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生きているのか死んでいるのかすらわからない~意識不明から目覚めたときの発見

僕が交通事故に遭って少しの間、意識不明だった。時間にすると丸一日くらい。その間、2人の同僚と妻がケアをしていてくれていたようだが、当時のことは全く記憶にない。

6月25日が事故の日だったが、多少意識が回復したのが恐らく翌日の6月26日。

というのも、チャットで繋がっている友人に自分の状況を詳しく診れる専門医を知らないかどうかを訊いていた履歴が残っているし、確かそんな問い合わせをしていた記憶もかすかにあるので。

でもこのときはまだ自分が重大なケガを負っているという認識があまりなかった。自分が自転車に乗りながら車と追突し、交通事故に遭ってしまったことを知ったのはもう少ししてから。さらに翌日の6月27日になってからだと記憶している。

何せ意識と記憶が断片的なので、まだまだ何が起きているのかハッキリ理解できてはいなかった。だからこうも思った。

これは何か悪い夢じゃないのか?
俺、ホントはもう死んでいるんじゃないの?
これってマトリックスみたいな仮想世界とか?

こう思ってしまうのも無理はない。如何せん事故当日の記憶がすっぽり抜けているのだ。その日の午後以降の記憶が何もなく、何で事故に遭ったのかも、どこをどう走っていたのか、何でその場所を選んで走っていたのか、因果関係が何一つわからない状態。

にもかかわらず、目が覚めたらベッドの上で悶え苦しんでいたのだから。

でも、どうやら交通事故に遭ったらしい。そんなことを聞いたら、「実は既に死んでいるのでは?」と思うのは無理もない。

だから、もし既に死んでしまっているのであれば、「俺は地縛霊になってはいけない。生きている人に迷惑をかけないようにさっさと死を認めて成仏しなければ… 死んだはずの人に会うとか、存在しないはずの人の声がどこからともなく聞こえてくるようになるなどのサインは見落とさないようにしないと…」などと心していた。なんと随分立派な死人だな…オイ、と当時を回想している今、改めて思う。

これがようやく「俺、マジで生きているし重傷で入院している最中なんだ」とハッキリわかるようになったのは、たぶんさらに翌日の事故から3日経過した6月28日。

妻の話だとここから6月28日が3日くらい継続していたらしいので、まだまだ記憶があやふやだったようだ。


しかし、生きていることがわかった次には、新たな不安が顔を出すことになった。それは、衝突の影響で強い脳震盪があり、脳出血で絶対安静だったこともありこうも思った。

”明日の朝、生きたまま目覚められるのかな…?今晩が生前最後の夜だったらイヤだな…もし眠りとともに死んでしまったらホントに映画のようにお迎えが来るのだろうか…”

当時はそんなことも想像していた。やはり随分とまぁ準備と想像力のたくましい病人だ… お前みたいなヤツはお迎えが来るには早過ぎるわ…と回想している今、改めて思う。もはや鼻で笑えるレベルである。

こんなんでも本人としてはかなり真面目に不安がっているのであるが。

幸い、そんな不安を抱えながらも前の晩はウトウト寝てしまい、しっかり熟睡した上で翌朝いつも通り、目を覚ました。

しかし、このときの目覚めは、普通のいつも通りの目覚めと違って格別だった。

「よかった!生きてる!神様ありがとう!」

といえる、ホントにうれしい目覚めだった。

そのとき、入院前に読んだことのある本で、アドラー心理学を対話方式でわかりやすく説明して大ベストセラーとなった「嫌われる勇気」の岸見一郎先生のこちら。「人生は苦である、でも死んではいけない」の一部分を思い出した。


"『病気の前は明日という日が当然くると思っていたのが、病気をすると明日 の日がくることが決して自明でないことがわかる。私は幸い死の危険を脱したが、夜眠るとこのまま朝目覚めないのではないかという不安にとらわれる ようになった。』” (Kindle の位置No.109-111)
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”『振り返ると、「本は書きなさい」と医師にいわれた私は、この頃はなお「 仕事」にこだわっていたと思うが、朝、目が覚めたら、とにかく、その日にすることがあるとありがたいと思えるようになった。』" (Kindle の位置No.123-125)
 

朝、目が覚めるということはかくも素晴らしく、ありがたいことだとは初めて知った。そして、もう一つ引用


"『私が救急車で運ばれた時は、人はこんなにあっけなく死ぬのかと絶望した。 しかし、幸い治療が功を奏し、生き長らえることができた。その時に、このことを喜んでくれている人はいるに違いないし、生きていることがそのまま他者に貢献することになると思えるようになった。』 (Kindle の位置No.966-969)


岸見先生のアドラー心理学の他の著書にもよく書かれていることだが、その前はまだ、「何も出来ない状態であったとしても、生きている、ただそれだけで価値がある」ということが、なんかわかるようなわからないような(まぁ、わかっていない、ということなのだが)、表面的な理解でしかなかったものの、どうやら体験・体感があった故に、理解が追い付いてきたらしい。

”今の自分はロクに起き上がれないし、一人で用も足せないし、人の世話がなければ何一つできず、ただただ迷惑と手間をかけるだけの存在でしかなにかもしれないけど、それでも生きていていい”と思えるようになった。

このときから、妻やヘルパーさんに何か手伝ってもらうたびに「ごめん(不好意思)」ということをやめて、「ありがとう(谢谢)」としか言わなくなった。

病気になった人って、何かとすぐに「申し訳ない」と謝ってくるのだけど、そんな必要はない。病人でも卑屈に感じず、日々心豊かに生きていいのだ。

事故をキッカケに、こうしたことに気づいてしまったために、僕の今の心は事故前よりも遥かに豊かだ。そのせいか、今度もし再度ビジネスを立ち上げたときに是非やってみたいことのアイデアなども浮かんできた。

何もできなくて苦しいとか全く感じることもない。たまに運動でも出来たらなぁ~とは思うものの、それもすぐに収まる。

生きるというのはそれだけで大変だし、リスクもあり、大ごとに見舞われることもある。それでもどこにでもケガの功名としての要素はあるのかもしれない。

これも無理に見つけに行く必要はなく、あくまで自然の流れでこうした発見に巡り合う方が、たぶん自然に自分の心と身体に馴染んでいくはず。

成功や悟りを焦る必要はない。

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