武器を使わない情報戦ープロパガンダ⑰

神がかり的だったヒトラーの演説演出

計算し尽くされたパフォーマンス

 ヒトラーの演説シーンを過去の映像などで、ご覧になった人も多いだろう。そのとき印象に残るのは、抑揚のある喋り方に加え、大げさともいえるほどのジェスチャーだ。
 身振り手振りで熱弁し、ときには演壇を殴りつけ、腕を振り回し、あるいは陶酔するかのように拳をつくって胸をたたく。このような演劇パフォーマンスのようなジェスチャーの数々も、計算された仕草であった。
 派手な動きは聴衆の興味を引き、記憶にも残りやすい。演説の内容がわからない聴衆でも、ショーのように楽しめる。実際、ヒトラーの政治集会にはパフォーマンス目当てで足を運んだ者も多いという。
 そうした「冷やかし」の心もつかむために、ヒトラーは身振り手振りの練習は欠かさなかった。コメディアンの技法や話法も参考にして、魅力的な動きを常に身につけようとしたともいう。その結果として、興味本位の聴衆も演説を楽しむようになったのだ。
 もちろん、演説の中身にも気を配っていた。実のところ、ヒトラーの声は演説向きではない。気分が高揚すると声が上ずり、聞き取りにくくなるためだ。それでもなお、扇動力が評価されているのは、聴衆の求める言葉や内容がよくわかっていたからだ。
 ナチス台頭前後のドイツといえば、ワイマール体制と世界恐慌の余波で社会不安が増大し、慢性的なインフレと生活難で失業率も40%というありさまだった。そこに現れたヒトラーは、国民の不満を的確に口にした。
 第一次世界大戦の敗戦による社会不安を中心に添え、人々が口にしたくてもできなかった不平不満をエネルギッシュに、ときには怒りを込めて吐き出す。静かで理知的なドイツ式の演説に慣れていた当時の国民にとって、ヒトラーの熱情的な演説はまさに新鮮だったのだ。

大衆への侮りを逆手に取る

 ドイツの危機を訴えるときは荒々しく、落ち着いた話題は静かな声で。豊かな感情をそのまま表現する演説スタイルは、若き日より抑圧されたヒトラーの感情の爆発だともいう。
 なかでも重視されたのは、人々の共感をもっとも集められる「怒り」。怒ってはいても支離滅裂になることはなく、怒りの理由を論理的に表現する能力に長けていたからこそ、国民はヒトラーを怒りの代弁者として熱烈に支持していったのだ。
 ただし、演説中の感情は演技であることを忘れてはいけない。ヒトラーは国民の怒りに同情するどころか、むしろ大衆を見下している。著書「我が闘争」の中でも、「大衆の思考は二分的で単純」「感情的な感覚で考えや行動を決める」「理解力は小さく、忘却力は大きい」とドイツ国民への評価は散々だ。
 しかしヒトラーの考えは、大衆が愚かというだけでは終わらなかった。むしろその「愚かな大衆」にも自分の理念が届くよう、研究と演説の工夫に余念がなかったことが、恐ろしいところでもある。
 大衆の身近な悩みに関心を払い、知的でない人々でもわかりやすいよう、話の要点をいくつかに絞り、主張の根拠と論旨は明確になるよう心がける。そして短時間の演説では簡潔にまとめ、長時間の場合は同じ話題を何度もくり返す。
 もちろん言い方は逐一変えて、演壇の舞台装置や音楽を駆使して聴衆を飽きさせなかった。そうしているうちに、冷やかしや見世物気分でやってきた聴衆たちも、いつしか演説内容そのものに耳をかたむけ、熱心な信奉者となっていくのだ。

民衆と資本家との対応を区別

 ヒトラーは、社会不安の原因がユダヤ人や共産主義者だとして敵意を向けさせ、国民には好意的なメッセージを送ることに注意を払う。ヒトラーが演説中に、ドイツ人やアーリア人を優秀だと持ち上げていたのが、まさにこれだ。敗戦の挫折と劣等感にさいなまれていた国民には、そうした「持ち上げ」が心にひびいたのである。
 大衆の大半を味方につければ、少数の反対派など怖くはない。ヒトラーに反論しようとしても、圧倒的多数の感情論にのまれて消えていく。これは現在のSNSでもよく見る光景だし、ナチス政権下のドイツでも同じであった。そこに経済復興などの実績が加わることで、国民のヒトラー人気は不動となった。
 そのかたわら、資本家相手の演説では共産主義の危機を理路整然と訴え、支持を取りつけている。理知的な彼らに感情任せの理論は通用しないからだ。
 こうした話術の使い分けも、演説中の感情が演技とされるゆえんであり、ヒトラーが非凡な扇動者と呼ばれる理由なのである。

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