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「よく眠れてる」と、(元)妻は言った

また歯痛です。この時期は毎年なのでしょうがありません。先週ぐらいかな、そことは別の場所です。前回は右上の犬歯のあたりでした。今回は左上の奥歯です。幸いなことに頭痛はありません。ですが、歯茎が腫れているのがはっきりわかります。その腫れた歯茎に押されて歯が痛む痛む。たまりません。会社にいる時から痛んでいました。なんとかだましだまし過ごします。夕食もかたいものは無理なのでお茶漬けにしました。いっそのこと、おかゆぐらいでもよかったかも。その後も我慢を続けていましたが、そろそろ限界です。諦めて痛み止めを飲みました。今日はロキソニンではなくイブプロフェンにしてみました。既に失敗の予感があります。素直にロキソニンにしておくべきでした。こりゃ、痛すぎて眠れないかも。

先日、(元)妻との電話の際の話です。

私は娘が夜中に生玉子を飲むのも牛乳にガーリックパウダーを入れるのも許せないという話をしていました。他にも牛乳に味の素とかウスターソースとか、そんな組み合わせも娘は勝手に模索するのです。耐えられません。(元)妻も「まずそー」と言っていました。そうだよ、まずそうなんだよ。いや、まずそうなんじゃなくて、まずいんだよ。やめてくれよ。

ただ、生玉子一気飲みにしても牛乳とどう考えても合わない調味料などにしても、昼夜逆転した娘が小腹を空かせて無謀な挑戦を繰り返しているという可能性もあります。飲み物をがぶ飲みするのもそうです。娘は子供の頃から置いてあったら全部食べるみたいな食べ方をしていました。それを無理に止めたりはしませんでした。サプリメントや薬でなければそこまで困ることもないだろうという判断です。お腹が空いたらお腹が満たされるまで食べ続けるだけのことなのです。それがたまたま生玉子。やっぱり許せない。

そうやって夜中に食べたり飲んだりするせいでトイレに行きたくなってドスドス歩いてトイレに行くから私が眠れないんだという話を(元)妻にこぼします。

「そんなのずっとそうだったじゃない」

それはそうです。(元)妻がいた時と今とでそこは何も変わっっていません。

「私はよく眠れてるよ」

(元)妻はそう言いました。娘と離れてひとりで暮らして、(元)妻は娘の叫び声や深夜の飲み食いやトイレの出入りで起こされることはなくなったのです。まったくないのです。

逃げ出しやがってという気持ちと羨ましいという気持ちが私の心の中で相まみえます。そのあとから「でも、よかったじゃない」みたいな気持ちが湧き起こります。いやみだとか妬みだとか、そういうひねった感情はありません。なんの掛け値もなしに、心の底から「よかったじゃない」と思います。

私のそういう気持ちが伝わっているのかいないのか、それはわかりません。わかりませんが、(元)妻の声は明るく屈託がありません。それはわかります。家の中で娘の存在はあまりに大きいです。私も娘と過ごしていると世界が私と娘だけで出来上がっているような錯覚に襲われることがあります。(元)妻もそうだったはずです。だから、ポケGOを始めてしょっちゅう外に出歩くようになって、随分とホッとしたはずです。

地方の一軒家で、発達障害や統合失調症の家族を離れに住まわせているという例を聞きます。昔の家の座敷牢というのも同じような役割だったのだと気がついたのは娘の病気を知ってからのことです。家から少し離れるだけで家族の負担が急に軽くなるのはわかります。顔を合わさないというのも、もしかすると家族の心の健康のためにはアリなのかもしれません。その延長に、病院や施設での長期の療養があるのかもしれません。

今日も娘は一人二役で独り言を話し続けています。飽きるということはないようです。なぜならそれが今の娘にとって世界のすべてだから。

でも、私の気持ちとしては飽きてほしいです。独り言を喋るのに飽きてくれないだろうか。さらに言えば、もう普通でないことにも飽きてくれはしないものか。

それが無理な話だとは分かっていますが、「もう飽きたからやめるわ」みたいな奇跡を常に願っています。

無理なんですが。

いただいたサポートは娘との暮らしに使わせていただきます。ありがとうございます。