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新・中国と書物の記 紙の歴史を辿る(1)紙というメディア

「歴史上もっとも○○なのは何か」という話題は酒席での定番ネタといえるでしょう。

もっとも強い戦国武将は誰か?
もっとも偉大なアーティストは誰か?
もっとも凄い野球選手は誰か?
などなど…

さて、人類の歴史をもっとも変えた発明といえば何だろう?
院生時代に酒の場で同期たちとこんな話をしたことがありました。
あるひとは文字、あるひとはネジ、あるひとはゼロの概念などなど…
どれもそれぞれ自分が最高だと思う発明の話を肴に美味しいお酒を飲んだのは楽しき思い出です。

一般的に世界の三大発明として挙げられるのは印刷術、火薬、羅針盤といわれています。
このなかで印刷術は「新・中国と書物の記」において重大な発明です。
印刷術の前提となるものは何か?

ズバリ、「紙」です。

本稿では「紙の歴史を辿る」をテーマにまとめていきたいと思います。
どうぞ、お付き合いください。

紙とデジタル

人類史上、もっともポピュラーに用いられてきた記録メディアが紙です。
IT技術が進化し、他にもデジタルメディアや電子メディアが広く用いられていますが、メディアとしての紙が完全に駆逐されることはないでしょう。

その要因のひとつがメディアとしての保存可能な時間です。
デジタルメディアは案外、時間的な劣化に弱く、CDやDVDなどは保管条件を整えてもせいぜい十年程度しか記録媒体としての機能を果たせません。
実は、ひとりの人間の寿命よりも短いのです。
記録メディアとして長期間残すためには定期的に複製・バックアップをしてやる必要があります。

一方の紙は数百年から千年を超える年月を経て記録を残すことができるメディアです。
数百年前に建てられたホコリの積もった蔵のなかから戦国時代の手紙が出てくるなんてことは紙だからこそなせるわざです。
デジタルメディアは蔵の奥で忘れ去られてしまえばバックアップを受けられず、記録メディアとしての寿命を迎えてしまいます。
複製・バックアップ自体が容易なことはデジタルメディアの利点ではありますが、存在を忘れられてしまったものは朽ち果てていくしかありません。

近年、歴史学の分野ではエゴドキュメントと呼ばれる個人の残した日記や証言録が脚光を浴びていますが、これらは人間の寿命よりも短いデジタルメディアに記録されていたら、おそらく消滅していた資料です。
「祖父の遺品を整理していたらスゴイ資料が出てきた」…なんてことは人間の寿命を超えることができる紙に記録されていたからこそです。
存在を忘れ去られてバックアップをされなくなっても消えない。
これがメディアとしての紙の強さです。

また、紙と比べたときにデジタルメディアの弱みとなるのが再生・表示のために専用の危機を必要とすることです。
いくら私たちがCDを太陽の光にかざしてみたり、USBメモリを口にくわえてみたり、LANケーブルをつまんでみたりしても、情報にアクセスすることはできません。
パソコンや専用の読取り機器などがなければ私たちはそこに記録されている内容を見ることはできないのです。

そして、この機器も新しいものが古いメディアに対応しているとも限りません。
かつて一般家庭で映画などの映像を記録するメディアといえばVHSでした。
VHSにとって変わったのがDVDやBlu-rayです。
いうまでもありませんがDVDプレイヤーではVHSは再生できません。
いまやVHSをまともに再生する機器を探すことはお手軽とは言い難い状態です。
将来的にはDVDやBlu-rayはもしかしたら全く違う形…例えばチップ状のものに取って代わられているかもしれません。
そうなるとCDのような円盤状のメディアを再生できる機器もVHSという箱型のメディアを再生する機器と同じ様に淘汰され消えていくかもしれません。

もうひとつ。
デジタルメディアの情報を読み取るためには専用のアプリケーションが必要になります。
これがまたクセモノでアップデートや仕様変更で、将来も古いバージョンで作成されたファイルが同じ様に利用できるかどうかわからないという点もあります。
もしかすると将来的にはアプリケーション以外の手段を用いてメディアを再生する時代がくるかもしれません。

最も重要なのに、忘れられがちですがこれらの機器を稼働させるためには電源が必要になります。
災害などで電力供給が途絶えてしまった際、必要な情報を取り出せなくなるリスクもあります(一般家庭レベルでUPSなど非常用の電源を備えている人は多くないでしょう)。

