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自転車と不思議

自転車を漕ぐと瞑想スイッチが入ってしまうという、希有な体質になってしまったのだが、その初期の頃の事である。


またまだ思考と瞑想状態が入り混じっていた。
ちょっとした隙間に思考が入ってくる。


問題を解決しなくては、と思っていた。
その頃は特に大きな問題はなく、小さな小競り合いのような問題が、チラチラある程度だった。
それらを一掃するにはどうしたら、と考えていた時だった。

そこは登録している事業所のすぐ近くの橋の上だった。
事業所を基点に自転車で行ける範囲が訪問先となるので、日に何度となくその橋を渡る。
土手を越えるために橋は道路から上がるカタチになり、マンションが多い街中だが、そこは空が開ける場所になっている。
特に夕方は夕陽が綺麗だ。
土手は桜並木と遊歩道になっていて、近隣の人々の散歩やランニングのコースになっている。

その橋に差し掛かった時、フッと、本当にフッと、あれ?問題を片付ける、、、そしたら次の問題がやってくる、、、???
問題を問題にして解決するからまた問題がやってくるんじゃないのか?


漫画にしたなら、頭の上にピコーンと電球マークがついたような閃きだった。


橋の上から坂道を降りながら、呆気にとられた。


ああ、今までなにやってたんだ、、、
自分で問題つくってたんやん、、、
へ、変態やん、、、


その橋の上は、私にとっては閃きポイントなのである。


もう一箇所、私が悟りポイントと呼んでいる場所がある。


そこは事業所から一番遠い利用者宅へ向かう道で、週に一度しか通らない。


しかし先程の橋と違って、なんの変哲もない、まったくもってただの道路である。
なぜ、そこが悟りポイントなのか、さっぱりわからないのだが。


幹線道路から一筋離れているので、道幅がある割に車が少ない。近くを通る線路に並行して二駅分は真っ直ぐな道だ。自転車に最適なのである。


途中、中学校がある。学校のある側だけ歩道とガードレールがある。そのガードレールを洗濯干し場にしているおばちゃんというか、おばあちゃんがいる。
道路を挟んで反対側に、昔ながらの三軒長屋があり、そこの住人であるおばあちゃんが道路を渡って干しに行くのだ。
通りがかりに何度も目撃している。


ある時少し手前から、遠目におばあちゃんがガードレールに向かっているのが見えていた。
見通しも良く車も通っておらず、かなりのスピードで走っていた。

おばあちゃんに近づいた時、隣の家からおばあちゃん2号が出てきて話しかけた。

「かわ、、、」


スピードが乗って通り過ぎようとする私の耳に声が届いた。最初の断片で、わたしの脳内には「乾いとるか〜?」「ああ、乾いとるなぁ」という会話がすでに成立していた。
いや、既にそう聞こえた、とさえ思った。


ところが通り過ぎていく私に後ろから追いかけるように耳に入ってきたのは「可哀想になぁ!」「ほんまやで〜可哀想やでなぁ」という会話だった。


何が可哀想なのかは知らないが、多分時間にして数秒のこの出来事で、あ、人は自分が思いたいように思うんだ。その思いたいように思ったことで世界ができているんだ!と瞬間に悟ったのである。


なぜにこのことが、その悟りにいたるのかはちょっと説明できないのだけど、とにかく一瞬でスカッと入ってしまった、としか言いようがないのだ。


そんなことがあったのを忘れかけていた先日、全く同じ場所で、スカッと入ってきた。


死んでもチャラにはならない、と。


ななな?どういうことだ?


落ち着いて脳内で解読する。


つまり、死ねばチャラになると思っていた。
なにか腑に落ちない感情だとか思い込みとか。それが元となって繰り広げられる現実の日常だとか、あの失敗この後悔、何でこうなっちゃったんだろうって。
死ねばチャラになると思ってたんですよ。


でもね、自分と向き合わないで棚上げしたものは、チャラにはならない。また手を替え品を替え、なんらか対峙しなくちゃならん時が来る。


それは肉体を脱ぐ時、走馬灯のように振り返り、ああそうだったのかと一緒に手放すこともあるだろう。
しかし、向き合わなかった自分はチャラにはならない。下手したら肉体がない分、あの世でフワフワグルグルと回り続けるかもしれない。


肉体を持ってこの世で浄化することは大きいのだ。
チューリップが開きっぱなしジャンジャンバラバラなのは期限付きなのだとしたら。

なんて考えながら、しかし一体あのスポットはなんなんだろうと、そちらの方が気になるのだ。


もう一つ、自転車に乗っている時に、とても不思議な体験をしたことがある。


それはなんの変哲もない駅前で、信号待ちをしていた時だった。青になってスッと漕ぎ出した時、急に龍がいる!と感じたのだ。


龍や龍神が祀られた神社が好きで、あちこち巡ったことはあるのだが、実際に見たり、気配を感じたことすらない。
ただ、吉野や室生、鞍馬などは独特の空気の質感がある。しっとりとしていながら凛とした空気、というのだろうか。


中小企業の街といわれる我が街の、チェーン展開しているドラックストアの前で、突然その空気を感じたのだ。


そしてその空気はドラム缶を少し細くした程の筒状で長くて、自転車と同じぐらいの高さのところを、うねるように流れていったのだ。
目にはみえていないが、龍が通り過ぎていったと思った。そんな気配を感じたのは、後にも先にもその時だけだ。


そうは思ったものの、まさかな、イヤ気のせいかな、こんなところで?いるはずもないのに?なんて山崎まさよしの歌が脳内でグルグルする。


信号を渡って、高架下を潜り、少し開けた道に出たところで、ふいっと空を見上げた。
そこに大きな龍の姿の雲が、真っ青な空に浮かんでいたのだった

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