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街灯クリームまんじゅう(ショートショート)

 先輩から、ジョギングに誘われた。
 彼はもともと運動好きな人。一方僕は、まだ運動なんて必要ないかな、と思い続けて早数年。お腹が少しぽっちゃりしてきたかな、と思う今日この頃。
「一度やってみたら? いい汗かくと気持ちいいよ」
 先輩はそんな風にいうものの、僕自身、自分が運動をするのが苦手であることを十分承知している。
 そのうえで悩んでいるのだけれど。
「じゃあ、無事走り終えたら、他の人には秘密にしている、あるものを食べさせてやる。めちゃくちゃうまいぞ」
 ……それは、ずるいですよ。
 心の中で呟きながら、頷く。
「行きます」

***

「じゃあ、よろしくお願いします」
「うん、任せておきなさい」
 僕は先輩に指定された場所へやってきた。
 先輩はジョギング用のウェアから靴まで完全装備。僕はとりあえず、最低限の靴と光るタスキ。あとは運動しやすい服装。
 別に、完走後にめちゃくちゃうまいものを食えるからわけじゃない。きっと、いや、断じてそんな理由から付いてきたわけではない。誓って。……うん。
「最初はちょっと体をほぐしておこうか」
 そう言いながら準備運動をする先輩の動きは、まさに"動きなれている人のそれ"そのもので、急に自分がここにいることが恥ずかしくなってしまう。その気持ちをごまかすために訊いてみる。
「今日は一体どれくらい走るんですか?」
「えっと、十キロメートルくらいかな」
「え?」
「え?」

***

「あの、もう随分来たような気がするんですけど」
 僕は先輩に確認する。走りながらの発声のため、震えたり途切れたりしている。
「いや、まだ序の口だよ」先輩は余裕しゃくしゃくといった様子で答える。
「まじすか……」僕の声は、最後の"か"の発音が掠れて消えていった。
「とはいえ、初めからあんまり頑張りすぎるのも良くないな。じゃあ今日はもう少しキリの良いところまで走ったら終わりにしようか」
「え、いいんですか。ありがとうございます」
「即答するね……」
「はい」

 その後しばらく走ってから、先輩は言った。
「じゃあ、せっかくだし、例の場所に連れていってあげよう」
 例の場所。きっとめちゃくちゃうまいものがあるところだ。思わず嬉しくなる。
「ありがとうございます!」
 声が大きくなる。しまったと思った時にはすでに、先輩の表情が嬉しそうなものに変化していた。
「なんだ、まだ元気だな。もう少し走るか?」
「いえ、結構です」先輩の問いかけに、僕の声は小さくなる。
 
***

「ここだよ」
 連れてきてもらったのは、なんの変哲もないただの農道。舗装された道からすこし外れた場所で、視界の先にはずいぶん開けた土地が広がっている。所々に街灯が並んでいる。
「え? ここ、ですか?」
 うまいものが食べられる、と聞いてやってきたが、どこかの店に行くと思っていた。
 おや、もしかして僕は騙されていたのか。うまいものが食べられると聞いて舞い上がっていたが、結局そんなうまい話は無かったということか。
 じゃあ、今から何が始まるんだ。カツアゲか? 先輩ともあろう人が、僕からカツアゲを。お金なんて一切持っていない。とすると、なんだ。
 体か! 先輩は僕の体が目当てでこんな場
「はい、これ」
 訳の分からない茶番を頭の中で繰り広げているうちに、先輩はあるものを持ってきた。
 丸くて、見た感じもちもちしている。薄黄色に発光する、餅? のようなもの。どこから持ってきたのだろう。何も見ていなかった。
「これが、うまいんだよ」先輩は言う。
「ここは、俺の家の庭なんだけど、この木から取れる実がうまいんだよ」
 さきほど街灯だと思ったものが、どうやら先輩の言う木だったらしい。樹勢があまりにもまっすぐで、かつ、周囲が薄暗いこともあり、木に見えなかった。
 先輩の家の庭。まじか。結構広いぞ、ここ。前から、実家から会社に通っていることと、まあまあな大きさの庭があるということは聞いていたけれど。
 先輩にとってのまあまあな大きさの庭ってこれ……。本当に?
「ありがとうございます」
 頭の中でいろいろ考えながら、差し出されたものを受け取る。
 それはもっちりひんやりしていた。仄かにクリームの甘い香り。
 一口齧り付く。カスタードと生クリームの混ざり合ったような味が口いっぱいに広がる。
「この木は街灯樹っていうらしいんだけど、果実が熟すと発光して、まるで外灯みたいに見えるから、こんな名前が付いたらしいんだ」
 ぼくは、口にものを含んだままのもごもご声で、へえ、と呟く。
「おいしいですね」きっと先輩からは、ほひひひへふへ、と聞こえただろう。実際、口の中のもの、のみ込んでから喋れ、とツッコまれた。

***

「ごちそうさまでした」
「うん、また機会があったら走ろうか」
「そうですね。またあれが食べられるなら……」
「毎回やるとは言ってないぞ」
「え!? そうなんですか?」
「それはそう」
 そんな風に話しながら、ジョギングのおかげか今日はぐっすり眠れるような気がした。

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