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貴女へ

私の母の更年期は、大荒れに荒れた嵐のようだった。
夫である父親は、仕事だなんだと逃げてゆき、どこかの安全な港で、ただただ嵐が過ぎてゆくのを待つのみだった。
兄は、母のお気に入りで、兄にはその片鱗も見せず、結局、雨風をまともに受けたのは私だけだった。

その役が嫌で堪らなかった私は、二十歳を過ぎると逃げるように家を出た。
親にしてみれば、だらしなく頼りない娘が、自立してやっていける訳がない、何かと頼ってくるだろうと、タカを括っていたようだ。
ところが私は、家を出るとまるで水を得た魚のように、スイスイと泳ぎだした。


何かと電話がかかってくる。
元気でやってるのか、ちゃんと生活してるのか、と。こちらからの生返事を聞いたか聞かないかで、かあさんはね、、、と愚痴が始まる。

今なら知らんがなの一言で、バッサリなのだが、当時は変な罪悪感と、嫌悪感と、イライラとした焦燥感にジリジリしながら、聞いていた。


人間、ある年齢を過ぎると、やたらと過去のあれこれを考えるようになるものなのだろうか。

父親への愚痴が出尽くしたところで、結婚前の若い頃、言い寄ってくれる人がいた、満更でもなかったが、厳しい父親に反対されて諦めた、あの時、あの人と結婚していたら、、、とか、あの時家を出ていたら、、、とか、時折言うようになった。

やりたいことをやりたいように生きて、特に困ったことにもなりそうにない娘を見て、やりたいことをやりたいようにしてこなかった自分の人生を、あれ?、それで良かったんだっけ?と思うようになったらしい。

更年期の嵐の中で、私に言ったことがある。
好きなことばっかりしているアンタを見てると腹が立ってしょうがないと。

晩年は、膝を悪くし行動範囲が減り、それを理由に父親をコントロールしようとしたが、父は天然のマイページオヤジで、なかなか思うようには労ってもらえなかった。

沢山の兄妹の末っ子で、思ったように親に構ってもらえず、年頃になったらなったで老齢の両親が離してくれず、適齢期を少し過ぎて結婚した相手は超マイペース人、、、

構ってほしい、労ってほしい、愛してほしいと、頑張ってみたり、かわいそうな人になってみたり。

こんな風に母の人生を、客観的に見ることができるようになったのは、私が随分大人になってからで、母が亡くなった直後に私は高齢出産で母となり、更に実感としてああなるほどね、と理解したこともある。

やりたいことをやりたいようにやってきた私の人生は、子を持つことで、だんだん逸れて行ってしまった。
もちろん、子どもは望んで、しかも四十を過ぎて奇跡のように授かったわけで、子どものせいでもなく、子どもに当たることではない。

それでもやっぱり、何か行動を起こす時は、気軽な独身と、子育て中の身で出来ることに落差があるものだ。


そうして更年期を迎えた私は、最近やたらと過去のあれこれを思い出したり、あっそうか、と繋がることが多い。

母との嵐の後で、綺麗さっぱり過去とは決別したつもりだったのに。

私は私を生きることで、過去という足枷を外したつもりだったのに。

自分で、足枷の所に戻ってきて、それを足にあてがっている、何ということだろう(笑)


但し、鍵は掛かっていない、私は自由にそれを外すことができることを、今は知っている。


人生には、折り返しというものがあるのだろうか?


いや、折り返してきた道を戻っているのではない。


過去たちが、同時に今にある。


メッセージという映画があるが、主人公の過去と未来が錯綜して描かれている。


今の気付きに過去のヒントがあり、まるで謎解きのように、パズルが完成していくように、その完成形を既に知っていたかのような不思議な感覚。

具体的な未来のイメージなど、何もない。先のことは何もわからないのに、いざことが起こったら前から知っていたような気がする不思議な感覚。

不安はない。心配することもない。
ただ、今はわからないだけで、その時が来たらわかるのだから。


母から受け継いだものは、私にもある。
構ってほしい、わかってほしい、愛してほしいのココロのスキマを、私も持っている。
このスキマがどう転がっていくのか、見て行く人生も悪くないと思う。


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