見出し画像

竹美映画評㉗~闇に飲まれる解放感~ 「たたり」("The Haunting"、1963年、アメリカ)

在宅勤務1週間目で、既に何か陰鬱なものを感じ取り始めている竹美です。
まさか…うちにも何かいるって言うの…ビュオオオオ...

♪呼んでいる 家のどこか奥で…

残念ながらいません!

今回はアメリカお家系ホラーの古典「たたり」です。持ち主に次々に不幸が訪れたいわくつきのお屋敷、ヒルハウス。怪異の研究のためにこの屋敷を借りたマクウェイ博士は、彼に呼ばれた2人の女性、エレノアとセオドア、そしてお屋敷の持ち主の甥、ルークと共に屋敷に滞在する。夜中に壁を叩く大きな音、冷気、妙な気配に包まれる中、エレノアの精神はバランスを崩していく。

子供の頃読んだ学研まんがひみつシリーズ『いる・いないのひみつ』では、「西洋の幽霊は場所にとり憑く、日本の幽霊は人にとり憑く」と書かれていた。その意味で本作の幽霊は、「気配」なのね。台詞の中でもしきりに「実害はない」と繰り返される。そう、来た人々を脅かしにかかるわりに意欲が感じられない。場所に憑くとはそういうことなのかもしれないね。気にならない人にとっては全く気にならないんだけど、少しでも共鳴してしまう人にはとてつもなく強い力を及ぼすわけ。

神経衰弱ぎりぎりのエレノアは、人によっては見ていて不愉快かもしれない。出てきた瞬間から、居候している姉の家では厄介者扱いだが、被害妄想が強そうな、自意識過剰の女。屋敷に来てからも、始終彼女の内面の独白が続くため、このキャラクターが苦手な人には、全然ノレない映画かもしれない。彼女は、病気の母親を死の間際まで看病し、すっかり消耗してしまっているの。ある意味この映画って、介護疲れ以外の何物でもないのかもしれない。

本作、男性の目線から観た女性のノイローゼの「不快さ」としても観ることができる。博士はハンサムで危険な目をしており、十分魅力的。ああん…神経衰弱ぎりぎりのエレノアもほのかに思いを寄せる。そして、博士の方もまんざらではない。が、中盤以降から突然クソ男っぽくなってくる。その豹変ぶりを見るのが現在の目線から見ると一番面白いのかもしれないね。

何かあれね、キリスト教圏のホラー映画ってそうなのかね、闇のパワーというものがまず存在していて、近づく人の弱いところを探り、弱点から入り込んでくる。でも、あんまり入り込めない相手ってのもいる。弱っている人を取り込んで、自分の仲間にしてしまう。これがどうも怖いらしい。ってか怖いです。

現実のほとんどが嫌いになっている人にとっては、「あちら側」はとても魅力的に見えるかもしれない。暖かくて暗い夢に見える。そこでずっと眠りにつきたいような、或いはずっとさ迷っていたいような場所。

エレノアは、母の介護のために自分を犠牲にしてきたという隠れた怨念があり、母親を大事に思いながら憎んでもいた。それでいて、母の直接の死因は自分のせいではないかという「開けたくない扉」がある。そこに大きな音でノックしてくるヒルハウス。ホラーの物語が哀しいのは、「開けたくない扉」を分かってもらえないと感じている孤独な者にとって、「あちら側の存在」が必ずしも敵ではないと見えるからかも。

2020年の竹美さんは、エレノアは、ヒルハウスにレリゴーしちゃったんだと思うんだよね。あの映画の中ですらそうだけど、「これでよかったのかもしれん」と思ってしまう。闇の方に行ってしまうことが悲劇であるためには、「こちら側に留まりたい」という願いが断ち切られることが必要なのね。その願いも持てないのなら…やっぱりそうなっちゃうよね。闇はいつもあなたを呼んでいる。元気なときは、気が付きもしない。でも、何かの拍子に心が弱ると、その声が段々近づいてくるの。そして、聞こえちゃったその声に答えるかどうかは、その都度自分の心次第だなんて…怖いわね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?