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病院職員に憎しみが出てきた。

病院と言っても精神科の単科病院、それも大型病院の職員である。

単純に言うと医師については昔は憎悪を抱いたが、今の先生方はだいぶマシになってきたので、まあ許す。エビデンスに基づいた標準治療が精神科医療の中心になってきたし老害的な(あんまり使いたくないが)医師の先生が世代交代すれば、ひとまず地域包括支援的な方向に精神科医療も進むだろう。

今、個人的に怒っているのは精神保健福祉士と訪問看護師で、人を何かと低能扱いしてくるように感じる。まあ、彼らの日頃会う患者が情けないというかあまり知的好奇心なるものを持たない患者が多いはずなので仕方がない一面はあるが。そうはと言いながら、一般社会人の知的レベルもそんなに高くないのはとっくの昔に承知済みだ。

それはそうと、彼ら病院職員と自宅アパートやデイケアで話をするたび、お馬鹿な発想に心底苛立つ。今まで通った就労支援施設の職員はもっとというか同じくらいバカだから同じくらい腹が立つ。そういうことだ。

ウチはいわゆるインテリ家庭で両親ともが元大学教授の後期高齢者家庭である。この間女性の精神保健福祉士と訪問看護主任に言われたのは、自分のいろんなジャンルの乱読的な読書で、専門性が薄いと判断したのか、浅く広くより深く狭くというようなことを言われて揶揄された。こっちは読書の幅の広さと深さは相関するのでは?と聞き返した。まだ怒っていないが今度会ったら怒るかもしれない。

ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎先生が松山東高等学校の学校図書館かなんかでフランス文学等を乱読していたら、同級生で映画監督だった伊丹十三氏もほとんど読んでいて中身を解説してくれたという逸話が大江先生の文庫に出ていたし、哲学者の鶴見俊輔先生もファッションデザイナーの山本耀司先生も建築家の安藤忠雄先生も乱読タイプだ。

昔のヨーロッパ貴族の邸宅には蔵書をずらりと並べた書庫が並んでいたりしたぞ。多方面の多読はインテリの基本条件なのだ。最近では情報学者の落合陽一先生も社会学者の斎藤幸平先生も岩波文庫の多読をしていて、それだと多分野の多読になって当然だ。自分も岩波文庫の多読を5年以上続けて、学術文庫のレベルが読書の普通ということになったし、書籍を買うときは著者の経歴や知的レベルをチェックしてから買う癖はついた。

まあ、自分の頭の程度は別にいいが、彼らの言うレベルの専門書程度は普通に概説書だから、それくらいの本なら図書館で三〜四冊読み込んで、定説が分かりさえすれば用が足りる。うちの両親の学者という職業を無視して息子に読書の専門性を語るなよ、この阿呆が。

まあ、今度彼らの専門的な読書のレベルと内容をしっかりと聞かせてもらって反応を述べたいと思うが、別にこっちは彼女らに自分の読書歴を詳細に語ったことはない。一般的な読書量と読書分類でないのは確かだ。普通の文庫本はチョロくて読めない。

こいつは何をドヤ顔してやがんだ的感想を持たれると思うが、それは構わない。IQが30違うと話が通じないという俗説があるのだが、父と自分は日常的な会話(もちろん父は程度を下げない)について行けているのだから、まあマシな方だろう。ちょっと相手に怒ってみるというのもちゃんとした大人の嗜みだ。女性とはいえ精神保健福祉士と訪問看護師として自分の読書傾向に意見してきたわけだから、今度はじっくりと彼女らの読書傾向を教えていただくことにしようかな。学術文庫レベルに行っていなかったらどやしつけるつもりだが。人の努力への恨みは強いよ、この病気で苦労してくると。精神保健福祉士の卒業大学の偏差値はどんだけだったっけ?

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