本質の理解

最近指導さん(教育担当の乗務員≠管理者)と話していて「最近の新人は何でもかんでも電話で聞いてくる」という話題が上がった。

手歯止め(輪止め)を装着する位置から、その場その場で判断すべき事についての電話が多いらしい。

手歯止めの装着位置なんて覚えるべきことの基本中の基本だし何ならマニュアルを参照すれば書いてあるのでナンセンスな質問として、その場その場で判断すべき事が判断出来ない新人が多いとのこと。

運転士は一人立ちしてしまえば基本的に一人で様々な事に対応しなければならない。
車掌がいると言っても200mも300mも彼方だし、そもそも車掌はお客さんの対応がメインになってくるので、避難誘導が必要なレベルの異常時以外はもっぱら運転士が前に出て対応しなければならない。

異常時というものは、たいていの場合マニュアル通りにはいかず、その場その場で適切な判断が必要だ。時には「そっちの方が安全だ」となればマニュアルにはない対応だってしなければならない(マニュアルに反する訳ではない)。

その「マニュアルにない対応」が出来ない。これは運転士としての資質を問われても致し方ないことである。

マニュアルにない対応をするためには、マニュアルにある様々な対応を知り、さらに「なんでそう定められているのか」という本質まで理解した上での応用が必要だ。
ということは、本質まで理解出来ていないと、その時に必要な対応のパーツを組み合わせて応用させることが出来ないわけだが、その能力の低下が著しいとのことである。

これは教える側の責任でもあるが(指導さんも認めていた)、それ以上に教わる側の自覚や想像力の無さに起因するのではないか、と個人的には思う。

私はどちらかと言えば臆病なタイプで、仕事中は常に「あー、今この場所でこうなったらどう対応しようか」なんてことを心配しているが、意外にこれが役立っていることが最近分かり始めた。

心配(想像)する→マニュアルを見返す→そのマニュアルでは対応出来ない部分を見つける→他に当てはめられそうなマニュアルを探す→これはその時使えるのかを然るべき立場の人に確認する→結果自然と本質的な部分を理解して応用につながる

このサイクルが意図せず出来上がるのだ。

では、これは教えられて出来るようになることなのか?

否、本人の運転士としての自覚である。

「最近の若者は〜」などと言うつもりは無いが、自覚が足らない、持てないのであれば、それは不適格だ、と私は思う。

普段運転していると前ばかり見ているが、背中には大勢のお客さんと、そしてそのご家族や友人など大切の人生を背負っている、それが運転士だ。
ただ運転するだけならサルだって出来る。
今一度、「人間がハンドルを握っている意味」から考え、仕事をして欲しい。

そう強く思う次第だ。

あ、自分含めてね。

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