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人間にとっての偶然も、神にとっては必然

 自分の身には何が起こるか分からないと、私たちは時折いう。人生はそれだから面白いのか、それとも、怖いのか。
この頃、私自身のなかで種々のパワーが膨れてきている、という感を覚える── きっと思わぬ形で、いつの日か表出するだろう。その日がいつなのか判然としないけれども、着実にこの内に育っていると感ずる。

 人間の視座からすると”偶然”に思われることも、神の視座からすると”必然”なのだろう── 実は私たちの知り得ぬところで、すべてのことはプログラミングされている。神の打ったコマンドに従い、私たちを含めた世の中は作動している── 最近の私の世界観だ。以前は、強い唯物主義的な世界観を抱いていた。しかし、濃淡は異とするも、過去に経た幾つもの体験が影響を与えた。

 これから自分のペースで新しい道を進もうとしている私……けれども、今の私でも首尾良く行くのだろうかと、よく不安になる。無論、何も行動しなければ、大抵は目に見えて物事は変わらないもの。が、自分の採る方法が「新しい道」において正しいのか、それとも、正しくないのか……ちょっとした隙ができるたび、つい考え込んでしまう。でもそれは、誰にでもあり得ることだし、頗る人間的なことだ、と思えもします。

 実は先日、引越ししたばかりで忙(せわ)しい期間にある。満足にピアノに触れないし、人目を気にせず弾語りもできないので、ムクムクと「歌いたい!」という欲が心中に肥大してきている。それで近時、俄に「ひとカラ」にハマり出した。この随筆を書きながら, Michael Jacksonの「The Lady In My Life」(1983年)が、静寂な夜のアパートで脳内再生している。
夜も深くなった。不安な気持を頭の隅に置き、歯磨きとゴミ捨てを済ませ速やかに臥床します。

※「吐露ノート」31篇目(2020年8月22日(土)執筆)より

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