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竹美映画評95 有害な男性性をデトックスするプラバース 『Salaar: Part 1 – Ceasefire』(2023年、インド)

南インドアクション映画に結構前から飽きていたのだが、二か月も映画館に行けなくて寂しかったからかしら、評判のよいという『SALAAR』を観たくなり、鑑賞した。

これが大当たりだった。とても面白かった。またプラバースには、こういうインドギャングものに漂う有害な男性性をデトックスする力が備わっているという発見もあった。

あらすじ

都市国家Khansaarで深い恩情と友情で結ばれた二人の少年、VardhaとDeva(プラバース)。1985年、Devaとその母親はVardhaに窮地を救われKhansaarを逃れる。2017年、米国で暮らすKrishnakanthという実業家の娘、Aadhyaがインドへ帰国。彼女の帰国を機に、様々な闇の組織が蠢き始める。一度は拉致されたAadhyaはアッサムの村に逃がれ、そこでDevaの母親に匿ってもらうことになる。
やがて追手の魔手が迫り、Aadhyaは再び拉致されそうになるが、惨状を見兼ねた母親がDevaに許可を与えると、Devaは悪党一味を一人で片付けてしまう。その後Aadhyaは再び拉致(w)され、今度はKhansaarに連れていかれるが、再び母親の許しを得たDevaの大活躍により救出される。
そこで彼女(と観客)は、Devaの過去と、現Khansaarの王、Vardhaとの友情と因業の物語を聞かされる…。

さすが多様性の国インディア

上記、実は前半しか説明していないのだが、すでに手が疲れて来た。とにかく登場人物が多く、それぞれ登場する部族グループの聴き慣れない名前、それらの説明がどんどん重なって来る怒涛の展開によって最後まで押し流されてしまった!さすがは多様性の国だ。何でもいくらでも出て来る!!

面白いのが、このKhansaarという都市国家は1000年もの昔から存在していたという設定。明らかにヨーロッパ等の都市で撮影している(空港のシーンはラモジ・フィルムシティだったな)。インドは巨大だから何でも出て来るわけ。

イギリスの支配も受け付けず(反植民地映画の系譜)、1947年独立にいたっても尚自治権を獲得し、ドラッグや密輸、マネーロンダリングなどなどの犯罪に手を染めた極悪人が支配する都市国家。つまり、めちゃくちゃかっこいい有害な男性性の塊みたいなところだ。当然その中でも虐げられている人々が出て来てヒーローたちを崇める形になる。他力本願になるしかないどうしようもない状況にもインディアを感じる。もう、政府や警察なんかに何も期待してないわけね。

本作の監督プラシャント・ニールは『KGF』二部作を大ヒットさせた監督だが、この方の世界観ってどの人使っても大体おんなじなんだなって思った!そしてむしろ好きになった。

かゆいところに手が届く、どころか、爪のとがった手がわんさか出て来てがりっがりひっかいてくれて血がにじむみたいな感じ

日本だったら漫画やアニメで繰り返し描かれたような、アウトサイダー勇者たちのフィクションの一代記ものだから…

男:ヒーローは、めちゃくちゃ強くて正義の心を持っている、悪役はめちゃくちゃ強くて欲深い、たまにモブ的な涙フェチのじじい、ヒーローを崇める少年、今回美味しいのは友情と恩情で結ばれた二人の男がどうなるかってところよ!!!
女:クレイジーで支配的だが愛情深い母親、傍観する美女、暴力の犠牲となる貧しい女たち(群衆としてのみ表象)、めちゃくちゃ強い権力者、巫女、体制に反抗する少女(これも群衆)…

プラバース、よかった

https://note.com/takemigaowari/n/n74c3869d0e22?magazine_key=m96a4831c1d9a

主演のプラバース、今年前半には『Adipurush』で、「いいんだけどちょっと飽きるかもしれない」という気持ちから、これからはコメディとかに挑戦して欲しいと書いた。

今回の役、Deva役は、寡黙で働き者で、子供達からも好かれ、母親の言うことを素直に聞くが、暴れ出すと手が付けられない男、というもの。プラバースがやんなくてもよかった役かもしれないが、特に、Vardha役のPrithviraj Sukumaranや、母親役(Wikiで見たら名前が無いwニール監督の映画の女ってホント概念だよね)のEaswari Raoらとの掛け合いの中で彼の個性が引き出されていたように思う。それにね、和むのよね、彼の存在感は。

プラバース自身が割とぬぼーっとした人のようだから、そこに私はコメディの可能性を感じていたのだが、まず母親が、「毎日6時に帰って来いって言ったのに時間を過ぎた!」とかでブチ切れるところで、しゅんとなったDevaが「明日はちゃんと6時までに帰るよ」と口約束。いいわ~。登場シーンめっちゃくちゃかっこいいのにそれかよってw

Vardhaとの掛け合いもとてもいい。Devaは目の前で行われる狼藉に耐えかねて(これがひどくて…)、「停戦」の誓いを破って大暴れ、敵対勢力の男の息子(人間のクズイケメン)を血祭りにあげてしまう。沸き立つ女たちの群衆。しかしながら、Vardhaグループは、おきてを破ったということで関係者全員投獄、連行される車中で「Sorry Hai」とつぶやくDevaに笑っちゃう。

その後もDevaは我慢しきれずに決め台詞「I…kindly…REQUEEST!!!」と叫んで暴れ、彼はまた「Sorry」を言うが、やっぱり笑っちゃう。Vardhaの反応と陰気な顔と鼻輪がいいのだと思う。あれはプラバースが相手じゃないと出て来ないユーモアのシーンだ。よかった!俳優としてまた一段と面白くなれそう!

