工業デザイナー・秋岡芳夫のすまい論|住み捨てる習慣の国に生きる


学研の教材を手がけたことでも知られる工業デザイナー秋岡芳夫(1920-1997)。彼が監修した「『悪魔の住居』学」が今は亡き雑誌『ダイヤモンド・ボックス』の創刊号(1980.4)に掲載されています。

なんとも物騒なそのタイトル。一体どんなことが書かれていると思います?

お察しの通り、「『悪魔の住居』学」であって「『悪魔』の住居学」じゃない。秋岡は建築家ではないけれども、すまいについてあれこれと語っていて、自らの工房を設計したりもした人物です。秋岡のすまい論とはどんなものだったのでしょうか。

昨年で没後20年。あと2年後には生誕100年を迎える秋岡芳夫ですが、ここらで彼の語ったすまいについてちょっとばかり耳を傾けてみたいとおもいます。

『悪魔の住居』学

現在わたしたちが生活を送る住居が、実は人間性を阻害する「悪魔の住居」であることを数々の事例を上げて紹介しつつ、あるべき住宅設計のヴィジョンを指し示したのが、この「『悪魔の住居』学」。特集ページ冒頭には次のような謳い文句が掲げられています。

イスの高さに脚を合わせる、部屋の広さに動きを合わせる。便利さの追求が、人間性をむしばんできた。「悪魔の住む」住居・・・・・・これは人間サイズの快適空間にするためのアイデア集
(秋岡芳夫監修「『悪魔の住居』学」1980.4)

記事では、人体を無視した規格寸法や、生活を無視した家具配置、無駄の多い空間利用、健康を害する内装材やインテリア計画等、具体例を数多く挙げながら、現代住宅に「悪魔」が棲む状況を辛辣に批判した内容になっています。掲げられた項目は全部で24。住居設計上の勘所を反面教師的にまとめた内容です。

(1)規格サイズ(定尺)のベニヤ板が動きにくい部屋をつくっている
(2)一日の四五分のためにLDKでの生活が制約されている
(3)食卓の肘掛け椅子が休息を妨げている
(4)ヘンな税法が家具の置き場所を限定している
(5)狭い“頭”が部屋をますます狭くする
(6)窓を閉ざした子ども部屋は子どもの発育を妨げる
(7)壁に向かった机は発想を広げない
(8)右袖の机は仕事や勉強の能率を低下させる
(9)明るすぎる照明が心の豊かさを損なう
(10)黒っぽい天井は寿命を縮める
(11)赤い色の部屋は血圧を高くする
(12)天井の低い家に育った子どもは夢も想像力も貧困
(13)室内の“生活音”が音楽鑑賞能力を鈍くする
(14)Pタイルの床は子どもの勉強を妨げる
(15)マンションの壁は人間の肌をいためる
(16)冷暖房にも狂わない家具が生活の質感を狂わせている
(17)Pタイルの床は子どもの皮膚感覚をマヒさせている
(18)毛の長いじゅうたんの生活が足の“個性”なくしている
(19)靴でする散歩は足の裏の美意識をすりへらす
(20)夏に涼しく、冬に暖かいもてなしは客を喜ばせない
(21)大型家具は生活に不便さを強いている
(22)JIS規格には“生活感覚”に対して無神経なものがある
(23)トイレの勝手な解釈が生活を不便にする
(24)マンションのドアが日本人の“優しさ”を奪っている
(秋岡芳夫監修「『悪魔の住居』学」1980.4)

一貫しているのが、人間の特性に配慮し、生活感覚に対応した住空間になっているかどうかを重視する姿勢。この記事に限らず、秋岡はいろいろな場面で人間や生活に密着したすまいのあり方を提言しています。その一端をご紹介する前に「そもそも秋岡芳夫とは」を少しばかりご紹介しておきます。

工業デザイナー・秋岡芳夫

戦後日本を代表する工業デザイナー・秋岡芳夫は、「KAKデザイングループ」や「グループモノ・モノ」等の活動を通して積極的なデザイン・プロジェクトを展開した人物。そして、そこにとどまらず、童画家、木工家、プロデューサー、道具の収集家など多彩な顔を持ったことでも知られます。

また、秋岡はたくさんの著書を残しています。内容も多岐にわたり、デザインに関するエッセイのほか、木工・大工技術や道具に関するもの、食器や等の生活用具に関するもの、さらには竹とんぼを主題としたものにまで及んでいます。

