見出し画像

『感情って何?』に対する私の答え。カウンセリング心理学を徹底的に分析した結果。

はて、
そもそも『感情』とはいったい何なのでしょうか?

私は、
少年時代、青年時代、
『感情』に振り回され続けていました。

ここでは道中のことは省きますが、
20代後半で、カウンセリング心理学に出会い、
まず、頭でいろんなことを理解し、
そして、体感することで、完全に腑に落としていきました。

心の仕組みというか、
思考と感情の関係性というか、
そこら辺の基礎知識を、
学びました。

少年時代、青年時代、
『感情』に振り回され続けていたときに、
私の体の中で、
いったい何が起こっていたのか、
その答えが、わかりました。

そして、
理解したことを、
自分の中で、
わかりやすく、よりシンプルな形に整理整頓しようと思いました。

カウンセリング心理学を、
もっと身近に、
『感情』についての基礎知識を、
もっと身近に、
いろんな人にわかりやすい形にしようと試みました。

その先で辿り着いたのが、
「感情を色で表す」というやり方です。
私の中で、
凄くわかりやすくシンプルな形。
冒頭の写真(画像)です。

あらゆる『感情』は、
突き詰めると、
4つの「感情の元素」に辿り着くのです。

「喜・恐・怒・悲」

(突き詰めると4つの感情に行き当たるのは、カウンセリング心理学を分析するとそうなるからで、そこに色を当てはめるという点が、私が勝手にやっていることです)

『喜』は、透明です。
そして、色の三原色が、『恐・怒・悲』です。
『恐』は、黄色です。恐怖の感情があるから、危険予測ができるようになります。危険予測といえば、⚠️のマーク。黄色ですね。
『怒』は、赤です。「ハラワタが煮えくり返る」という表現があります。🔥炎、赤ですね。
『悲』は、青です。気持ちの表現として「ブルーになる」というのがあります。青ですね。

「?」
「そこに何の意味があるの?」

という疑問を持たれそうですが、
そこに、
心の循環を保つヒントが、
心の素直さを失わないためのヒントが、
心が反転しないためのヒントが、
あるのです。

私は、
この先、
このことを、
発信し続けていこうと思っています。
いろんな切り口で、言葉にしていこうと思っています。

今日は、その第1歩です。
それでは、
具体的なところを、
説明してみたいと思います。
今日は、
「健康管理」という切り口で、スタートしていきます。

その前に、もう1枚、シンプルな画像を。

Ⓒミヤボ



「健康管理」

これはとても大切なことだと思います。
肉体の健康や、内臓の健康について、
テレビや書籍等で
昨今よく語られていますね。

そんな中、
私は「心の健康」について言いたい。

人の体において、
「循環」することって大事ですよね。

血のめぐりであったり、
食べることも、
「循環」ですね。
それでいうと、
便秘は、循環が滞っていると言えます。


私は、
「心の健康」においても「循環」が必要だと、
声を大にして言いたい。

具体的にいうと、
何か出来事があると、
心に「感情」が湧きます。
その「感情」を、
きちんと消化して消滅させることができれば、
心の循環は成立、
といえます。

ゲームのテトリスをイメージしてもらうと、
分かりやすいかもしれません。

心の循環が成立すれば、
心の健康は保たれていると言えます。
心の健康が保たれているとどうなのかというと、
例えば、

・どんな場面においても、心に余裕がある
・日々、心がスッキリしている
・素直な心を保っている
・人の不幸を素直に悲しんだり、人の幸せを素直に喜んだりできる
・過去を引きずっておらず、「今」に集中できる

と、そんな感じです。
では、
その逆の、
心の循環が成立しない場合とは、
どんな様子なのか?