これまで挙げた専用の機器、アプリケーション、電源の問題は紙メディアにはありません。
紙メディアの優位性は暗闇でなければ、人間の視力だけで情報を得ることができる汎用性の高さにもあります。
こうした紙の持っている時間に対する強靱さや汎用性の高さをデジタルメディアが持つことは今日の段階ではまだまだ難しいといえるでしょう。

もちろん、デジタルメディアの方が優れている点もあります。
たくさんあります。
これは揺るがし難い事実です。

物理的な制約が小さいということ。
紙に打ち出せば辞典のような量になるドキュメントも百円ライターほどのサイズのUSBメモリに収めることができます。

検索機能の高さ。
キーワードを入れれば瞬時に該当の箇所を検出できます。
ネットワークに繋がっていれば国境すら超えて瞬時に転送が可能になります。

そして、複製が容易(これに関しては問題点も多いですが)であることなどが挙げられます。

昨今では、環境保全や企業のコストカットなどでデジタル化とペーパーレスが表裏一体のように行われています。
デジタルメディアが紙メディアを駆逐しているように見えますが、これまで無かった新興メディアである前者が優位な部分で置き換わっている過程からそう見えるだけだと思います。
強靭性と汎用性の高さから紙メディアが完全にデジタルメディアに置き換えられることはないと私は信じています。

両者は排他的に対峙しあう敵ではなく、互いに得意分野を担い、弱い部分を補うという補完関係を築くことでメディアとしての強さを増していくことができると考えています。
(紙の本好きのバイアスが掛かった楽観的・理想論的な意見と言われれば、私は無言で微笑み返すしかないでしょう)

パピルスはpaperか? ダイダラボッチの昔話

さて、それでは人類はいつ、どこで紙を発明したのでしょう?
英語のペーパー(paper)の語源とされているのがエジプトのパピルスです。
イネ科のパピルス草を材料とした植物性のシートで、紀元前二千年頃のエジプト文明期にはあったとされています。
しかし、このパピルスは植物の茎を針で切り開いて薄く引き延ばしたものを重ね合わせて作られます。
書字用のシートとして用いられてはいましたが、我々が使っている紙とは製法が違います。
重しによって繊維を圧着させる…どちらかというとフェルトの方に近い製法です。

それでは紙の製法とはどんなものでしょう?
いきなり脱線しますが、皆さんは東海地方の海苔メーカー・浜乙女のダイダラボッチ(デェタラボッチ)のテレビCMをご存知でしょうか?
浜のお爺さんが子どもたちに昔話を語ります。
「山里に紙漉きを見たデェタラボッチは、海の人々に海苔づくりを教えたんじゃと」
「本当っ!?」と驚く子どもたちに対する、お爺さん役の滝口順平の個性的な笑い声が印象的なCMです。
各地に伝承を残しているダイダラボッチですが、海苔づくりと関係しているかどうかは定かではありません。
(管見の限りでは見つけることはできませんでした)
ただ、このCMは紙づくりの工程と海苔づくりの工程が似ていることを表しています。

簾状の道具を使って、水の中で繊維を掬い取って薄いシート状の膜を作る。
これが海苔づくりと紙づくりが似ているところです。
植物の繊維を中心とした紙の材料を粥のように調合した紙料液を水の作用で濾して膜をつくりあげる。
これがいま私たちが手に取っている製紙の基本的な手順です。

こうしたことからパピルスは書字用の植物性シートととしは世界最古ということができますが、紙の起源というのはちょっと違うかな、という気がします。

紙の「兄弟」

中国文化史のなかで紙について語るとき、見逃せないのが紙の「兄弟」とでもいうべきものの存在です。
「兄弟」とは、同じように繊維を材料にシート状に成形した布のことです。
詳しくはおいおい書いていきますが、中国で紙が誕生した経緯には布が密接に関係しています。
布の存在なくして紙は生まれなかったといっても過言ではないかもしれません。

また、中国の歴史上、ときには紙が布の代わりを果たし、ときには布が紙の代わりをつとめることもありました。
両者は軽量で加工がしやすい素材として生活と文化を支えていきます。
紙は衣服の材料などにも用いられていました。
(そして、なんと紙を材料にした戦闘用の鎧まであります!)

繰り返しになりますが「新・中国と書物の記」において紙の誕生は一大事件です。
紙が普及するまでの間、文字を記録するメディアは木や竹を切り出した札と布でした。

次回は紙が誕生する以前の古代中国メディア事情に触れようと思います。

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