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シンプル。アップデート。変化。

Twitterに写真を載せる時、ほとんどは一言だけ添えることにしている。花とか、草、葉、空など。言語は日本語と英語のセットで。それぞれ単語レベルだ。

英語をセットにしている理由は、他国の人にもわかるようにと思った時、英語かなと思った、くらいの理由だ。

始めた頃はもう少しバリエーションがあった。水滴、石、木の実とか。でも途中から止めて今ではほぼ限られた単語しか使わない。

理由はある時、英単語についてアドバイスがあったからだ。これはこっちの単語の方が適切では?と。確か、木の実か果物の実か、といったことだったような気がする。正確には覚えていない。

最初は、なるほどー、と思ったりもした。ちょっとしたニュアンスの違いで単語を使いわけるのは面白いし大切なことだ。

でも、逆に今ではそうした要素を排除している。
なぜか。

簡単に言えば面倒くさくなったからだ。

それは教えてくれた人に対してではなく、自分自身に対してだった。ある時、Twitterに写真をアップする前に自然と英単語を調べている自分に気がついた。適切な単語は何かなぁ、と。それに気がついた時、なぜこんなことをしているんだろう、と思ったのだ。

私がやろうとしていることは、あくまで写真の共有による楽しみであって、正しい英単語を知りたいわけではない。もちろん、知ること自体は悪いことではないし勉強になる、とも言える。しかし、今やろうと思っていることの主たる目的ではない。

植物の名前にも言える。バラだろうとヒマワリだろうと全て花の一言で終わらせている。名前を知らない色々な草たちも、草の一言だけだ。

これも英単語と同じことで、それぞれの植物固有の名前を知ると面白いのかもしれないし、たまに自分自身でも何て名前だろうと思うことがないでもない。しかし、植物学者を目指しているわけでも、植物図鑑を作ろうとしているわけでもない。

ただ目の前の植物と周囲の環境から心惹かれた時を撮ること。そして、それを他の人にもお裾分けすることで、別の人の心にも何か惹かれるものが生まれたりするといいなぁ、と。

それはきっと心地良いもの。ちょっとした息抜きのような。そんな感覚。シンプルなこと。

そうすると、多くは不要となり削られていく。削ってシンプルにしていくというアップデートを繰り返して残っているのが今のスタイル。

大まかな方針は固まり、あとはちょっとした微調整を気がついた時にしている。これもまた日々のアップデート。

植物がそうであるように、絶えず、そしていつの間にか変化していく。それが良い。

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