心に湧いた感情が、
消化されないまま、心の中に居座り、
心の健康を害していく…。
便秘みたいな感じです。
具体例をあげると、

・嫉妬心を引きずり、卑屈になったり、あら探しをしたり
・極端に緊張する癖が身に付いたり
・焦ってしまうことが多く、事が進まない
・イライラしがち。まわりとの温度差
・かたくなに何かに執着してしまう
・極度な依存心
・無気力が続く
・不安だらけで何も手につかない
・日々に支障が出る程の劣等感
・日々に支障が出る程の未練
・なげやりになったり、かんしゃくを起こしたり
・人をあわれんだり、極端な優越感に浸ったり

などなど…。
抱いた感情を、
きちんと消化できず、
ズルズルと引きずっている状態。
(とはいえ、多少のそれは、生活する上で、特に問題はないと思いますが)


さて、
感情をきちんと消化するにはどうすればいいか?

感情をきちんと消化するには、
「感情を正確に把握する」必要があります。
正確に言葉にする必要がある、と言ってもよいかもしれません。

どういうことかというと、
例えば、
「嫉妬心」を抱いたとします。

テレビで同年代の子が活躍してチヤホヤされている。
自分の感情を言葉で表現します。
「今自分は誰々に嫉妬している」
この表現、
事実とは言えるでしょう。
間違ってはいません。
しかし、
感情を正確に把握しているとは言えないのです。

どういうことか??

そもそも、
人の心に湧く「感情」、
いったい何種類あると思われますか?

答えは、
4種類です。
ここを、
「4種類しかない」と断言してしまうところがミソなのですが、

4種類の内容は、
『恐怖(こわい)』
『怒り(はらがたつ)』
『悲しみ(かなしい)』
『喜び(うれしい)』
この4つです。

では、
この4つ以外の、
世の中で「感情」として扱われているモノ達、
例えば、
「嫉妬心」「不安」「同情心」「使命感」「憂うつ」「イライラ」「反発心」「いきどおり」「依存心」「劣等感」「不信感」「落胆」「無気力」「喪失感」「自責感」「罪悪感」・・・

これらはいったい何者なのか?

これらは全て、
「恐怖」「怒り」「悲しみ」「喜び」
この4つの内、
2つ以上がからまったモノであったり、
(色で表現した意味がここにあります)
この4つを否定した結果現れたモノ、
と言えるのです。


まとめると、
抱いた感情は、
その内容がどんなものであれ、

「何がどのように怖いのか」
「何がどのように腹立つのか」
「何がどのように悲しいのか」
「何がどのように嬉しいのか」

ここまで細分化して、表現することができる、
ということなのです。
そして、
そこまで細分化して言葉にすることが、
イコール、
「感情を正確に把握する」ということなのです。


先程の例「嫉妬心」において、
正確に把握する際の正解例をあげるとすると、
例えば、

「クソッ!あいつばかりチヤホヤされていて腹が立つ!ちょっと演技が上手いからって何なんだ!あの余裕がある感じも腹立つわぁ!クソッ、自分だって!・・・ああ・・・自分はいったい何をしてるんだろう・・・自分だって頑張ってるのに・・・悲しいなぁ・・・」

というような感じです。
怒りを言葉にする、
その段階を終えると、
その奥から悲しみが現れる、
その悲しみを言葉にする。
(恐怖がある場合もあり)(順序はケースバイケース)

『「今自分は嫉妬している」という表現だって、事実なんでしょ?だったらそれでいいじゃん?何でわざわざそこまで細かく言葉にしなきゃならないの?わずらわしいわ!』

という声が聞こえてきてもおかしくないよな、
と、
私自身、
思います。

しかしですね、
そこまで細分化して言葉にすることにこそ、
大きな意味があるのです。

そこが、
感情をきちんと消化できるかできないかの境目なのです。


「何がどのように怖いのか」
「何がどのように腹立つのか」
「何がどのように悲しいのか」
「何がどのように嬉しいのか」

ここまで細分化して言葉にすると、
(あるいは、言葉にしなくても、感じ切ることができれば)
抱いた感情は、
きちんと消化され、
滞りなく消滅します。

すなわち、循環成立。

一方、
「嫉妬している」という把握の仕方で思考を止めていると、
そこから、
「何であいつばかり・・・」と卑屈になったり、
あるいは、
欠点を探そうと、あら探しを始めたり、
という、
冷静さを失った方向へ向かってしまいます。

