アンコールでみんな出てくるこれまでに出会ったコンビニ店員たちが(短歌)

 二十代のはじめ、東京で最初の就職をして、そのまま二年半東京で生活をした。この間、とにかくお金がなかった。

 食事代、生活費諸々を切り詰めて、何とか日々を乗り切った。遊びに使うお金はなかったが、そもそも土日も仕事に出ることが多く、遊ぶ時間もないのでちょうどよかった。二年間でいくらか貯まったお金は、部屋の更新代で全て飛んだ。二年ごとに部屋の更新という制度があること自体を知らなかった私は、それだけで軽く絶望した。

 その頃、私が主食として食べていたものはバナナだった。職場近くの百均で三本一セットで売っていたのだ。バナナは私の強い味方だ。温める必要もないし、手も汚れないし、お腹に溜まる。毎日毎日、同じ店でバナナを買った。あまりにバナナを買い続けた結果、レジ打ちの店員が、私の前のお客さんが買ったバナナをなぜか次に並んでいた私のカゴに(多分無意識に)入れたことがあった。バナナ=私という認識が見ず知らずの店員の脳裏に刻まれていたのかと思うとちょっと面白い。事情を知らないお客さんは、ギョッとした顔で店員を見ていた。

 その頃、給料日の楽しみがあって、それは乗り換えの駅構内にあるうどん屋で、温玉を乗っけたカレーを食べることだった。今思えば、何の変哲もないカレーライスだ(ただ、量だけは多くて、安い値段で空腹続きの私を満足させた)一ヶ月に一回、仕事終わりのその夜の、その瞬間のためだけに、働いている。本当にそんな感じだった。仕事が終わるのは、いつも夜の十時とか、そのぐらいの時間。終電とせめぎ合いながら、その店に立ち寄る。狭い店はいつも混んでいて、背広姿のサラリーマンに混ざって、片隅に座る。

 あるとき、あのカレー!と思いながら、店に駆け込んで、財布を開くと綺麗な一万円札が一枚だけ財布に入っていた。小銭は全くない。店は食券を事前に買うシステムで一万円は使うことができない機械が置いてあった。何度も紙幣を入れる口を覗くが、「千円のみ」と大きくシールが貼ってある。終電が迫っている。構内を出て、お金を崩す時間はない。全てを諦めて電車に乗った私は、その夜カレーを失ったがために本当にぽろぽろと泣いた。あの綺麗な一万円札も、もちろんあっという間にどこかに消えた。

 それからしばらくして私は東京を離れた。今はもうカレーを失っただけでぼろぼろ泣いたりしない生活を送っている。などと考えながら朝のコンビニのレジ前にぼんやり並んでいたら、外国人の店員さんが、

「本当にコーヒーいらないのかっ!?」

と大声で叫んだので我にかえった。あまりに毎日コーヒーを買うので(多分五年くらいその店で同じコーヒーを買っている)その日、コーヒーと言わない私を本気で心配した店員さんの叫びだった。ああ、すみません……。バナナ時代とあまり変わっていない自分を急に自覚した一コマでした。

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