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動かない映画 『ジャンヌ・ダルク裁判』と『アンナ・マクダレーナ・バッハの年代記』

最近、動かない映画を2本観た。


監督:ロベール・ブレッソン
『ジャンヌ・ダルク裁判』(1962)


こんな映画初めて観た。
ひたすらジャンヌ・ダルクが地下牢と裁判の行き来だけをし、最後に処刑台で磔にされ火炙りにされて終わる。
回想シーンなどない。無駄なカメラワークもない。音楽も冒頭と最後しかない。
あまりに無駄がなさすぎて観ている間は正直なぜこれを観せられているのかと退屈になっていたが、観終わってみると各ショットが忘れられないものとなって脳裏に焼きついていた。
ジャンヌ役のフロランス・ドゥレの気高さが美しく、印象的だ。
女性用の服を着ろと強要しようとする教会側と、それを拒み男装のままを貫くジャンヌ。
教会側の言うことを聞かず地下牢に閉じ込められるジャンヌを穴から覗き見し蔑する男たち。
そんなジャンヌは主の声を聴くと言う。しかしその声を聴いているシーンが一切ない。
更に、処刑された後に磔にされた柱を映すも死体がない。
そのため観客はこれは正しいのか、本当なのかと揺さぶられると同時に神秘を感じる。
これはなぜかと言うと、先程から言っている無駄な動きのないいわばドキュメンタリー的手法による効果だといえる。


監督:ダニエル・ユイレ、ジャン=マリー・ストローブ
『アンナ・マクダレーナ・バッハの年代記』(1968)


台詞はしばらくアンナ・マクダレーナの回想モノローグのみ。
主は演奏シーンで構成されている。しかもカメラが引くショットが多少あるもののだいたいのシーンは動かない定点。
40分ぐらい経ってようやく台詞のやりとりが開始。しかしすぐにまた演奏シーンとモノローグへ戻る。
1時間近くたってようやく芝居らしい芝居がちょっと行われる。
要は無駄な芝居がないのだ。
映画を観させるというより映画を聴かせるための努力を惜しまないという印象。
これも無駄なカメラワークはないので、正直観ている分には退屈なのだが、音楽がとてもいいので(特に合唱は迫力がある)、まるで監督たちによるバッハのベスト選曲アルバムを映像付きで観ているかのようだった。
バッハ役はあのグスタフ・レオンハルトだし、使用楽器はバロック時代の古楽器だし……と、ここで気づいた。
怒られてしまうかもしれないが、これは限りなく史実に近い豪華なミュージックビデオと捉えてみてもいいのかもしれないと。
この作品もまたドキュメンタリー的であると言える。



今回の、『ジャンヌ・ダルク裁判』と『アンナ・マクダレーナ・バッハの年代記』は別に比較するために観たわけではないが、図らずも同じ60年代制作であり、ドキュメンタリー的であり、そして「のぞき見」の要素でできていた。

よく言われていることだが、映画というものはカメラの視点で観る、のぞき見要素の強いものである。

両作とも昔起きた出来事をあたかもタイムスリップしてのぞき見させてくれるような印象を受けた。

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