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「個の時代」に個性より(?)大事な心得を、南米で教わる

 チリでのビザなし滞在期間を延長するために、アルゼンチンのネウケンという都市にやってきた。南米は大好きだけれど、一生住もうとは今の所考えていない。だから超真面目にも、日本に帰って時代錯誤にならないように、日課としていくつかのメディアをチェックしている。ビジネスメディアが割と多い。そこで「個の時代」という言葉をよく目にする。そうしたコンテンツは、「個の時代を生き抜くためにオタクになれ!熱中だ!」とか「手札を組み合わせてレアな存在になれ!掛け算だ!」みたいな、「個性」が時代を生き抜く相棒のように語っていることが少なくない。個性は「個の時代」の一要素だと思うけれど、日本の裏側の南米・チリでサーモンの養殖産業を取材していると、個性とはまた異なる「個の時代」を生き抜くための心得みたいなものが見えてくる。

個の時代と省人化

 「個の時代」の到来を告げたのは何だろう。ユーチューバーやインフルエンサーといった、まさに個人の活躍が一つ思い浮かぶ。「好きなことで生きていく」みたいな定番。それ加えて、副業が認められ始めた働き方の変化や、トヨタ自動車社長の「終身雇用を守っていくのは難しい」という発言を取り上げるメディアが、特定の会社に属さず「個」として社会を生き抜かなければいけないという過酷な空気を必要以上に醸成しているのかもしれない。

 人手不足になるから、どの業界あるいは産業でも省人化ムード。「人間は将来、遊んでいればいいだけになる」とポジティブに発言する有識者もいれば「人工知能が奪う仕事ランキング」みたいな情報をみて、将来が不安になった人もいると思う。考え方によってポジティブにもネガティブにもなる2面性が、「個の時代」という言葉にはあるけれど、活躍する「個」の台頭と産業の省人化が「個の時代」の荒野を演出しているような気がする。ぼくはといえば、そんな風に考えると疲れるから、なるべく2年くらい先の未来しか想像しないようにしている。というか悲しいことに、計画的になれない。

 目下取材に取り組んでいるチリサーモンの養殖産業でも積極的な先進技術の投入が続けられている。例えばかつて給餌を10人でやっていたとしたら、半自動給餌技術によって2人でできてたりする。この産業もますます省人化が進めば、悲壮感が漂うだろうか。いや、そんなことはないと思う。


脆弱なサーモン産業と向き合う

 チリはずっと「個の時代」だったのではないかと思う。少なくとも、いまぼくが取材しているサーモン養殖産業についていえば、多くの人がそうだった。それは別にSNSのフォロワーが何千人だとか、チャンネル登録者数がうん万人とかそういう話じゃなくて、終身雇用の崩壊に似た意味合いで、個が生存スキルを発揮しなければいけなかった。

 2007年7月、チリ南部のチロエ群島内の小さな島の養殖センターで、伝染性サケ貧血症(ISA)の発症が初めて確認された。その後、ISAの被害は拡大し続け、養殖産業は2011年まで減産の年が続いた。ISA被害による経済損失は6億ドルに達した。

 ISAの被害により、約3万人が労働源を失ったという報告もあれば、産業の30%の人が解雇されたという報道もある。生簀で養殖に従事する者もいれば、プラントで輸出用サーモンを捌く者も大勢いた。そしてこうした「サーモンショック」とでも呼ぶべき出来事は、これだけではない。2016年には赤潮、つまり有害有毒藻類ブルームが勃発し、3万9000トンを超えるサーモンが死亡した。脆弱な産業にはもともと終身雇用なんてオプションは用意されていない。

 こうした危機を、養殖産業に関わる人々はどう乗り越えてきたんだろうか。生簀での養殖に従事するものは、運良く余裕のある養殖会社に転職できた者もいれば、季節労働をしに別の州へ移ったものもいたと聞く。特に加工プラントで働く非正規雇用の労働者はそうだったのではないかと思う。