生活道具から木工や大工道具に至るテーマを何度となく論じている彼の姿勢に一貫する、「消費の時代」への批判的視点は、今こそ改めて見直されるべき内容じゃ中廊下、と思う次第。

1920年、熊本で生まれた秋岡ですが、1941年に東京高等工芸学校木材工芸科を卒業後の経歴は多岐にわたります。お役所の技手、日本童画会の会員、デザイングループKAKのメンバー、日本産業デザイン振興会事業委員、グループモノ・モノでの活動、そして、東北工業大学意匠学科教授や共立女子大学家政学部教授など教育者としての活動などなど、1997年に亡くなるまで疾走の人生でした。

そんな秋岡のデザイン全般へのバラエティに富んだ経歴のなかで、住宅や建築分野に関連したものは散見されるにとどまります。とはいえ、生活デザイン全般と住まいは密接に関係しますし、敗戦直後のスタートが東京都の建築課勤務というのもまた興味深い。

あと、晩年の活動拠点であった「ドマ工房」は、秋岡のすまい観の実践として見なすこともできます。かねてより「工房住宅」や「工房生活」を提唱してきた秋岡は、実際に自邸の増改築に夢中になりながら、アトリエとギャラリーを併設した「ドマ工房」を建設しています(1階のドマ工房には土足のまま入り込めることから、その名が付いたそう)。

この工房の設計は秋岡自身が手がけています。仕事場でもあり寛ぐ場所でもあり、また談笑する場でもある空間は、木工作業台や版画プレス機、仕事机、暖炉などに囲まれている。ここにみられる、寛ぐ空間とものづくりが隣接した場としての住まいは、秋岡のものづくり思想において、住まいがどのような位置づけにあるかを示唆しているようです。

秋岡芳夫のすまい論

秋岡が数多く残した著書をあれこれ手にとって読んでいると気がつくのは、何度も何度も繰り返される機械的で画一的なデザインに対する批判です。

秋岡は「「家の量産量費」と「画一化」に僕は猛烈に反対だ」と断言し、「住宅は、住むものの心の容れ物でもある」として、銘々がそれぞれの住まいに生きることを推奨しています。

また、生活に何が大事なのかを考え、生活において大事なことを実現できる住まいの在り方についても言及しています。その提案の一つが「一室多用」。

一室多用と言えば現在のLDKも多目的な一室。一室多用をねらった部屋ですが、まだLDKには「たたむ伝統」が生かされていないように思います。南むきのスペースに応接セットなり、リビング用の家具なりを置き、中程には食器戸棚と食卓そして椅子などのダイニングセット。そして北むきにキッチン。冷蔵庫・ステレオ・テレビなどが加わって現代の一室多用のLDKは、家具だらけ。
(秋岡芳夫『住 すまい』1977)

そんな視点から導かれるのが、借家への懐疑。「『ウチ』は家族みんなの成長につれて、都度成長してこそ、『ホンモノノウチ』なので、増改築不可の借家などように、いれものが中身を拘束する『ウチ』なんて、僕にはとても考えられない」と言い切ります。

実際に秋岡自身が、自らの手で頻繁に自宅の増改築を行っており、後年、秋岡の子である秋岡欧は次のように証言しています。

日常茶飯事の模様替え(といっても父自作の家具類を移動するだけでも大仕事なのだが)にはじまり、時には一夜で二間あったはずの部屋の壁がぶち抜かれて大きなリビングになっていたり、そしていざ大工さんに依頼するような増改築を思いついたら、とにかく納得するまで自ら図面を引きまくる。
(コロナブックス編集部『作家の住まい』2013)

秋岡のそんなすまい観ゆえに、住宅産業の動向に対しても徹底した批判を行っています。「工業が技術と資本にモノをいわせ住宅を作ろうとしている。車を作ったときと同じ発想、同じ工業材料、同じ技術でこんどは家を量産する計画を立てている」と。そして秋岡は住宅が使い捨てになると警鐘を鳴らすのです。

