見出し画像

幼少期~箱根駅伝出場までを振り返る(前編)

前回自己紹介を簡単にしましたが、
今回はより詳しく過去を振り返ってみようかなと思います。
自分がどんな生い立ちだったか、箱根駅伝を目指したきっかけ、今の考えに辿り着いた背景などを
書いてみようと思います。

自分語りみたいな内容なので、興味のない方はスルーして下さい。

ここから何回かが終わったら
自分の思考や最近の出来事から考えたことなどを書いていこうと思うので
そこからまた読んでみて下さい。


特殊な保育園

私は、0歳の頃から保育園にいました(記憶はありません)
今考えると少し特殊な保育園だったような気がします。
この保育園での生活が、今の好奇心、運動神経、体力の土台に繋がっているのかなと思います。

社会館保育園~森・里山の保育~

この保育園はNHKでも取り上げられるような保育園で、特に都会の保育園には無いような環境です。

私はこの保育園にいたから陸上長距離をやってる今の自分があるのかなと思っています。

この保育園に子育てのヒントがあるような気がします。
外で遊んだり、散歩に行くのはもちろんのこと
里山に行って遊んだり、身長よりもはるかに高い竹馬に乗ったり、うんてい、竹登り、跳び箱、側転なんかもやりました。
他にも自転車旅行なんかもあったりします。

保育園時代に、いろんなことをしたおかげで
スキャモンの発育曲線でいう神経系(運動神経)が発達したのかなと思います。

色々なスポーツをする上で、あの保育園で良かったと思いますし
陸上の長距離にもかなり生きてきてる(詳しくはまたの機会に話します)と感じます。

負けず嫌いの始まり

この頃から負けず嫌いな気持ちがあったのは覚えています。

自転車で遠出する行事の時は一番自転車に慣れてる子が一番後ろのため、全力で乗れるアピールして最後尾になったり、竹馬はノルマ(歩数)をクリアするごとに1段(竹の節)ずつ上がるので、一番高いところを目指していたりしました。
他にも竹のぼりやうんていなどで、全部で1番にこだわっていたと思います。
(最後に写真載せてます)

そんなことをしつつ、体を動かす環境があったので、運動神経の発達や体力向上に繋がったのかなと思います。

保育園の時に富士山登頂

こんな特殊な保育園にいたおかげか、家族で行った富士山に保育園児の時に頂上まで登ったことがあります。(小学生の兄は7か8合目でダウン)

5合目までは車で行ったのですが、そこにある売店のおばちゃんに
「この子登るの!?」と驚かれました。
保育園児が富士山登ることは珍しかったみたいです。

日帰りの登山だったので、帰りは真っ暗でプラネタリウムのような満点の星空でした。

最高な景色だったはずなんですけど
暗すぎて、怖くて泣いてた記憶があります。

長距離が得意だと知った小学生

小学生から中学生は地元の千葉県君津市の公立学校で過ごしました。

よく君津に行った友人からド田舎と馬鹿にされますが、君津は広いのできっとその人は君津の田舎の方を見たのでしょう。
私は駅から徒歩圏内に住んでいましたし、コンビニも歩いて5分あれば行けるし、近くに飲食店もあります。ド田舎ではなくて、ちょい田舎ぐらいなはずです。

習い事

習い事は、兄の影響でサッカーをやっていました。他にも水泳をやったり高学年になったら塾も行き始めました。
習い事はしんどいなーって思う時もありましたが、今はやってて良かったなと思います。

5/6回優勝のマラソン大会

小学校のマラソン大会は小3以外優勝でした。(小3は色々理解し始めて、緊張しすぎて全然走れず、結果2位で悔しくて泣いてました)

このころから長距離は得意なんだなと感じていて、校内の持久走・シャトルラン・マラソン大会・駅伝大会では絶対に負けられない戦いが始まりました。

陸上を始めたきっかけと初めての全国大会

そんなこんなで小学校5年頃に、友人に陸上のクラブチームに誘われたことがきっかけで陸上を始めました。

小学校6年の時はクラブチームのキャプテンをやっていて、駅伝の県大会で優勝し人生で初めて全国大会の出場が決まりました。
しかし、全国大会が3月16日?に開催予定だったのですが、3月11日の東日本大震災で中止になってしまいました。

全国大会は大阪でいろいろな意味でとても楽しみだったので、ショックだったのを覚えています。

でもなくなったのはしょうがない!切り替えよう!と思っていたところに
クラブのコーチから代わりに1500mのタイムトライアルをすると連絡がありました。
その時の1500mのタイムトライアルでは4分34秒でした。多分小学生にしては速いはず

ちなみにこの時のペースメーカーはクラブのOBで、IH2冠や元800m高校新記録保持者の前田恋弥さんと駒澤大学で箱根駅伝を走った伊勢翔吾さん(共に当時中学2年生)でした。
今考えると小学生にしては豪華すぎる…

箱根駅伝出場のきっかけになった出来事

当時は、まだ友達に誘われただけでとりあえず速いから陸上をやっていたってという感じで
サッカーもやっていたので、片手間にやっているだけでした。

ただ小6の1月にとあることをきっかけに
箱根駅伝を目指さなきゃいけない?状況になったのです。

全国駅伝の前に、1月に行われたロードレース大会に出場しました。

その大会で優勝したのですが、そこで初めて優勝インタビューというものを経験することになりました。
しかも生ラジオだったので余計に緊張…

緊張しながらも順調に感想等を答えていき終わりかと思ったところに、「最後に今後の目標を教えてください」と言われてパニック。

当時は目標とかよくわからず、ただ目の前の人に勝つために走ってました。
そこで、焦って頭をフル回転させて出てきた答えは、「箱根駅伝に出たいです!」でした。
多分、お正月に見た箱根駅伝がまだ頭に残っていたのでしょう(もしかしたらそれぐらいしか知らなかったかも)

この話を聞いたコーチが自分のところに来て
「箱根駅伝を目指そう!」と言ってきました。

当時は、「言ってしまった…」って感じでした。
が、言ったからには出るしかないってなったのも覚えています。
いいきっかけになりました。

この経験があったからこそ、
頑張りたいけど頑張れなさそうなときや、自分で何か行動を起こしたいとき、目標を作った時には
人に言うようにしています。

そうすると後戻りできないし、かっこつけるために頑張れるからです。
noteもその1つです。

こんな経験をしつつ、中学生になるのですが
長くなったので続きは次回に!


最後に保育園時代の写真を載せておきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?