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[note54]News/議員の除名を考える

世間を賑わしているある議員の除名問題について考えてみたいと思う。
これは一個人としての意見であり、同意・異議などがあることは前提の上で政治的中立は横において、まとめたものである。授業で扱う場合は、相応の慎重さが必要になることは言うまでもない。では、始めてみよう!

憲法15条2項と国会法

まずは国会議員に関する憲法の規定を見てみよう。憲法15条2項では以下のように規定している。「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」。公務員と一括りにされているが、個々には当然、国会議員も含まれる。言い換えると国会議員は一部の人々の権利の実現を目指す者ではなく国全体の利益のために働く存在であると読むこともできる。続いて、国会法第5条には、このような規定がある。「議員は召集詔書に指定された期日に、各議院に集会しなければならない」これらをまとめると、国会議員は公の利益のために、国会内外において活動し、召集があった場合は、国会に集うことを法的に求められているということだ。

議員の除名と法律の規定

国会議員が国会において自由な議論を行い、時に賛同し、時に反対しながら合意形成を目指していくという目的から、独自の特権が与えられている。権力によって、不当に議員を排除することがあってはならないし、それは民主主義の姿ではない。その一方で議員には高い政治倫理性が求められる。それは決して楽なことではないが、それらが両立して、初めて国民の信託に耐えうると考えられる。憲法と法律は国会議員の除名について以下のように規定している。

  • 日本国憲法58条:院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、 出席議員の3分の2以上の多数による議決を必要とする。

  • 国会法:各議院において懲罰事犯がある時は、議長は先ずこれを懲罰委員会に付し審査させ、議院の議を経てこれを宣告する。議員が正当な理由がなくて召集日から七日以内に召集に応じないため、又は正当な理由がなくて会議又は委員会に欠席したため、若しくは請暇の期限を過ぎたため、議長が、特に招状を発し、その招状を受け取つた日から七日以内に、なお、故なく出席しない者は、議長が、これを懲罰委員会に付する

除名された議員の歴史:過去3名

1、1950年:反対討論を行ったにも関わらず、投票では賛成票を投じた
2、1951年:野次などの不規則発言と陳謝の拒否
3、2023年:1度も登院せず海外に滞在。議長の招状にも応じず、議決で懲罰となった「公開議場においての陳謝」も拒否

彼の公約とは何なのか?

今回除名処分となった議員(賛成235(99.57%)/反対1)は「登院しないことを公約として当選した」と述べているが、そもそも「登院しないこと」は政治的な公約と言えるのか?
該当議員に対して、有権者は何を期待したのか?議員は比例代表選出であるが、参議院の場合は個人得票が当選に関わるため、有権者の支持を直接に受けていると言える。それぞれの有権者の意図は分からないが、少なからず、隠蔽されている様々なスキャンダルや不正を白日の下に晒してくれることで政治を浄化する役割を期待して、投票した面があると思われる。もちろん、そうした不正は正す必要があるが政治家の役割は「不正を晒す・暴く」ことだけではない。それらは本来の政治を行う前段階にすべきことで、正常な状態において、国の方向性を議会の議論・合意で決定し、運営していくことが本来の役割であるはずだ。つまり「晒すこと・暴くこと」だけを目的とするならば、必ずしも国会議員としての活動に限定されるものではない。その他の活動方法もあるはずだ。それにも関わらず、「国会議員」という立場に拘ったのはなぜか!?

不逮捕特権!?

当該議員が不逮捕特権に拘っているという指摘がある。真偽のほどは定かではないが、不逮捕特権についてまとめておきたい。憲法では国会議員に対して、不逮捕特権を認めている。憲法の条文を参照すると…「両議院の議員は、法律(国会法第33条)の定める場合を除いては国会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これ を釈放しなければならない(53条)。なお、国会法33条では「各議院の議員は、院外における現行犯罪の場合を除いては、会期中その院の許諾がなければ逮捕されない」とある。この規定の目的は、当然ながら、国会議員が好き勝手に振舞って良いというものではない。政権側にとって都合の悪い議員を拘束し、口を封じることで政治決定が行われることのないように議員の身分を保障するための条文であるはずだ。つまり議会における自由な議論とすり合わせ、合意によって、より良い政治決定を行うために存在する権利と言える。
公人、私人を問わず、スキャンダラスに情報を公開することを権利として、保障したものではないことは明らかである。

除名処分は不当な権力行使なのか?

皆さんは、今回の件について、どう考えるだろうか?
国会の本来の機能、国民が国会議員に求めている役割とは、相当に距離感があるところで国会議員の身分に対する議論が交わされているというのが正直な感想だ。該当議員の所属政党は党名を変更し、党首も交代した。新党首は、この件に関して「高齢者が好みで特定の議員を排除しようとしている」といった発言をしているが、このことは果たして、有権者に響くものだろうか?シルバーデモクラシーという言葉が使われ、高齢者中心の政治になっているという現実は存在するかもしれない。しかし、憲法及び国会法において登院が求められている以上、法に従って活動するのが法治国家の在り方であり、それは、ある人に対する好き嫌いの問題ではない。議会制民主主義の国家において、国民の信託を受け、法に基づいて、国民の幸福(及び現在は世界の安定)のために活動するのが国会議員の使命であり、その場として人類が長い歴史の中で培ったものが「議会」である。その前提を否定するのであれば、除名処分はやむを得ないというのが個人的な感想である。

私達はどこに向かうべきか?-教育と政治-

政治には多様性が必要だ。その意味では様々な主義主張を持つ政党や政治家が存在することは重要であると言える。多様性(ダイバーシティ)と包摂性(インクルージョン)は民主主義社会の根幹と言える。ただし、そこには、先に述べた通り、政治的理念、政治倫理が求められる。有権者も自覚すべきことがある。「何となく面白そう」「何となく今の政治を壊してくれそう」という感覚は政治に対する興味関心の入りとしては良いかも知れないが、実際の投票行動においては危険をはらむ。「何となく」の先に何があるのだろう?それが私達の望む未来の姿であるのか?それとも混沌(カオス)なのか…それを見極めるための視点が求められる
教育は政治的中立が求められる。特定の政治家や政党をとりわけ支持する、否定することは慎まなければならない。ただし、「選択」の先に、どのような未来をイメージするか、権力を信託するとはどういうことか、目指すべき社会とはどのようなものか…そうした当事者意識をなくして民主主義は醸成されていかないことは教育の場で伝えるべきだと考えさせられるニュースとなった。



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