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3-1.人類史における海との関わり~ホモ・サピエンス以前の人類と海~、3-1,3-2.ホモ・サピエンスの海洋進出と日本列島への渡来、3-2.旧石器時代の航海技術を考える、3-2.琉球列島の自然と旧石器人のくらし、および、3-2.琉球列島の旧石器時代:特別展「海 ―生命のみなもと―」見聞録 その12

2023年08月12日、私は国立科学博物館を訪れ、一般客として、特別展「海 ―生命のみなもと―」(以下同展)に参加した([1])。


同展「第3章 海からのめぐみ 3-1.人類史における海との関わり~ホモ・サピエンス以前の人類と海~、3-1,3-2.ホモ・サピエンスの海洋進出と日本列島への渡来,3-2.旧石器時代の航海技術を考える、3-2.琉球列島の自然と旧石器人のくらし、および、3-2.琉球列島の旧石器時代」では、ネアンデルタール人の頭骨とムラサキ イガイ、ホモ・サピエンスの漁猟具、神津島産黒曜石(原石)と神津島産黒曜石の石器、三万年前の航海徹底再現プロジェクトで使用された丸木舟と丸木舟の櫂、琉球列島の野生動物の標本など、ならびに、白保竿根田原洞穴遺跡 人骨などが展示された([2]のp.116-127)。

 

セビリア大学(スペイン)などの研究チームは、トレモリノス近郊のバホンディージョ洞窟で、石器のほか、炭化した貝殻を多数発見した。貝殻の大半はイガイのもので、放射性炭素分析で約15万年前のものと判明した。また、ネアンデルタール人が残したものと断定した。

ネアンデルタール人がシーフードを食べていたことを示す証拠は、これまでに見つかった最古の証拠の年代を約10万年もさかのぼり、ピナクル ポイント(南アフリカ)で発見された、16万4000年前の現生人類最古の「貝食」の痕跡と「ほぼ同時代」であることになる(図12.01,2のp.116,[3])。

図12.01.向かって左から、ネアンデルタール頭骨 Homo neanderthalensisとムラサキ イガイ(現生標本)Mytilus galloprovincialis。


30万~20万年前にアフリカで誕生したホモ・サピエンスは、10 万年前頃から漁猟活動をするようになった。世界最古の漁具は、カタンダ遺跡(ケニア)で発見された約8万年前の骨製の銛で、淡水のナマズ漁猟に使われたと考えられている。また、ブロンボス洞窟(南アフリカ)では、8万年前頃から貝類を食し、貝殻をビーズや絵の具のパレットとして使用していたことが分かっている。やがて、ホモ・サピエンスは5万年前にアフリカを旅立って世界各地に移住を始めると、移り住んだ先々で多様な文化を生み出した。東南アジアの島々に約4万年前に移り住んだ旧石器人は、この地で、マグロやカツオなどの外洋性魚類の漁猟を行い、貝を採集して食べていた。ヨーロッパでも約20,000~14,500 年前のマドレーヌ文化期には、特徴的な形をした角製の銛先が作られており、世界各地で漁猟が行われていたようである(図12.02,2のp.117)。

図12.02.向かって左から、貝製ビーズ、骨製銛、および、マドレーヌ文化期の銛。


東南アジアに来たホモ・サピエンスは海産物利用や外洋航海技術を発展させ、島にも移り住む。東ティモールのジェリマライ遺跡では、4万年前からマグロやカツオなど外洋性魚類を漁猟しており、タラウド諸島のリアン・サル遺跡では、3万5千年前から貝類を食べていた(図12.03,2のp.118)。

図12.03.向かって左から、リアン・サル遺跡出土遺物とリアン・サル遺跡で食べられた貝類(現生標本)。


黒潮を越えて運搬された黒曜石こそが、日本列島の旧石器人の渡海技術の高さを物語ってくれる遺物である。多数の火山を有する日本列島では、良質な黒曜石の産地がいくつか知られており、神津島に近い思馳島は旧石器時代に最も好まれた黒曜石産地の1つである。旧石器人は、黒潮を横断してこの島を訪れ、現在の沼津市などの本州各地に持ち帰っていた。海を越えた黒曜石の運搬には、目標を定めて往復航海を実現しなければならず、季節による海流や風向きの知識、そして、高度な渡海技術をもっていないと実現できない。神津島から運ばれた黒曜石は、旧石器人と海のつながりの深さを物語っている(図12.04,2のp.119,[4],[5])。