日本もいずれ住宅を数年で住み捨てる習慣の国になるだろう。住宅の寿命―耐用年数が車並みに必ずなる。ならぬとメーカーは成り立たぬ。そうなるように、技術を開発する。(中略)これからの建築空間の諸装置は、内部から建物の命数を縮めて行くだろう。そしてマイホームはいずれマイカーと同じ短命の商品になるだろう。(中略)では、そんな短命な『商品住宅』で、一体ぼくらはどんな暮らしをすることになるのか。象徴的に言うなら『霊園のない団地住まい』になるだろう。もし入居者が一生その団地に住みつくつもりなら、団地内に霊園があってあたり前だが、仮住まいのつもりでそこに入居し、また、どうせ仮住まい用なんだとたかをくくって計画するからか、団地には霊園がない。どんなちっぽけな村にも、墓所がある。墓所があって、しっかりしたコミュニティがあった。今の団地には、両方、ない。霊園がなくとも、コミュニティがなくとも、人間は死ぬ時が来れば死ぬ。
(秋岡芳夫『住 すまい』1977)

マイホームがマイカーに近づく。トヨタ自動車がミサワホームを、ヤマダ電機がエスバイエルを買収する時代。そして、スマートハウスの隆盛を知る2010年代の私たちからすると、なんともドキッとする指摘です。

「霊園のない団地住まい」からの逃走へ向けて秋岡は「建売率7割制限」なる不思議なネーミングの提案を行っています。

大工が、建具職などの職方と一緒にこれからもぼくらの町に、これまでのように住み続けてくれることを前提に、「建売率7割制限」の住宅という考えはどうだろう。聞きなれぬはず、建売率なる言葉は、ぼくの造語。従来の建坪率、環境保全がねらいの敷地に対する建坪率を真似た造語だが、たとえ建売住宅といえどもめいめいで個別的であるべきだから画一的に作ってはならぬと規制し、未完成品で家を売りなさいという案である。七十パーセントだけは工場生産してよろしい。残りの三十パーセントは住み手と町の大工の勝手にさせなさいと言うわけ。いかがであろう、この案。住宅のイージーオーダー方式と言ってもいい。
(秋岡芳夫『住 すまい』1977)

この提案は、秋岡のすまい観が如実にあらわれたものでしょう。いまで言うところの「DIYリノベ」でしょうか。いまふたたびDIYが見直されていることを思うと、ここらで秋岡の言葉に耳を傾けてみる時なのだと思います。

ただ、ちょっとばかり違和感を受けるのが、秋岡の住宅産業批判があまりにステレオタイプ過ぎること。先の引用に「大工が、建具職などの職方と一緒にこれからもぼくらの町に、これまでのように住み続けてくれることを前提に」という断りが入っていますが、すでに「ぼくらの町」に大工・職人は住み続けていない。それと同時に、建てて住む家とて、もはや買って住む家とどれほど「画一的」な度合いに差があるのかも疑問だ。

秋岡芳夫の珠玉の言葉たちは、その滋味を十分に味わう価値がありつつも、その目指す理想像が「旦那の普請道楽」的な高級趣味となるならば、むしろ害悪にもなりかねません。デザインの歴史が延々と繰り返してきた「アーツ・アンド・クラフツ運動」の失敗。大衆の生活向上を目指すデザインが、金持ちの中世趣味に留まるあの失敗を繰り返さないようにしたいところ。

そう思うと、次のような秋岡の甘美なすまい論も、適度な距離をもった上で、これからの住まいづくりへの珠玉の知恵にしたい。秋岡に敬意を込めつつ、そう思います。

住まいもおおかた、建てて住む家から買って住む家に変わってしまいましたので、注文の家に住むことはなかなか困難になってきました。プレハブ住宅など、工場生産する建物、建具、建材が増えたからです。手作りの技術を持った大工さんが少なくなったからです。手作りの良さは誂えの利く良さだということをみんなが忘れかけているからです。家も、着るものも、食器も、その用と美を誂えて、個性的に暮らしたいとは思いませんか。
(秋岡芳夫『木のある生活』1999)

(おわり)

参考文献
1)秋岡芳夫監修「悪魔の住居学」、『月刊ダイヤモンド・ボックス』、創刊号所収、1980.4、pp.110-119
2)新荘泰子『秋岡芳夫とグループモノ・モノの10年:あるデザイン運動の歴史』、玉川大学出版部、1980
3)目黒区美術館『DOMA 秋岡芳夫 モノへの思想と関係のデザイン』、目黒区美術館、2011
4)佐野由香「秋岡芳夫の「目」と「手」と「言葉」」、『住む。』No.39、2011.11、pp.73-88
5)「秋岡芳夫:増改築を繰り返した目黒の実験室」、コロナブックス編集部編『作家の住まい』所収、平凡社、2013、pp.66-77


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