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世の中から“寛容さ”が失われていく

南青山の児童相談所の件は、世の中から“寛容さ”が失われている典型例だ。ここ数年、「そんな目くじら立てるほどのこと、ないじゃん」という出来事が多い。芸能人の不倫バッシング、駅員や店員へのカスタマーハラスメント、保育園の建設反対などなど。

ベッキーは公共の電波や媒体であれだけ叩かれるようなことをしたのだろうか?駅員や店員に暴言や暴力をふるう人間は何にそんなにイライラしているのか?いつからこの国では子供の声が“騒音”になってしまったのか?「児相ができると土地の価値が下がる」「南青山は自分で稼いだ人が住む町だ」となぜ言えるのか?サクラではなく本当の住民が言っているとしたら、あまりにも傲慢だ。

●(黒丸)

イメージとしては、ホワイトボードに書いたみかん大。この黒丸は自分の世界。この自分が認識している範囲が狭い人が増えているのではないか。例えて言えば、半径1m程度しか認識できないレーダーのようなものだ。自分のことしか考えていない、自分だけ良ければよい、それ以外のことは関係ない。黒丸の小さい人が増えている。子どもは仕方ない。自分のことで精一杯でよい。しかし、大人はこの黒丸が小さいとカッコ悪い。読んで字のごとく、大人ではなく小人、ちっちゃい人だ。大人として、自分だけでなく、家族、会社の部署、会社、お客さん。できれば、日本、世界、未来・・・と、自分の関心のレーダーを広げていきたい。

と偉そうに書いてきたが、数年前酔っぱらった勢いで手相を見てもらったことがある。「あなたは自分がかわいい人ね、嫉妬深いでしょ?」と言われた。思い当たることが多々あった。女性に対して嫉妬深いことは全くないのだが、できる人とか才能ある人にいつも嫉妬している。できれば失敗すればいいのにとか時折思う。妬み嫉みがちなのは、自分のことしか考えていない、自分だけかわいがっている人の症状だ。

●の小さい人は、アドラー曰く「自分自身の関心だけで動く人」「仲間に関心を持っていない人」である。アドラーは『人生の意味の心理学』において再三再四、相手に関心を持ち、相手の立場になって考えて、共感することの大切さを主張している。東洋では約2,500年前に、孔子が「仁」というキーコンセプトで「思いやり」、つまり、相手の立場に立って考えてみることの大切さを唱えている。

「仁」と言おうが、「共同体感覚(コモンセンス)」と言おうが、相手に関心を持ち、相手の立場になって考える、共感する能力はとても大切だ。それは、AIやロボットなどのテクノロジーが進化する第四次産業革命下でも人間にしかできない能力だと思う。

自戒を込めて。
最後に、皆さん良いお年をお迎えください。

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