図12.04.向かって左から、神津島産黒曜石(原石)と神津島産黒曜石の石器。


最初の日本列島人は、3万年以上前に、海を越えてやって来た。これは、アフリカを旅立ったホモ・サピエンスが、陸域を越えて海にも活動域を広げながら、世界中へ大拡散した壮大な歴史の一幕である。その中でも島が小さく遠く、世界最大の海流である黒潮が横たわる琉球列島への進出は、当時の人類が成し遂げた最も難しい航海だったと考えられる。

「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」は、「最近になって明らかにされてきた、この祖先たちの海への挑戦を、できる限り詳細に解き明かしたい――」という思いに駆られて、立ち上げられたプロジェクトである。本プロジェクトは、彼らの大航海を研究し、さらに海の上で再現(実験航海)することによって、未知の世界を切り開いた祖先たちの知られざる姿に迫るもので、総勢60名の研究者・探検家・運営スタッフ(以下本スタッフ)が協力する一大プロジェクトである。

そして、宗元開(以下敬称略)と鈴木克章ら5人の丸木舟の漕ぎ手は、2019年07月07日に台湾 台東県 成功鎮 烏石鼻(うしび)から出航し、09日に日本 与那国島 久部良 ナーマ浜に到着した。即ち、本スタッフは、この45時間10分にわたる航海を成功させた。

なお、この丸木舟の船体・座席・櫂は、日本列島に存在していた、刃の部分を砥石で磨いた石斧(刃部磨製石斧:じんぶませいせきふ)で製作されたものである(図12.05,図12.06,2のp.122-123,[6],[7])。

図12.05.三万年前の航海徹底再現プロジェクトで使用された丸木舟 Logboat made with stone adzes 所蔵:東京都立大学 実物、および、
丸木舟の櫂 Paddles 所蔵:東京大学総合研究博物館 実物。
図12.06.丸木舟製作に用いた石斧。


北緯27度付近は、世界的には乾燥地帯が広がる地域であるが、琉球列島は、黒潮のもたらす温暖湿潤な気候のためか、亜熱帯の森林が育まれた。陸上の動植物は海を越えて島間を移動することはほとんどないため、島ごとに異なる動植物が生息し、独自の進化をとげた固有種も数多く知られている(2のp.124-125)。

例えば、ケナガネズミは鹿児島県(奄美大島・徳之島)と沖縄県(沖縄島)にのみ生息する(図12.07,[8])。一方、アマミトゲネズミは奄美大島にのみ生息し、アカネズミは北海道から九州にかけて広く分布する(図12.08,[9],[10])。

図12.07.ケナガネズミ Diplothrix legata。
図12.08.向かって左から、アマミトゲネズミ Tokudaia osimensisとアカネズミ Apodemus speciosus。


ハブは奄美諸島と沖縄諸島に生息する一方、マムシは北海道、本州、四国、および、九州に生息する(図12.09,[11])。

図12.09.向かって左から、ハブ Protobothrops flavoviridisとマムシ Gloydius blomhoffii。


リュウキュウイノシシは、奄美大島、徳之島、沖縄島、石垣島、および、西表島に分布するイノシシの亜種である(図12.10,[12])。

図12.10.リュウキュウイノシシ Sus scrofa riukiuanus。


琉球列島に現在の様なサンゴ礁の海が広がった時期は、第四紀更新世になってからである。以降、琉球列島の多くの島々で、サンゴ礁から陸棚にかけての一帯で炭酸塩堆積物が形成されるとともに、島の沿岸や陸上では陸源性砕屑物が堆積した。それらは琉球層群と呼ばれ、琉球列島の島々に広く分布している。

琉球層群は主としてサンゴ礁複合体堆積物の累積体より成り、個々のサンゴ礁複合体堆積物は第四紀の海水準変動に対応して形成された堆積物である。

更新世初期(1.65〜0.95 Ma)には、少なくとも、沖縄本島南部と本部半島北部一帯の地域でサンゴ礁が形成され始めた。しかし,沖縄本島中東部では、依然として石灰質泥岩および砂質石灰岩を主体とする知念層が堆積し、南琉球の波照間島では、島尻層群の泥岩やシルト岩の堆積が継続していた。やがて、前期更新世にサンゴ礁の形成域は大幅に拡大した。沖縄本島以外でも、南琉球の伊良部島、ならびに、中琉球の久米島や与論島でもサンゴ礁が形成されたことが確認されている。この様なサンゴ礁形成域の拡大は、陸源性堆積物の影響の小さい浅海域が拡大したことを反映していると考えられ、大陸からの陸源性堆積物をトラップする役割を果たした沖縄トラフの拡大と密接に関係していた可能性が考えられる(図12.11,2のp.124-127,[13])。

