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消費・文化・コミュニケーション - 『消費社会の神話と構造』を読んで

“消費”というコミュニケーションについて考える。

“消費”することや、“消費”しないことを通して、 私たちは他者に対して、そして自分の内面に対して、コミュニケーションを図っている。

サービスに対しての「金銭」の消費
対価として得た「物品」の消費
余暇を過ごすにあたっての「時間」の消費(や意図的な「浪費」)

これらを行う事によって、私たちは自分がどのような価値観を持った人間か、 どのような意思表明を今しようとしているのかを発信する。

その背面で、 “消費”というコミュニケーションを加速させる経済活動が存在しており、 コミュニケーション(消費)の模範例として(広告などによって)提示されたものを、 再生産する。

ジャン・ボードリヤール 著 今村仁司&塚原史 訳
『消費社会の神話と構造』<新装版>
(2015年第一刷)

この“消費”というのも、
資本主義にもとづく社会の維持のために必要不可欠な行為である。

それが、人間の営む社会に必要不可欠なコミュニケーションに結びついている。

消費社会自体が自らを消費社会と思い込み、我々に対してその役どころを求めだす。
自己満足するように勧められる私たちは、自己満足を果たすために「消費」を行い循環の役を担う。

コミュニケーションには発信と受信の両面があり、良いコミュニケーションを成立させるためには文化という教養が必要となってくる。

階級制が薄まっている現代においては、ある程度の文化という教養は(個人の好みに応じて)学ぶことが出来る。

そうした努力を経て、自己満足につながる心地よいコミュニケーション(≒消費)を行っていく。

そうであるならば、そうであると思いつつ、心地よいコミュニケーションを探っていきたい。

消費が関係(単にモノとの関係ばかりでなく集団や世界との関係)の能動的様式であること、すなわちわれわれの文化の全システムがその上に成り立っている体系的活動と包括的反応の様式であることを、最初からはっきり認めなければならない。

『消費社会の神話と構造』


1979年発行『消費社会の神話と構造』の新装版
底本
Jean Baudrilard:La Societe de Consommation, Ses Structures, Gallimard, Idees, 1974

※イラストはChat-GPT / DALL-Eにて生成

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