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物の便利さは人の心を失い体を退化させる

今どき人口減少の進む田舎にいると公共交通は少しづつ廃路線がすすみ燃費のいい自動車は欠かせない。ハイブリットはいらないが軽自動車のよう経費のかからないものを求める。

最近の傾向だが田舎の子供より都会の子供の方が歩いたり自転車に乗ったりする機会が多く持久力を含めた体力が少なくとも昭和のころに比べて格差が広がったように思える。小学校の時は集団登校が普通とされているが中学校になると個人で行くようになり登校方法はさまざまであるが送りをする親も多いし、統廃合が進みスクールバスを利用している子たちも多い。さらに下校は雨の日には学校の前に保護者の車が並ぶ。

それだけではなく部活動での練習試合や大会ともなると現地まで保護者もしくは自高校やチャーターしたバスでが運ぶことは少なくない。その反面都会ではチームで重たい荷物を持って公共交通を使い行くチームをよく見かけた。

そして田舎の有名な高校のレギュラー陣を見てみると都会からやってきた選手たちがほとんどしめている状態だ。それだけ能力が高いとみられる。

しかし今のところその流れは止まらないが子供が少なくなっている県にとっては選手たちが全国を目指して高校などに入学してくれるのはありがたいことだし部活動の運動レベルは上がる。

仕方のないことではあるが地元の子供たちの出場機会は失われる。もどかしいところだ。

情報が発達し便利なものは田舎でも手に入るようになった。子供も大人も自分で暗算しなくても辞書で調べなくてもAIが答えを出してくれるようになった。特にスマートフォンが出て以来その傾向が顕著になった。大人も子供も徐々に考えて物事にあたることをしなくなってきたのだ。答えを教えてもらうこと、答をただ書き写すことばかり執着してわからないところを理解しようとすることをやめ考えなくなってしまったのだ。

沢山の魅力ある情報の提供や物の豊かさに勉強をする意味を失いかけている。そして子供たちの勉強格差が生まれ始めまたはっきりした理由は分からないが多動性の障害を持つ普通校に通う子供が急増してきた。便利なものが考えなくなったり勉強をしなくなった環境をつくてしまった。

そして人として最低のしつけで教わるルールが通用しない大人も子供も増えている。そういった大人や子供が家族を構成するようになった。時代が変わってしまったと思えば仕方ない話だがすこしおかしな方向へ進んでいる。

今真っ只中の大統領選挙も大阪都構想の選挙も勝てるなら法律ぎりぎりでも相手に勝つならどんな方法でも使うというのが見えてしまう権力争いを繰り広げる。そんな世の中を大人がみせているのだから。。。こどもがそれをみているということは欲を満たすためにはこどもがいじめをしても仕方がないということだろう。

今年は新型ウィルスの影響もあって心も体も退化する方向へさらにリモート化が加速し進もうとしている。

いままで日本人が大切にしてきた五徳、五常という言葉がある。仁・儀・礼・信・智 言葉の意味はよくわからない人も多いが日本人は最低の常識として小さい子供のころにしつけられる。戦争が終わって70年以上経ってそれが大人も子供なくなりはじめているのだ。

これは日本人だけではない。感染がさらに進行している世界はまもなく歯止めのきかないところも出てくるかもしれない。

心の常識がしっかりできているとこんな状況になっても大きな混乱は起こらない。まだ日本は保っている。それが感染を今のところとどめている。

感染もちょっと見方を変えれば天変地異の様なものだ。

日本でも混乱した時期に政権があって不安定なとき大きな地震が起きている。平成でいえば阪神淡路大震災、東日本大震災だ。

物が便利になることは大切だと思う。しかし人の心と体が退化してしまうのは間違っている。今年はいいきっかけとなる。2011の地震は日本人の考え方を本来の形に少し戻した。だから今一つ戻したいところだ。その為のものが便利になっていくことは大いにうれしいことだ。

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