図12.11.向かって左から、島尻層群泥岩(ボーリング コア)と琉球層群泥岩(ボーリング コア)。


琉球列島は国内で旧石器時代にさかのぼる人骨が発見されるほぼ唯一の地域で、更新世に最初に日本列島へ到来した人類に関する研究において最重要地域である。2020年に国指定の史跡となった石垣島・白保竿根田原洞穴遺跡(白保遺跡)は、2007年の発見以来、更新世末の3万年前ごろから近世にかけての文化層が確認され、これまでに更新世末から完新世初頭の1100点を超す人骨片が回収されている。この中には「顔のわかる」保存のよい頭骨4体分を含め、約20個体分の骨が含まれていることがわかった。またこの時期、白保の洞窟が断続的に墓地として利用され、その葬法は琉球地方に近年まで受け継がれてきた「風葬」に類似するものであったこともわかってきた(図12.12,[14])。


港川遺跡は沖縄島南部にある沖縄県八重瀬町長毛に位置する遺跡で、日本列島の旧石器人を代表する港川人の発見地である。遺跡は、沖縄島南海岸に流出する雄樋川河口右岸の標高20~30mを測る石灰岩台地に形成されている。

港川人は1~4号の4体分の全身骨格からなり、1号は男性、2~4号は女性である。男性の推定身長は150~155㎝と小柄で、特に細い上半身に対して下半身は比較的発達していた。食べ物をかみ砕く咀嚼のための顔面構造は頑丈で、粗末な食べ物をよく噛んで食べる放浪性の生活を送っていたと考えられる(図12.12,[15])。

図12.12.向かって左から、白保竿根田原洞穴遺跡 人骨と港川人 頭骨。


沖縄島南部の南城市と八重瀬町の境を流れる雄樋川(ゆうひがわ)の流域には、多くの石灰岩洞穴が分布しており、観光洞として公開されている玉泉洞(ぎょくせんどう)とその周辺に分布する洞穴群は、玉泉洞ケイブ システムと呼ばれる大規模な洞穴群を形成している。サキタリ洞はそうした洞穴の1つで、現在はガイドツアーコース「ガンガラーの谷」のケイブ・カフェとして利用されている。

サキタリ洞は東西に2つの開口部をもつ大ホール型の洞穴で、洞内の面積は約620 m2、天井高は約7mを測る。現洞床の標高は約30mで、現海岸線までは1.5kmほど隔たっており、最終氷期最盛期には海岸線から5kmほど内陸に位置していたと考えられる。

1970~80年代にかけて行われた観光地開発に伴って遺跡の存在が知られていたが、本格的な調査は行われていなかった。2009年から、沖縄県立博物館・美術館によって洞穴内外の3カ所の調査区(調査区I~III)で発掘が行われている。このうち、西側洞口部の調査区Iと調査区IIIでは主に旧石器時代(約40,000~10,000万年前)の地層が、東側洞口部の調査区IIでは主に縄文時代以降(9,000年前以降)の地層が確認されている。

調査区Iでは地表下約2mまで発掘を実施し、結果としてこの地点の堆積物は以下のように区分することができた。

表土:現代遺物を含む黒色土。

FS層:炭酸カルシウムによって固結化したフローストーン(flowstone)層。約11,000~3,000年前。

I層:しまりの弱い褐色土層。16,000~13,000年前。

II層:炭化物を多く含む炭化物層。23,000~20,000年前。

III層:しまりの弱い褐色土層。37,000~23,000年前。

調査区IのII層からは断片的な人骨とともに世界最古の巻貝製釣針をはじめ、マルスダレガイ科(マツヤマワスレ)やクジャクガイを利用した加工具、および、シマワスレやツノガイ類を利用した装飾品(ビーズ)などの多様な貝器類が出土した。この他、炭化物とともにモクズガニの爪、カワニナ、および、カタツムリが大量に出土しており、これらは旧石器人の食糧残滓と考えられる。以上のことから、約20,000年前のサキタリ洞遺跡の旧石器人は、多様な貝器を製作、使用し、河川性の資源を活発に利用していたことが明らかとなった。また、調査区IのI層からは14,000年前の地層からは断片的な人骨とともに石英製の石器や、巻貝(マツムシ)製のビーズが発見されている。サキタリ洞遺跡の周辺には石英は分布しておらず、30km 以上離れた沖縄島中北部から人為的に持ち込まれたものと考えられる(図12.13,図12.14,2のp.124-127,[16])。

図12.13.サキタリ洞遺跡I区で発見された旧石器時代の人工遺物。
図12.14.サキタリ洞遺跡I区で発見された食料残滓。


本記事を書くことで、私は「ホモ・サピエンスのグレート ジャーニー」の一端を垣間見ることができた。私は驚嘆することしかできない。



参考文献

[1] 特殊法人 日本放送協会(NHK),株式会社 NHKプロモーション,株式会社 読売新聞社.“特別展「海 ―生命のみなもと―」 ホームページ”.https://umiten2023.jp/policy.html,(参照2024年01月28日).

