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隻角の

 そのシカはかつて、よく海辺に現れたそうだ。何重にも重なった消波ブロックの上を軽やかに飛び移り、波の上を自由に歩き回っていたという。
 そういった目撃情報もいつの間にか聞かなくなり、僕の子どもの頃から空想していた、海辺のシカと一緒に遊ぶという夢も、いつの間にか無くなってしまっていた。
「このシカ、きれい!」
 子どもの頃に買ってもらった図鑑。そこに乗っているその姿は、この世のものとは思えないくらいに綺麗で、かっこよかった。
 図鑑を開くたびにそのシカのページを開いてずっと眺めているものだから、当時を振り返る両親の意見はいつもこう。笑いながら。
 「図鑑を見つめすぎて、ページに穴が開くんじゃないかと思った」

 ***

 海辺に波が押し寄せる。天気はあまり芳しくない。今にも雨が降り出しそうな温度と湿度。あくまで肌感覚だけれど。上着を持ってきてよかった。これが無ければ、きっともっと肌寒い中でここに来ることになっていただろう。
 消波ブロックに打ち付ける波の音。勢いを消された波は、湖で生まれる波ぐらい穏やかだ。
 ここは、かつて海辺のシカがよく現れた場所らしい。けれど、それが原因で、無許可での角の乱獲が行われた。
 件のシカは、角がとても美しい。成長する過程で、海のミネラルやら様々な成分が角にこびり付いて結晶化し、まるで宝石のようになるのだ。
 それはラピスラズリやサファイア、アクアマリンなどに例えられるくらいだった。ゆえに、それを集めて販売する人間が現れてしまった。
 実際に宝石を採掘するより、このシカから角を取った方が効率が良かったのだろう。その美しさが仇となってしまったのだ。
 呼吸するたびに冷える肺の中の、空気の感触を確かめながら歩く。もちろん、もうシカが居ないことは重々承知している。けれど、一生に一度くらいはここに来たかったのだ。もう少し、少なくとも飽きるまでは散歩していこう。
 砂の感触はしっかりしているため、足が沈むことなく、軽々と歩ける。きっと海辺のシカはこの砂の上で軽やかに踊っていたのだろう。
 彼らにとってこの場所はどんな風に見えていたのだろう?
 そんなことを考えながら一歩進んだ時、何かを見つけた。砂浜の端の、草むらの中。最初はただの流木に見えた。けれど、近づいていくごとにそれが木ではないことが分かった。
 それの前にかがみこんで、触れる。
 角だった。形状からすると、おそらくシカのもの。一本だけ、そこにあった。よく見てると、所々内側が透けていて、内部に青色の輝きが見える。
「これって……」
 心が躍った。いつか夢に見たあの生物の角が、ここにある。こんな奇跡が起こるなんて。
 表面を撫でる。見れば見るほど、その色が深みを増していくように感じる。煮詰めて濃縮させた夜空みたいな密度の輝きが、ここにはある。
 確かにこれは、魅了されても仕方がない。事実、僕自身最初にこの角を持つシカの写真を図鑑で見たときからずっと、魅せられていたのだから。
 この角、どうするべきだろう。きっと持って帰ってはいけない。せめて写真に収めようか。懐からスマートフォンを取り出そうとして、止める。
 これはそんなふうに保存しておくべきものなんだろうか。
 写真はとても綺麗に、映った景色を保存しておくことができる。それは間違いなく素晴らしいことで、そこに議論の余地はない。
 けれど、その奥にある空間や質感、匂いの輪郭線が全て二次元に収まってしまうような気がした。
 別に、ノートにボールペンでスケッチするにしても変わらないのかもしれない。ただ、自分に手で選りすぐった線で描くものの中には、もしかすると空想するための余白が生まれるのかもしれないと思った。
 これは世間一般で言う記録ではなく、感情を心に書き付ける行為なのだ。それならば。
 スマートフォンをしまい、代わりにノートとボールペンを引っ張り出す。風でたなびくページを押さえながら、目の前の景色を映し取っていく。
 いつの間にか、曇っていた空は、雲の隙間から日が差している。角はより輝きを増し、僕の滞在時間はそれに伴って増えていくばかり。
 瑞々しい青の角は、深くふかくこの心を捕らえて離さない。

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