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父娘問答【2】フルーツバスケット編

先日、保育園でフルーツバスケットをすることになった娘。父に似て対人スキルが著しく低い娘ゆえ、案の定やりたくなかったらしい。先生の促しで渋々参加するも、負けが嵩みあわや罰ゲーム寸前となって号泣、という有り様。先生たちの折に触れてのアプローチにお世話になりっぱなしで、なかなか先が思いやられる。。。

「今日、フルーツバスケットしたの」

「なに?フルーツバスケットって?あの内村と千秋とウド鈴木のバンド?」

「それポケットビスケッツだし、ダジャレにしても全然かぶってないし!」

「語感がね、語感が。でもホント知らないんだけど?あの『花とゆめ』に連載してたやつ?」

「それもフルーツバスケットだけど、言ってるのはゲーム!みんなで輪になって限られた椅子を獲りあうの」

「それなら椅子とりゲームと言いなさい、オジサンにはわかりません」

「椅子とりゲームに包含されるけど、そのなかでもさらに細分化されたゲームだよ。鬼をひとり決めて、みんなが鬼を取り囲んで座るの。みんなはいくつかの果物に分類されて、鬼が「りんご!」って言ったらリンゴの人は席を交換しないといけないの」

「え?じゃあ、椅子に座れないひとは発生しないじゃん」

「席交換のときに鬼も席をとれるの。あと、「フルーツバスケット!」って言ったときは、全員が席を交換しないといけないの」

「へぇ~。楽しそうだねぇ」

「楽しくないの!だって鬼に3回なると罰ゲームがあるの。あと1回で罰ゲームしなきゃいけなくて泣いちゃったの」

「ゲームだもん、罰ゲームもあるさ笑」

「そもそもそのゲームやりたくないの。人間を果物に例えて、しかも籠から排除した上に、その人を鬼と呼んで忌避するのって、金八先生なら許さないの」

「古いな~。「腐ったミカンの方程式」ね。ちゅうかどこで知ったのよ笑」

「鬼が果物の名前を口にするとき、自分じゃなかったことにホッとするの。でもそう思った自分の感覚に恐ろしくなる。「鬼が最初バナナを攻撃したとき、私は声をあげなかった。私はバナナではなかったから」の心境だし」

「出た!マルティン・ニーメラー牧師だね。そうかそうか「そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」だね。う~ん。ある属性を名指しして席の交換を要求し、席を得られなかった者が鬼になる。鬼を続けることで罰を受ける、か」

「社会的包摂を学ぶべき場で、社会的排除の戯画ともいえるゲームが行われてるの」

「まぁ、幼児教育における遊びの意義ってものもあるからねぇ。周囲の友だちとの関わりのなかで興味・関心・楽しみを味わういい機会だと思うよ。だんだん慣れてきたらきっと楽しくなるし」

「もっと排除じゃなくって包摂がテーマになるようなゲームがいいの」

「ただねぇ、排除されてしまっているものを包摂すること=善っていう発想も危険な気がするんだよねぇ。包摂の中の排除/排除の中の包摂にまで踏み込んで考えないと」

「たしかに・・・。うちの保育園の母体になってる浄土真宗も、戦時には報恩と報国、阿弥陀仏と天皇を同一視して、そこへと包摂していくことが戦争協力の土台になったんだよね」

「そうそう。その轍は踏まない」

「じゃあ、包摂と排除のパラドキシカルな関係を俯瞰しつつ、やっぱりやりたくないときには駄々をこねるね!」

「う~ん、そうなるか、やっぱり」

(おわり)

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