Y社のドタバタ劇は終わりの始まりである

 うーん、なんだか涙流して同情買う戦術が流行ってるのか?と言うくらいお粗末な会見だったみたいだね。私は質疑応答の部分だけは見なかったけど、見た部分での印象と変わらなかったみたい。

 まず、社長自身が頭が上がらないベテラン芸人からのプレッシャーについては美談の様に語っていたけど、裏を返せば

あなた方のいってる事を尊重してます

というポーズに過ぎない。

 実際宮迫さん達に対しては全面降伏という形で非を認めたものの、入江さんに対しての処分は変えないと。そしてその違いと理由はなんだったのか。現時点で確認できてない。(後で再確認してみます。)

 こうしたところも、自分の力が及ばない領域に関しては相手を立てたことにして自分の権威を守り、自分の裁量が残された部分に関しては変えない。反省しているとは思えず、単に松本さんの直接的な苦言という圧力に屈しただけなんだろうか、と感じてます。

 意地悪く見れば、確かにこういうところは

敏腕だな

と言えなくもない。自分の組織内におけるダメージを最小限にしつつも、したたかに自分の望む方向への余地をなるべく残そうとする。こういうしぶとさがなかったら社長にも登りつめられなかっただろうし。組織人としては確かに優秀だな、とは思います。

 ただし、松本さんがいってた様にそれがY社という集合体にとっての利益につながっていくのかどうか?という点に関しては、ハッキリ言って本人の固執した内容では間違いです。そこが、あの会見を見る限りだと本当に受け入れ、変えたとは言い難いなと個人的には感じました。

 こうなると、今後のY社もただちに変化することはないな…と素人ながら思ってしまいますね。涙を流して同情を買うことも、宮迫さんたちは良くも悪くもピュアだと思えますが、組織人の社長さんだといくらでも地位保全のために演じられますから。アレは演出じゃない?と勘ぐってしまいますね。

 前回も書いてますが、宮迫さんたちを始めとする芸人達が心しなければならないのは

芸だけやってればいい、ということはない

事実でしょう。仲間、と言えば聞こえがいいがそれはあくまで相手が本当に共有してくれているかが担保されていて機能します。図らずも社長が露呈してしまったのは

自分達が仕事持ってきてる

という潜在的な意識。上下関係でしか推し量ってなかったズレを、改めて見直さないと。往々ににして日本の社会は上か下かでしかかんがえたりもの言ったり、行えない人がいる。でも本当にフェアなのは

対等

にできるかどうか。対等という関係が一番フェアだと私は思うので、そういう関係にできる様にするためには何が必要か?と言ったことを考えて欲しいですね。彼ら・彼女らのためにもね。

 ビジネス感覚を身に着け、自前でやれる芸人も現れている以上、こうした人たちが固め出した路線を追いかける芸人も増えていきますよ。そうなった時、Y社がやってることは

代理仲介業

に過ぎなかったことがいずれ分かってしまいます。ビジネスのやり方を知らないことをよいことに、自分たちの生活手段をY社というブランドを借りて構築していることに気づけないようでは、この先芸人たちが自立・自活のために自主展開というやり方への自覚を促すようなもの。今回の事件は、そのターニングポイントとして後世語られるかもしれませんね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?