心の腐葉土ににわか雨が…

このVardhaは、冒頭でDevaを救ったことで王家から一度は放り出された過去がある(しかも母親がいないのかもしれない)が、王の命令で後継者として戻された。味方も金も後ろ盾もなく、自分の軍勢と来たらDeva一人(!!!)。この北朝鮮もびっくりの瀬戸際状態でいるから、やっぱりね、時々はつらくなって酔ってDevaに甘えたり膝枕してもらったりしてんもーーー乾季まっさかりの私の心の腐葉土ににわか雨が降りましたよ。また、Vardhaの弟が若干嫉妬してるのを兄貴としては弟だけは守ってやりたいとか言っちゃってさーーーーおいしいいいい

他方膝枕までしてやってるDevaは何も考えてなさそうなのがまたおいしい。それがきっと、第二章での裏切りで友情との間で葛藤してくれるんだろうな(あくまでぬぼーっと)。

このVardha役をしたPrithviraj Sukumaranって初めて観たけど、いいね(顔が好き💛)。鼻輪と首輪をしており、地味で陰気で野心家、弱いかと思いきやすごいアクションを披露、後にはDevaと対立することが前半で予告されているこのVardhaにぴったり!

書ききれないけど、悪役たちの様子もすごく面白いし、まさかのゾンビアポカリプト展開や、『パドマーワト』へのオマージュ(ニール監督ならこうするってことなのかもね)等、Chapter2への期待もいや増す展開だった。

小ネタとしても、画面の中のDevaから風が吹いて来たり、だみ声で「奴が欲しい~奴が欲しい~」と繰り返すだけの女(牢獄のタトゥーアーティスト)とか、大好き。

この種類の映画が好きになると思わなかったけど、濃い顔のマッチョが乱舞する映画を私が嫌いなはずがない。第二章も楽しみ。

おまけ:大暴走!インドママに大注目

ところでAadhya(Shruti Haasanってカマル・ハッサンの娘だって。身内びいきと言われても仕方ない…)が二度も拉致され、時には男に道で絡まれても、母が暴力絶対禁止を命じているようで、Devaは何が起きても動かない。母親は日本以上に絶対的なのだ。

語られてないのだが、Khansaarから命からがら避難した後も、Devaの暴れのせいで住めなくなり、全国を転々とした模様。全国で吠え、嘆き、彼を愛しながら激怒し、ぬぼっとした息子を抱えて全国大暴走した苦労ママ!非暴力主義を、苦労が上回っちゃった感じ。

Aadhyaを一度助けたことでDevaの本性がバレてしまい、「また逃げなきゃなんないッ!」「あんたのせいよッ!子供にも嫌われて当然よ!」とAadhyaに八つ当たり。Devaにも若干被害が…。

Aadhyaのことが若干心配なような、どうでもいいような顔をして、何も言わず荷物をまとめてママの言うとおりに車を運転するDeva(この空っぽの顔がプラバースの個性)。

ところが予想通り、Aadhyaがまた拉致される!その声が10㎞位先から聞こえ(あれは心象音なんだろうな)、うううんと悩むママ!そして、Devaの肩を触るとDevaは全てを理解しAadhyaを助けに行く!!さてはママ、ミッションをインストールしたんだな!!?熱いけど何かおかしい!!!

最後に落ち着いたアッサムでは炭鉱で働かされていた子供達を学校に引っ張って来て(親たちにもびんた)教育を受けさせる鬼教師なママ。子供達は「ヒトラー」と呼んでいる。嵐の予感を感じ、気持ちを落ち着かせるために、子供にえらく難しい歌を歌わせるシーン、笑っちゃった(ごめん)。そんな難しい歌教え込んだのか鬼教師。この種のママは家の外の人間には往々にして邪険で厳格だ(Vardhaのことも愛しながら恨んでいるだろう)。

『KGF』も実質的にロッキーの母親が最後の最後までロッキーの精神を操っていた。ニール監督は、母性のそういう危うい側面がたまらなく好きなんだろうな

このものすごく口出ししてくる鬼の母親像というのは、恐らく全ての文化において見られるとは思うが、インド映画では、ニール映画では特に強烈だ。全てのことが家族単位、少し広がって男同士の友情単位(それも大体親がいなかったりするので代替家族を求めているのだ)で動くが故に、特に男性の場合、個人としての葛藤とか苦悩は一切描かれない。母親からあそこまで干渉されたら普通どうかなる(裏で人殺してたり)と思うのだが、プラバースの本当に自我が薄そうな雰囲気からは有害な感じがしない。だから母親とのカットが多いんじゃないかなあ…母にプログラミングされ中の顔が独特ね。面白いけどひやりともするのね。実際のインド男の様態を考えると。でもそういう点も含めて極めてインド的な表現だと思う。女がぽやーっとしてたら即死するんだろうしね。

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