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今年は「頑張る」年

2024年は「頑張る」年にしたい――。

昨年の冬(なんとなく感覚的に寒さを感じてきた頃)くらいから、そんなことをずっと考えてきた。なぜかというと、日々の行動を“こなしている”気がしてきたから。

何かが上手くいっていないわけではないし、むしろありがたいことに、日本人として人並みに豊かな(夫婦で毎日アニメを見ながら美味しいご飯を食べ、2匹の猫と過ごす)暮らしをしている。でも、なんていうか、生きているというよりもただ生活しているというのか、もっと深く考えられることや感じられることがあるんじゃないかと思っていた。

その理由を考えてみると、答えは「何事もやりきってなくて、こなしているから」じゃないか。そう思ったんです。

思えば、自分がフリーランスになって最初に感じた会社員との違いは、自由に休めもするけれど自由に好きなだけ仕事ができることだった。一日中、気の済むまで仕事をして、上手くできそうにないときは全然やらない。そんなメリハリ、それが自分の裁量でできるのがいい。

こうした環境を手に入れた自分は、見た目が変わり、性格も変わった(と思う)。良い意味で。それは多分、夢中で頑張った、つまり没入していたからだと思う。頑張ることに没入できた。ピアノ販売の営業マンから、未経験のライターになって、とにかく前だけを見て必死に頑張ったし、新しい世界にワクワクして頑張ることが楽しかったから、自分が磨かれたんじゃないかと。

ライターとして独立して3年くらい経った今、目新しい仕事は日々の日常になり、ある意味効率化され、タスク化したことも多い。もちろん取材をしたり原稿を書いたり、あと企画を考える際はめちゃくちゃ頭を使うし、決してこなすなんてできないです。

でも自分の仕事のコアなことは頭を使うけれど、それ以外にやることが増えた今、気づけば疲弊していて、締め切りに間に合わせることがゴールになっていることも正直あったと思う。

そのうえ、自分の体調や都合で、納期を相談することにも抵抗がなくなっていた。

話は少し変わるのですが、そういう理由を蔑ろにしてきたからこそ、身体も心も疲れて病んでしまう人が増えた(自分もそう感じた一人だった)のかもしれないから、相談できるようになったのはすごくいいこと。それは間違いないと思っています。

でも、仕事にしても何にしても、誰かと何かをしている以上、しわ寄せは必ずどこかに出てくる。ご自愛もめちゃくちゃ大事な一方で、やっぱり誰かが心から喜んでくれる仕事をするには、シンプルにとことんやり切ることが必要なんだと思う。

こうしたことは、大好きなアニメを観ていても感じる。ストーリーも、キャラデザも、背景も、声優さんも、音楽も、“全て”にこだわりを感じる作品はめちゃくちゃ面白い。

自分が感じるこだわりとは「あっ。この部分はきっと、妥協せずに創りきったのかも」「なんでこんなに感情的になるんだろう」と感じさせてくれる表現のこと。

多分、こうした作品(の中の表現)って、とりあえず締め切りに間に合わせることを優先したり、体調悪いから(死ぬほど忙しいから)この辺で許してもらおうとしたりして創っていないはず。

それはNHKの100カメ番組の進撃の巨人の特集を見たときにも、強く感じさせられた。他にも、細かくは忘れたけれど、過去に庵野監督や宮崎駿監督のドキュメンタリーを観た時も同じことを感じたなと思い出していた。

神は細部に宿るというか、本当に一つひとつの表現に死ぬほどこだわっているからこそ、感情が揺さぶられる。本気で頑張らなきゃ、こんなことできないと思うんですよね。

仕事も遊びも日々の生活も、それに休みも。ただこなすのではく、やりきりたい。そう思ったら自分は今こそ、とにかく頑張るべきじゃないかと思ったしだいです。

今どきの考えと逆行しているかもしれないけれど、楽して安心する生き方よりも、バカみたいに真面目に頑張って、頑張った分いっぱい喜びたい。

その方がしんどいけど、楽しいような気がしています。

しんどいことも楽しむ、という意味も込めて、今年は精一杯頑張る!そしてやり切る!

言った!!言ったぞ!!
言ってしまったからにはちゃんとやれよ自分!!

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