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幸福であるを悟れ

 人は誰もが幸福である── 私の信条の一つだ。
敷衍すると:幸福とは,(変生するかして)成るものでも、目指すものでもない── 元々私たちは、誰もが幸福である者として生まれてくる
このとき、幸福がどう定義されるかが重要である。私にとっての幸福とは,〈普遍の正しさによって形成された実存〉を意味する。

 幸福とは絶対的であり、何物に依っても揺るがない。
幸福は言い換えれば:蓋し「光」である。誰もが、存在するに至ったその瞬間から、不断に輝いている。どのようなことがその身に起こっても、どれだけの時を経ても、輝きが失われることは、断じてない。装飾など一切施さずとも、裸体のままで輝いている。これが「普遍の正しさ」である。
私たちのあいだに違いがあるとすれば、そのことをどの程度悟っているかいないか、ということのみである。ただし、程度の差違は個々のかんの優劣とは一切結び付かない。
悟るには、何より、自分を信ずることだ:自分の内なる声に傾聴し、否定せず(できる限り)肯定し、この上なく大切に扱う。そのためには、自分自身の心の動態を洞察していなくてはならない。温かく、鋭く、そして熱心に自分を見詰める。自分の声より他人のそれを優先するようなことがあってはならない。正にこれは、利己愛と言えるものだろう。真の利他主義は、飽くなき利己愛の追求によってしか貫かれ得ない。

 幸福とは実存に根拠を有するから、不幸とは全い不在を意味する。存在するに至れば直ちにその者/物は幸福なのだから、存在するに至っていない者/物が不幸である。どのような手段にせよ、自らその存在が認められるのであれば、幸福でないはずはない。

 意識は幸福を根拠づける。
私は、人が幸福を悟るために、成し得ることについて勘考する。それは私が担うべき使命の一つだと心得ている。


※「吐露ノート」23篇目(2020年6月20日(土)執筆)より

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