すなわち、
感情を引きずっている、
感情が消化されていない、
心の健康が害されていっている。

「感情」は何故、
正確に把握すると消滅し、
そうではない場合、
消滅せずに心に居座るのか?


私流の例え話で説明してみます。



ありとあらゆる感情が、
「恐怖」「怒り」「悲しみ」「喜び」の4つに細分化されていくわけですが、
ということは、
「恐怖」「怒り」「悲しみ」「喜び」の4つは、
『感情の元素』と呼ぶことができます。

さて、
この4つの『感情の元素』、
それぞれに、
人格がある、
と例えてみましょう。


4人組の子ども達。

fear君(恐)、rage君(怒)、
sorrowちゃん(悲)、joyちゃん(喜)、
仲良し4人組。

人の心に現れては、
主人からの認知を待つのが日課。

4人には、
それぞれ人格があり、
笑ったり泣いたりの表情もあります。

さて、
Aさんという人が、嫉妬しました。

さあ、
rage君とsorrowちゃんの出番です。

Aさんの心に、
rage君とsorrowちゃんが湧きました。

Aさんが、
心に湧いた感情を言葉にします。

どのように腹が立っていて、
どのように悲しいか、
そこまで細分化して言葉にしました。

rage君は、
主人であるAさんが、
自分のことをちゃんと見てくれて、
わかってくれて、
安心しました。
満足しました。
心置きなく成仏できます。
未練なく、消滅していきます。

sorrowちゃんも同じく、
主人であるAさんが、
自分のことをちゃんと見てくれて、
わかってくれて、
安心しました。
満足しました。
心置きなく成仏できます。
未練なく、消滅していきます。

Aさんの心は、
循環しました。

では、
Aさんが、
心に湧いた感情を言葉にする際、
「自分は嫉妬している」で終わらせたらどうか?

rage君「おーい、僕のこと、ちゃんと見てくれよ。『嫉妬してる』でまとめないでくれよ。僕とsorrowちゃんを一緒くたにしてアバウトに終わらせないでくれよ。ちゃんと僕のこと見てくれないと、僕は死んでも死にきれないよ」

と、
rage君は成仏できずに、
ふてくされて、
Aさんの心に居座ります。

「ちゃんと僕のことを認めてくれるまで、永遠に居座ってやるんだから!」

と、
rage君は怒っています。

sorrowちゃんも同様、
居座ります。

というような感じで、
子供が、
わかってくれない大人に対して、
反発心を抱くように、

「感情」も、
わかってくれない主人に対し、
反発心を抱き、
心に居座り続け、
心の健康を害する原因となっていきます。



さあ、
一風変わった例え話でしたが、

「感情」は、
正確に把握すれば、消滅し、
それができていない場合、
消滅せずに、心に居座るのです。

そこが、
心の健康が保たれるのと、
害されていくのとの、
境目なのです。


さて、
もうひとつ、重要なことがあります。

そもそも、
「恐怖」「怒り」「悲しみ」「喜び」
これらを否定しちゃ駄目だよ、
という点。

優先順位としては、
何よりまずここが重要です。

自分の中に湧いた
「恐怖」「怒り」「悲しみ」「喜び」
これらを、
ありのままに認めてあげる。

すなわち、
「怖くていい」
「腹を立てていい」
「悲しくていい」
「嬉しくていい」
ということ。


ここについても、説明しておきます。
例えば、
「こわい」という感情が湧きました。
その体内の感覚から目をそらさず、
「私はこわい・・・こわい・・・こわい・・・こわい・・・」
と、
その感覚を真正面から受け止め、
そして、
「何がどのように」こわいのか、
細かく言葉を当てはめていく。
「今、自分は、何がどのようにこわい?」
と、
自分に問う。
その感覚にピッタリくる言葉が見つかったとき、
その恐怖の感情(感覚)は、
体内で消滅します。
ちょうどテトリスで、ブロックが揃った列が消滅するように。
(言葉にせずとも、その感覚に意識を向け、浸り、飽きるまで感じ切れたなら、それでもOK)

