ、痛い思いから立ち直る手助けをしようとあれこれやってくれたから。
 
ここにあるのは、お母さんからわが子への「①誠実な関心、②受容と尊重、③ハピネス(幸せ感)が高まるための支援」です。そして、この3点セットが「ホスピタリティ」と呼ばれるものを形作っているのです。詳しい話は、また後ほど。

■「日本のホスピタリティは、アメイジング!」

インバウンド(海外から訪れる旅行客)の増加とともに耳目に触れることが増えた言葉、「ホスピタリティ」。街頭インタビューでマイクを向けられた外国人観光客が「どこに行っても、日本の皆さんのホスピタリティはこまやかです。アメイジング!」などと(多少のリップサービスを含めて)コメントする…。かたや、インバウンドを呼び込みたい観光庁と旅行業協会が「訪日客の目線でホスピタリティの質を高めよう!」というテーマでシンポジウムを開いた…などなど。そんな文脈で使われている、この言葉。
 
新約聖書『ローマの信徒への手紙第12章13節』に、「Practice hospitality.(手助けを必要とする人々にホスピタリティを実践するよう努めなさい)」と説く箇所があって、キリスト教文化圏では古来よく知られた言葉です。日本のホテルやレストランにおいても、私の知る限り少なくとも50年以上前から接客サービスの基本理念となるキーワードとして語り継がれ、教え継がれて来ました。
 
とはいえ、まだまだ日本ではなじみが薄く、(浅学の私が言うのはおこがましいのですが)勘違いしたままこの言葉が用いられていることも少なくないと感じます。そうした勘違いを軌道修正する意味も込めて、少し掘り下げてみることにしましょう。

■「おもてなしの心」というよりも、「天使のイタズラ心」

東京オリンピック招致に向けたプレゼンテーションで、滝川クリステルさんが世界にアピールした「お・も・て・な・し」。印象的なパフォーマンスで話題となりました。「海外から訪れる選手団や観客やメディア関係者を、私たちならではのこまやかさで親切に温かくお迎えします。だからぜひ日本で開催を!」と訴えかけたわけです。
 
実際、オリンピック&パラリンピックで日本にやって来た方々からは、それこそ「来てよかった。アメイジング!」という感嘆の声がたくさん上がり、選手やメディア関係者らが自分たちの感動をSNSで次々に発信してくれる結果となりました。食事、交通機関、コンビニ、さらにはトイレまで、実にさまざまな部分にスポットライトが当てられていましたよね。
 
滝川さんが用いたとおり、一般的に「おもてなしの心」と訳されていることが多い英単語hospitality。確かに“そのようなこと”ではあるのですが、ひとことで日本語に置き換えるのが難しい、とても豊かな意味を包み持っている言葉です。「おもてなしの心」という訳語を充てた方は、さぞや苦慮されたに違いありません。ちなみに私は、次のように理解しています。
 
相手のハピネス(幸せ感)が高まるための“仕掛け人”になれたらいいな…と願って行動し、結果として相手が喜んでくれたことを自分も「ヤッター!」と一緒に喜ぶ心のありよう。
 
なんとなく伝わったでしょうか。20代の後半にこの英単語と出会い、理解と実践を試みること30数年となった私ですが、自分なりに渾身の力でギュッと圧縮してもこのくらいの文字数になってしまいます。
 
大学、ホテル専門学校、看護学校の授業で話すときには「心を開いて相手に誠実な関心を寄せ、ありのままに相手を受け入れて尊重し、相手のハピネスが高まる役に立つことを喜びとする姿勢」などと、少しアカデミックに説明しています。先ほど「痛いの痛いの飛んでけ~」のところで一度お伝えした①誠実な関心、②受容と尊重、③ハピネス(幸せ感)が高まるための支援という3点セットです。
 
で、もし学生の表情に「え?」という様子が見えたときには「ヤッター!」バージョンで再度説明。さらに短くポップに表現するならば「相手に喜んでもらおうとあれこれ考えながら行動する、いい意味でのイタズラ心。天使のイタズラ心」というイメージで私は捉えています。
 
もっとも、イタズラ心という言葉のニュアンスを誤解されてしまってはいけないので、学生の皆さんに伝えるのは「ヤッター!」バージョンまでとしていますが。

■あなたも、ホスピタリティを山ほどカタチにしている

ともあれ、それは難しい特別なことなんかじゃありません。今これを読んで下さっているあなたも、数え切れない人に、数え切れないくらいホスピタリティを発揮し、ハピネスのタネを贈り続けていらっしゃるはずです。
 
「あの人に少しでも喜んでもらえれば…」と自分なりに思いを巡らせて行動したら、相手がとても嬉しそうにしてくれた。それを見て、自分のほうも満たされた気持ちになった…。こんなパターンを、あなたも山ほど経験していらっしゃいますよね。
 
