武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑱

強制による一体感を目指した「ハイルヒトラー」

掛け声による催眠的な洗脳

 ナチスドイツの掛け声といえば「ハイルヒトラー」だ。これは、ヒトラーへの忠誠の証として義務づけられた敬礼と挨拶である。背筋を伸ばして右手を水平に曲げ、次に天へと突き上げる党員や群衆は、まさにナチス支配の象徴といってもいい。
 ハイルはドイツ語で「万歳」を意味し、直訳すると「ヒトラー総統万歳」となる。ときには「ハイルジーク」と叫ぶこともあり、この場合は「勝利万歳」という意味になる。ただし、これらはナチスのオリジナルではなく、古代ローマ時代の敬礼をアレンジしたものだ。
もともとはナチス党員の間で交わされる挨拶だったが、ナチス政権の誕生後は全公務員の義務となった。政治集会では必ずこの敬礼でヒトラーを出迎え、党員と出会った際も右手を上げなければならない。
体が不自由でも容赦はされず、右手が使えなくとも左手での挙手が強要されていた。その徹底した強制の結果が、記録映像などに残る大群衆が見事にそろった敬礼を見せる光景である。
 むろん、敬礼の強要も広義的にはプロパガンダの一環だ。国民や党員の一体感を高めるためには、共通した仕草や掛け声を作るのが一番の近道だからだ。アイドルコンサートでファンが共通の挨拶や「オタ芸」をしたり、宗教団体の集会で信者達が同じお祈りのポーズをしたりするのと同じである。
ヒトラーは集会で参加者全員に全く同じ敬礼をさせることで一体感を演出し、会場を埋め尽くす「ハイル」の掛け声が熱狂をより高めて、党首への忠誠を深める催眠的な空気をつくりあげたのだ。

同調圧力に従いやすい精神の利用

 ただし、集会のみならその場だけで終わるので、日常に帰れば冷静になることもあるだろう。しかし、政権樹立後は一般人にも半ば義務として強制する。
 人間は基本的に同調圧力に弱い。日本では日本人ばかりがやり玉にあげられがちだが、どこの国民でも似たり寄ったりである。
 日常的にナチス式の敬礼を目にしていれば、それは通常のこととしてすり込まれていく。そのうえ弾圧の危険があれば、ヒトラーに懐疑的でも形だけは行わざるを得なくなり、なかには本当に忠誠を表す人間も出てきただろう。そうやってヒトラーは、体制への一体化を国民に示させることで、国民の絶対的支持を実現しようとしたのだ。
 だからといって、すべての人間が同調圧力に弱いわけでもない。敬意を払えぬ者に対する尊敬の押し付けは人々の不満をため、反ナチ運動の温床にもなりかねない。「ハイルヒトラー」の効果を最大限に高めるためには、人々が心からヒトラーへの敬愛を抱く必要があるのだ。
 当然ながら国内統制をより盤石にするという意図もあり、ナチスが手がけたのがヒトラーの神格化政策である。

人間味あふれたヒトラーの画像

 ナチス政権の発足以降、ゲッペルスと宣伝省はありとあらゆるメディアでヒトラーの偉業をアピールし、「ヒトラー英雄神話」の形成を進めていた。その一方では、別方向からのアプローチも仕かけている。
 1930年代前半に流行したヒトラーの絵葉書や写真集。そこに写されたのは、英雄像からかけ離れたヒトラーだ。
別荘でゆったりと過ごす姿、子ども達と和やかに交流する姿、女性に紳士な振る舞いを見せる姿など、まさに普通の人間としての姿である。なかでもオーバーザルツベルクの山荘近くに住むベアニーレという少女との交流は当時注目を集め、グラフ誌や新聞でたびたび紹介されていた。
 もちろん、これもプロパガンダの一種だ。ヒトラーのカリスマ性といえば、演説会場で見せる熱情的な姿や、国家指導者としての厳格な人間像が連想されがちである。だが、そうした英雄としての姿は、当時喧伝された一部でしかない。大衆とも区別なく接し、女性や子どもに優しく接する人間味のあるイメージも、国民人気を高めた理由であることも、近年の研究で判明している。
 人間は完璧すぎると逆に嫌われるものだ。ゆえに親しみやすいヒトラー像も一緒に広めることにより、身近な存在として感じてもらおうとした。こうしたイメージ戦略もあって、ヒトラーは社会的階層を問わず、あらゆる人々から支持された。
 支持率は9割を超え、まさに民族一体化の象徴となっていったのである。そして人々は「心優しくも厳格なヒトラー」に心からの忠誠を抱き、自ら敬礼をしてみせたのだ。
 なお、現在のドイツとヨーロッパの一部では、ハイルヒトラーの敬礼を法的に禁じている。学校での挙手もナチス式と間違われないよう人差し指だけを立て、外国人でも罰金を払うことになるようだ。滞在中、だれかに手を振るようなときがあったのなら十分に注意したい。

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