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【世界の幸福論】一般の「幸福」の概念は神経発達症の子どもたちに当てはまるか?

まーたまた、タイトル詐欺と言わんばかりのタイトルw
今日は、世界の幸福論を神経発達症(ADHDやASDなど、いわゆる発達障がいの子)&グレーゾーンの子に当てはめて考えてみたらどうなるか?
という題材にチャレンジしたいと考えています。

「幸福論:Eudaemonics」

人が生きる上で、幸福や人生の意味についてを考察する研究はたくさんあります。人は生まれながらにして「幸福」になる権利がある。これはどんな人でも普遍的なものであり、まさしく「人権」の範疇に入る考え方です。

親の皆様は、子どもにとっての幸福をどのように考えていますか?
そして、神経発達症(ADHDやASDなど)を持つお子さんを養育している親御さんは、子どもたちの幸福がどういうところにあると考えますか?

この幸福論っていうのは、世界でも大いに研究されているジャンルです。
だって、人が生きる上で、最も重要な要素でもありますからね。

今日のテーマは、このヒトとして生まれたからこそもっている「幸福の権利」。これを神経発達症を持っている子たちへ当てはめて考えたらどうなるのか?今まで誰も考えたことがない方法論で検証してみたいと思います。

この「幸福」についての源流は、世界三大幸福論として有名な、
バートランド・ラッセルの『幸福論』
✅フランスの哲学者アランの『幸福論』
✅スイスの哲学者カール・ヒルティの『幸福論』
があります。

世界にも浸透している、この「一般的な幸福論」を神経発達症の子どもたちに置き換えてみるとどうなるのか?ぜひともお付き合い下さい。


バートランド・ラッセルの幸福論


ラッセルの幸福論の要として、自分自身の調和を重んじることが重要。つまり、自分の中での「生きやすさ」を追求していくことが大事とされています。この考え方は神経発達症を持つ子の未来にも大きく関わりそうです。

ADHDの子たちは多動で落ち着きがないとされていますが、意外と自分の活動に肯定的で、本能的に活動している所も見られます。個人の中で色々と頭なの中で情報が錯綜している中でも、居心地の良さや楽しさを個人で感じたりしています。その子達にとっての「調和」すなわち、「生きやすさ」というのはどういうことなのか?を考えてみるのも重要そうです。

「発想を広げるのが好き」、「とにかく思い立ったらやってみたい」、「失敗だらけだけどなんだか充実してる」これらがADHDの子たちの中で調和が取れているならば、それを最大限尊重してあげるのも重要かもしれません。

ただしラッセルは「子どもの頃から刺激を与えすぎるな」とも述べています。確かにADHD児は今の社会において、情報が肩であることから、テレビやネット、そしてゲームに依存しやすかったりします。

さらに注意力が乏しいため様々な刺激に影響を受けやすく集中力が削がれたりします。このような環境にさらされない状況でADHDの子たちを能動的に活動させてあげることが幸福の道筋に繋がったりするのかもしれません。

ではASDの子たちはどうか?個々人の特徴によって変わりますが、ASDの子たちも「こだわり」に没頭しているときが調和が取れている状態かもしれません。ラッセルも「趣味に没頭せよ」と述べている点からも、ASD児のブームに則って好きにさせてあげることが、幸福に近づくポイントなのかもしれないですね。

さらに、ルーチンであることがASDの子たちにとって安心感に繋がる事も多いかと思います。自分のルーチンを誰にも邪魔されず達成することができることで自分の中の息やすさを作り出せるのかもしれません。

また、ラッセルは「社会との繋がり」が幸福には不可欠と述べています。ADHDの場合であれば、人とのコミュニケーションを取るのが好きと言う子も多いかもしれません。養育者は、その関係性を維持してあげて、仮に他者と衝突が起こることがあっても、そこからの学びに変えて見守ってあげる事が大事かもしれません。

また人間関係が辛いときにはペース配分を調整して距離感を保たせてあげる事で、社会との繋がりの中で、色々な発想を役立てる事もできるかもしれないですね。そうなると、調和から社会との繋がりの連動も考えられるかもしれません。

ASDの場合であれば、社会性が乏しいとも言われてはいますが、親を含め様々な支援者の助力を受けて成長していきます。その関連性でASD児も「社会性」を鍛えつつ、自身のペースを維持しながら進めていくことで、幸福に繋がる道を模索していきます。

ここで言う「社会性」は何もだいそれたものではなく、自分を取り巻く手の届く環境のような身近なものも含まれます。この手の届くところから関連性を固めていってあげるということで幸福感も育まれていくのかもしれません。

そして、ラッセルが重要視していたのが「平和主義」。先程の社会との繋がりの延長線上でもあります。「社会が不幸であるならば個人も不幸である」と述べたラッセルは、後世を社会の平和活動に費やしたとされています。

「自分を充実させるために社会をより良くする」は神経発達症の子であろうとなかろうとその考え方をもっておいてもらいたい点ですし、社会活動を通じて自己肯定感を高めるチャンスでもあります。

例えばではありますが、「ボランティア」これが意外と有用だったりします。なぜなら、社会をより良くするための活動に身を置きつつも、人から感謝をもらうことができる。この人からの「感謝」は自己肯定感の源でもあります。

感謝はADHDの子にとって、更に能動性を上げてあげるポイントにもなりますし、自分自身の存在が人の役に立っているという点で、いい意味で図に乗ってくれるというか、興味を示してくれるようになります。

またASDの子にとっても「社会性のトレーニング」に゙直結します。ヒトから向けられた感謝、これに戸惑うこともあるかもしれませんが、この感謝を集めることで、自分の存在意義と新たなブームを与えてあげられる可能性も広がります。幼少期のこの活動が、成人してからのコミュニケーションに大いに役立つことは論文でも述べられているポイントです(Int J Qual Stud Health Well-being. 2018 Dec;13(1):1479585)

あと、意外とASDの子たちに有用なのが、何の変哲もない、本人も意識していない「こだわり」「日々のルーティン」に価値をつけてあげることです。たとえば、植物に興味を示して、植物の種類を覚えることに興味を持ったりしたとします。単なる植物の名前を覚えるだけですが、そこで、「今のわかっている植物は●●種類あるんだよ。まだまだわかっていない珍しい植物も合ったりするんだよ」「そのわかっていない植物を見つけたりすると、社会にとってもみんなに大きな気づきを与えられるんだよ」と伝えておく。その時は子どもも、「ふーん。」位なのでしょうが、いつか子どもの中で、結びついて自分の行動の動機づけとして興味の幅が広がったりします(実は実話です)

このように、神経発達症の子たちの活動に社会的な「動機づけ」を与えるだけでも、子どもたちの世界観は大きく広がるかもしれません。

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