では、
自分の中に湧いた「こわい」という感情を、
真正面から受け止めることをせず、
目をそらしたらどうなるか?

それこそ、
「こわくない、こわくない、こわくない」と唱え、
時間が過ぎるのを待つ。
そうすると、
その感情は、
心の奥底へ沈んでいきます。
熱を失い、
冷えて固まった状態で、
心の底に居座ります。

そしてそれは、
その後、
物事を「おそれる」というような反応をしてしまう原因となったり、
あるいは、
焦ったり、緊張しやすい、という心の癖や、
不安を抱きやすい、というような心の癖として、
心の健康を害す原因となっていきます。


心に湧いた「こわい」という感情(感覚)、
これを、
どう受け止めていくかによって、
結果が変わってくるのです。

ありのままにそれを認めれば、
スッキリした状態に戻ることができる。
一方、
それを否定すると、
心の健康がおびやかされていく。


ここでまた、
「もしも感情に人格があったら?!」
の例え話をしてみましょう。



Bさんは、
ある出来事で、
恐怖を感じました。

Bさんの心に、fear君が湧きました。

さあ、
fear君は、
主人であるBさんが、
自分のことをちゃんと見てくれることを待ち望んでいます。

自分のことをわかってくれれば、
自分は安心して成仏できます。
消滅することができます。

しかし、
Bさんは、
「こわくない、こわくない」
と唱え始めました。

fear君と目を合わそうとしません。
それどころか、
fear君に、
完全に背を向けています。

fear君からしたら、
「おい!ちょっと待ってよ!
僕はここにいるよ!ちゃんと見てよ!
僕がどんな奴か、ちゃんと見てよ!
ちゃんと受け止めてよ!」

と、
主人であるBさんに対し、
わだかまりで一杯です。

そして、
fear君は、
成仏できないまま、
浮かない表情で、
Bさんの心の底に居座り続けます。

その後、
Bさんに対し、
「僕はここにいるんだ!」という意思表示をするため、
fear君は、
「おそれ」「焦り」「緊張する」「不安」
といった感覚に化けて、
Bさんの意識を困らせようとします。



今のは、
「こわい」に関する例え話でしたが、
仮に、
「はらがたつ」を否定すると、
その後、
「無気力」や「自責感」や「義務感」を抱くことに繋がったりします。

「かなしい」を否定すると、
「未練」を引きずったり、
「依存心」や「執着心」として、心の健康がおびやかされていくことに繋がったりします。

また、
「うれしい」を否定すると、
こちらも「無気力」を抱くことに繋がったりします。



というように、
「こわくていい」のです。
「うれしくていい」のです。
「はらがたっていい」のです。
「かなしくていい」のです。

それが、
心の健康管理における、
第1の重要ポイントです。

そして、
第2のポイントが、
「こわい」「うれしい」「はらがたつ」「かなしい」の内、
2つ以上がからまっているときは、
細分化して言葉にする、
ということ。



これが、
私が、カウンセリング心理学を徹底的に分析して辿り着いた、
『感情って何?』に対する、
答えです。
(色で表現するという発想は、私のオリジナル)

今後、
私は、
これを、
いろんな切り口で、言い続けていこうと思っています。

聴く者が、
「ストンと腑に落ちる」
そんなわかりやすい説明を目指して、
スキルを磨いていこうと思っております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?