[2] 特別展「海 ―生命のみなもと―」公式図録,200 p.

[3] 株式会社 クリエイティヴ・リンク.“ネアンデルタール人は15万年前には貝を食べていた、スペイン研究”.AFPBB News ホームページ.ニュース.環境・科学.2011年09月17日.https://www.afpbb.com/articles/-/2828242,(参照2024年03月03日).

[4] 独立行政法人 国立科学博物館.“池谷 信之”.3万年前の航海 徹底再現プロジェクト トップページ.プロジェクト メンバー.https://www.kahaku.go.jp/research/activities/special/koukai/menber_list/04ikeya.php,(参照2024年03月06日).

[5] 神津島村商工会.“黒曜石”.神津島村商工会 ホームページ.神津島の歴史&文化.http://www.kozu-shokokai.or.jp/cn3/pg75713.html,(参照2024年03月06日).

[6] 独立行政法人 国立科学博物館.“3万年前の航海 徹底再現プロジェクトとは”.3万年前の航海 徹底再現プロジェクト トップページ.https://www.kahaku.go.jp/research/activities/special/koukai/about/index.php,(参照2024年03月06日).

[7] 独立行政法人 国立科学博物館.“丸木舟での「台湾→与那国島」実験航海に成功しました”.国立科学博物館 ホームページ.各種手続き・報道関係資料.プレスリリース.2019年度分(PDF).2019年07月12日.https://www.kahaku.go.jp/procedure/press/pdf/187485.pdf,(参照2024年03月06日).

[8] 環境省 自然環境局 生物多様性センター いきものログ運営事務局.“ケナガネズミ”.いきものログ トップページ.はじめに―レッドデータブック/リスト.RDB図鑑.RDB図鑑一覧.https://ikilog.biodic.go.jp/Rdb/zukan?_action=rn007,(参照2024年03月06日).

[9] 鹿児島市 平川動物園.“アマミトゲネズミAmami-oshima Island Spiny Rat”.鹿児島市 平川動物園 ホームページ.HIRAKAWA Zooかん.https://hirakawazoo.jp/zookan/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%9F%E3%83%88%E3%82%B2%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%83%9F/,(参照2024年03月06日).

[10] 盛岡市動物公園 ZOOMO.“アカネズミ”.ZOOMO トップページ.園内紹介.動物紹介.https://zoomo.co.jp/animals/lj-field-mouse/,(参照2024年03月06日).

[11] 株式会社 山と溪谷社.“「毒ヘビ」〜猛毒注意。こいつらだけには手を出すな!|山に潜む危険生物(2)/登山力レベルアップ講座”.山と溪谷オンライン トップページ.ノウハウ.2022年05月17日.https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=1905,(参照2024年03月06日).

[12] 公益財団法人 沖縄こどもの国.“リュウキュウイノシシ”.沖縄こどもの国 トップページ.動物図鑑.https://www.okzm.jp/animal_book/567/,(参照2024年03月06日).

[13] 国立大学法人 東北大学 大学院 理学研究科 地学専攻 地圏進化学講座 炭酸塩堆積学・地球化学グループ.“7.琉球列島のサンゴ礁”.炭酸塩堆積学・地球化学グループ ホームページ.Research.Research 7.http://dges.es.tohoku.ac.jp/iryulab/research7.html,(参照2024年03月09日).

[14] 学校法人 慶應義塾 慶應義塾大学 日吉キャンパス.“石垣島・白保竿根田原洞穴遺跡から出土した旧石器時代人骨の研究”.HIYOSHI RESEARCH PORTFOLIO トップページ.研究紹介.生物系.生物学.発表年2021.https://hrp.hc.keio.ac.jp/research/2523.html,(参照2024年03月10日).

[15] 日本旧石器学会.“港川遺跡 Minatogawa site”.日本旧石器学会 ホームページ.日本列島の旧石器時代遺跡.https://palaeolithic.jp/sites/minatogawa/index.htm,(参照2024年03月10日).

[16] 日本旧石器学会.“サキタリ洞遺跡 Sakitari-do cave site”.日本旧石器学会 ホームページ.日本列島の旧石器時代遺跡.https://palaeolithic.jp/sites/sakitarido/index.htm,(参照2024年03月10日).

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