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「やりたいこと」なんて別になくていいんじゃない?

「で、竹村さんは何がやりたいんですか?」とたまに聞かれる。

「うーん、そうですね、新しい出版のカタチをつくりたいですかね」
「編集視点でライティングできるようになりたいですね」
「おもしろい人の声をより多くの人に届けたいんですよね」

 その都度、それっぽい答えを導き出す。もちろん、どれもウソではない。正直な想いだ。だけど……

「何がやりたいか、なんて、そんなものわかんないよ!!」

 と思ってる自分もいる。「そんな難しいこと聞くなよ」と。これも正直な想いだ。

 人生において「やりたいこと」って何だろう……?

 あらためて考えてみるとスッとは出てこない。冒頭の答えもちょっと空虚な感じがする。突き詰めれば「とにかく生まれ落ちたこの世界を楽しめればいい」って感じだろうか。「毎日ごはんがおいしくて、世界がまあまあ平和ならそれでいい」くらいかもしれない。

 一方で、世の中には確固たる「やりたいこと」があり、「使命感」をもって生きている人もいる。

 小さい頃に大病をして、医者になろうと思った人。昔からピアノを弾くのが好きで、ピアニストになった人。理不尽な経験をして、そんな世界を変えるんだ、と奮闘している人……。

 そういう人を見ると「立派だな」「うらやましいな」と思う。

 ただ、大半の人は、ぶっちゃけ「やりたいことなんて別にない」んじゃないかと思うし、それでいいんじゃないかと思うのだ。

「やりたいこと」に向かって進むのが人生ではない。
「やりたいこと」を見つける過程が人生である。

 先日、料理動画の「クラシル」を運営するデリー社長の堀江さんにお話を伺った。堀江さんも最初から料理の分野で革命を起こそうと思っていたわけではない。たまたまうまくいくビジネスを模索していて「料理」という世界に行き着いただけだという。

 しかし、いまでは「料理を通じて世界をハッピーにしたい!」「70億人に1日3回幸せを届けたい!」という使命感のもと、日々奮闘している。この使命感、想いは「本物」だろう。いろいろ動いた結果「使命」が見つかったのだ。

 何が言いたいかというと、

「使命」や「やりたいこと」が先にある人は、わりと少数派だ、ということ。よって、やりたいことが見つかっていなくても劣等感を抱く必要はない、ということ。

 そして、そこで大切なのが「まずは動き出す」ということだ。

「やりたいことに向かって」進むのではなく、「やりたいことを見つけるために」前に進めばいい。「あっちかな?」と進んでみて、違ったら戻ればいい。「こっちかな?」と進んでみて、しっくりきたらさらに進めばいい。

 やりたいことに向かって進む人生も立派だけど、やりたいことを探す人生だって、素敵な人生だ。

 まずは前に進んでみないと見えない景色がある。「まずは、あの丘まで行ってみよう」という感じで歩きだしてみよう。ぼくもとりあえず、いま見えている丘を目指すことにする。

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