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漢文の海で釣りをして【第2回】孔子の自己紹介

「憤を発しては食を忘れ、楽しみて以て憂を忘る」

≪意訳≫発憤すると食事をするのも忘れるくらい熱中し、興がのってくると心配事も吹き飛んでしまう。
≪出典≫『論語』述而篇

第2回目は漢文の王道中の王道である『論語』より。

いきなり脱線ですが『論語』は孔子の著作ではありません。孔子の死後、弟子たちが集まって亡き師を懐かしみ「先生はあんなことを言っていた」「先生とこんなこんなことをやった」というエピソードを集めた本です。誤解されがちですが、孔子は『論語』の著者ではなく主役なのです。

さてさて。
本日の漢文は孔子の自己紹介ともいえる文です。弟子がとある領主のところへ行ったときに「お前の先生はどんなひとだい?」と尋ねられたのに、うまく答えられませんでしたという話を聞きます。孔子はその弟子に「どうしてこういう風に答えなかったんだい?(今度聞かれたらこういう風に答えなさい)」として言ったと言われるのが冒頭のセリフです。

このあとに「老い先が短いことすらも忘れてしまっているようなひとなんですよ」と付け加えているあたりが孔子のユーモア。

孔子は難しい顔をして説教臭いことを語る男だという印象を持っている人もいることでしょう。確かにそういうところもありますが、『論語』などを読むとかなり茶目っ気があって、冗談も言うし、人間臭いオジサンでもあります。とにかくひとつのことに熱中すると他のことが目に入らなくなってしまう。音楽にハマって3ヶ月間、食事の味も忘れるくらい熱中したという記録もあります。こうした熱中の積み重ねが孔子を偉大たらしめたのでしょう。

孔子は70余年の生涯のほとんどを就職浪人として過ごしました。諸国に自分を売り込んで回りましたが、官途につけたのはわずか数年程度。後生の人々は彼の不遇に同情を寄せましたが、孔子自身は案外自分がやりたいことを自分なりに熱中できて満足していたかもしれません。

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