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エッセイ/テーブルひっくり返し事件

私は一度、リビングの大きな机と椅子をひっくり返すという奇行を働いて、家族を驚かせたことがある。

私が高校生くらいの頃だった。母親と妹が、比較的大きな喧嘩をした。母親も妹も大きな声で言い合い、妹が力任せに閉めたリビングの扉が、家じゅうにものすごい音を響かせた。

大音量の大喧嘩。そこで激昂していたのは、妹と母親だけではなかった。
成り行きをそばで無言で見ていた私も、静かにブチ切れていたのである。

2人がいなくなったリビングで、私はせっせと大きなテーブルをひっくり返した。4人用のどっしりとしたテーブルは重く、細腕の私はなかなかに難儀した。
だけどあくまで静かに。何も壊さないように。あの2人のように、周りを構わず不機嫌と騒音を撒き散らす、なんてことがないように。
ついでに椅子も、4脚全部ひっくり返した。

私は、不機嫌な態度を堂々とあらわにする人が嫌いだった。そのひりひりとした険悪な雰囲気も、扉をとびきり強く閉めたときの、大きな音も大嫌いだった。
彼女たちに私は見えていなかった。そばで見ていた私がとばっちり的にストレスを負っていることをきっと喧嘩の張本人たちは知らないであろうことが、そのときは何よりも腹立たしかった。

足の太いずんぐりとしたテーブルを倒しながら、私は決意していた。
怒られても知らない。私は決して直さない。妹と母親が、2人でこれを元通りにすればいい。
テーブルも、変わってしまった家の雰囲気も。
元通りになるまで、私は許さない。

その日の夜、少し冷静を取り戻した私は、母親に机は自分がやったのだと白状した。母親は「びっくりしたわ」と笑った。
私が言うのも何だけど、いや、母親は本当にびっくりしたんだと思う。だけど、それ以上は何も聞かれなかった。
いつのまにやら机と椅子は元通りになっていた。妹と母親も、私の知らないうちに仲直りしていた。

人の不機嫌を許容できない私。自分の機嫌は自分でとってくれよ、と思う私。
会社でだって、一緒に働く上で苦手な人のタイプは?と聞かれたら、食い気味に「機嫌で態度が変わる人です。」と答える。

どうしてそんな人間になったのかと聞かれると、私自身が生理周期や気圧に翻弄されやすい体質ながらに、でも不機嫌になって周りに迷惑をかけてはいけない、と生きてきたため、潔癖症のようになっているのかもしれない、と思う。
「自分の機嫌で人に迷惑をかけてはいけない」
それが、私が大切にしてきたことだから。
やさしくない、とも思う。人の不機嫌を許容できないことが。
けれど、人前で不機嫌な態度をあらわにすることが許されると言うのなら同様に、その不機嫌を許容できないこともどうか許してほしい。

実家を出て、今では夫と娘との3人暮らしをしている。
疲れたときなど、夫の機嫌が悪そうだと感じ取ると、私は少し距離を取るようにしている。
別室で過ごしたり、娘を連れて散歩に行ったり。

じゃないと私は、またテーブルをひっくり返したくなってしまうかもしれないから。

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