たとえば「画用紙にクレヨンで“じいじ&ばあば”の絵を描いて敬老の日に渡したら、凄く喜んでもらえて嬉しかった」といった、幼い頃のエピソード。あるいは、デリバリーのピザを受け取るさいに配達員さんの額に汗が浮かんでいるのに気づき、「暑いなか、お世話さまです」声をかけたところ、「こちらこそ、いつもご注文ありがとうございます!」と満面の笑みで返事が返ってきてホッコリした…などなど。
 
もし、幼い頃から今日までのあなたの日常生活が神様or仏様によって丸ごと動画に収められているとしたら、それを再生しながら無限に実例を挙げられるに違いありません。

■「ハピネスの仕掛け人」は、やめられない

「相手のハピネスが高まる“仕掛け人”になれたらいいな…」などと意識していようがいまいが、ともあれ私たちはそうやって毎日ホスピタリティを発揮しながら(また周囲からも発揮してもらいながら)お互いさまの人生をつむいでいるのです。
 
なお、ホスピタリティは、「優しさ」や「思いやり」などの概念とも少し違います。「相手のハピネスのために、良かれと思って」という利他の心情にとどまらず、「喜んでもらうことを自分も喜びたい」というニュアンスです。相手の「ヤッター!」で、自分も「ヤッター!」とシンクロ。だから一度ハマるとやめられなくなるのですよ、仕掛け人は…。
 
ホスピタリティを発動させ、「ハピネスの仕掛け人」となって「天使のイタズラ心」をサクっと発揮してみる。すると目の前にいる“その人”が、嬉しそうな楽しそうな、感動したような様子を見せてくれる。するとその様子を見ているうちに、仕掛けた自分までが嬉しくなって楽しくなって、感動を味わわせてもらえる…。テーマパークのキャストさんたちが、正社員に登用される保証はないにもかかわらず何年も、あるいは10何年もイキイキと働き続けていられる理由のひとつは、ここにあるのかも知れません。
 
「何かをしてもらおうとするから、つらくなる。何かをしてあげようとするから、ハッピーになれる」
 
中谷彰宏さんの著書『本当の自分に出会える101の言葉』からの一節です。

■訳さずにホスピタリティだなんて、「欧米かっ!?」

さて、そんなhospitalityに、どなたかが充ててくれた「おもてなしの心」という訳語。それを知りつつも私は、2001年にホスピタリティ開発トレーナーと名乗って起業した時から今日に至るまでずっと、あえてホスピタリティという横文字のまま語ったり書いたりして来ました。
 
なぜなら、「おもてなし」という言葉を聞いた瞬間、反射的に私たちの脳裏に浮かぶイメージが「お客様に対する心こまやかな接遇・接待」となってしまうからです。
 
敬老の日に絵を描いて贈った相手は、“お客様”ではなく自分の祖父母ですよね。ねぎらいと感謝のメッセージを贈った相手はピザの配達員さんであり、この場合、むしろ自分のほうが“お客様”ですよね。
 
このように、私たちがホスピタリティを発揮する相手は、外部からやって来るお客様だけではありません。共に働く職場の方々や友人知人、パートナーや家族、ご近所さん、そしてたまたま“袖すり合った”見ず知らずの人を含めて、自分が接するすべての人です。相手が誰であろうが関係なく、いま自分の目の前にいる“その人”です。いつでもどこでも誰に対してでも発揮できるのが、ホスピタリティなのです。
 
私が「おもてなしの心」という訳語を使わず横文字のままにして来たのは、そんな理由からでした。

■“営業時間”の長い「ハピネスの仕掛け人」へ

私たちは毎日さまざまな人と関わり、さらなる出会いを重ねながら暮らしていますが、どうせなら “その人”との接点をお互いにとって気持ちいいもの、楽しいものにして過ごしたいですよね。ギスギス感、トゲトゲしさ、コミュニケーションの“かさつき”。そんなのは、できる限り解消して行きたいですよね。
 
しかし、残念ながら…。
 
仕事上のお客様など、いわゆる「よそさま」には精一杯いい顔を見せているのに、ともに働く後輩たちにはいささかしょっぱい対応をしていたり、ともに暮らす家族の前では「何のトクがあるの?」とでも言わんばかりにハピネスの仕掛け人を“休業”していたり…。こういうもったいないケースがあちこちで見られます。せっかく私たちは、いつでもどこでも誰に対してでも発揮できる「天使のイラズラ心」を等しく宿しているのに。
 
では、一体どんなマインドセット(心の持ちよう)にしたら、自分のホスピタリティをもっと自然にサクサクと発揮できるのでしょうか。どうしたら、もっと守備範囲が広くて“営業時間”の長い「ハピネスの仕掛け人」でいられるのでしょうか。
 
この続きは、「誰かに伝えたくなる話。その2」で。

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