 あるサーモン養殖会社の海面養殖センターを指揮するはパブロは「(ISA被害の後)転職して、サーモン養殖の淡水域での仕事をしていたよ。ムール貝の養殖に転職する人もいたし、水産関係の仕事を求めてペルー に行った人もいた。だいたいみんな、またチリに戻ってきて養殖関連の仕事をしている」と話した。

 養殖会社の人たちは、転職者が多い。ほとんどが別の養殖会社での経験を持っている。そこまで会社あるいは仕事に対する執着がない。「今ちょっとずつ進めているゲストハウスが、あと10年したら完成する。それまで働いたら、のんびり宿経営で生活する」という者もいれば「飲み屋を経営したい。養殖はそれまでの仕事」と将来を設計する者もいる。もちろん「俺は一生養殖!」という熱血漢がいないでもないが、そういう人は大抵良いポストに就いてる人のようだ。

 みんな「人生ってそういうもの」くらいの感覚を持ちながら、会社や他人に過度の期待を寄せることもなく、この不安定な産業と向き合っているような印象を受ける。今日までの仕事を明日できるか分からない。信じた人から裏切られることもあるでしょう。愛し合っていて息子もいて同居してるけど、入籍はしないチリ人は割と簡単に見つかる。人生、何があってもおかしくない。そういうもの。本当に逞しい。


オンリーワンな量産型ホルヘ

 7月上旬、120人ほどの労働者が駐在する養殖拠点に、1週間ほど滞在した。その期間だけで、何人のホルヘまたはロドリゴと挨拶したことか。どんだけ「没個性」なんだよってくらい居た。ただ、彼らはやはり「個」としての強さを放っていた。

 チリ人は、特に名前にこだわりを持たない人が多い。ぼくが小学生だったころ「名前の由来を親に聞いてくる」という宿題があったけれど、そんな宿題は存在しない。もし聞いたとしても「なんとなく、響きで」みたいな返事が帰ってくるだろう。実際、知り合いのホルヘは息子にホルヘという名前を与え、息子を呼ぶときは「ホルヘ・アンドレス」と二つの名前を読んでいる(南米では一般に名前と苗字が二つずつ)。この間泊まったゲストハウスのオーナーも、息子二人にホセという名を付けたから「ホセ・マリア」「ホセ・マテオ」と読んでいる。

 一方、日本ではオンリーワンなキラキラネームが流行ったりと、割と名前に凝っている。一文字一文字意味を持つ漢字や、子どもの名前に願いを込めることが、南米人からすると素敵らしく「名前に意味があるんでしょ?」と目を輝かせながら尋ねられたことがある。実際には「こんな子に育って欲しい」と名前を付ける親もいれば、一郎・二郎でいいという親もいると伝えると「興味深いね」と唸っていた。固有に近い名前をもらったぼくが「個」の磨き方に悩んでいた一方で、個としての生命力に溢れる没個性な量産型ホルヘが、ぼくの名前を羨ましがったりするから面白い。

 脱線ついでに、もう一歩踏み込むと、日本は固有名称を好む文化なのかもしれないとも思う。例えば日本の伝統色は400種類以上もあって、外国人には理解し難いことを、何かで読んだことがある。ただ、もしかしたらこれは、色の可能性を奪っているのかもしれない。青の中には無限の青があるのに、名前を与えた途端にそれ以外の青が見落とされることはないだろうか。

 そう考えると、ホルヘはいくら量産されたってみんな唯一無二で、わざわざ変わった名前をつけるまでもなく、生まれた瞬間からみんなオンリーワンホルヘなんだろう。


(主体的に)生きねばならぬ

 個性について考えると、他人を見ざるを得ない。オリジナリティは突如生まれるものではない。南米で新規性のある事業を起こそうと思ったら、南米でどんな事業が展開されているかをリサーチしなければならないのと同じだ。ただ、他人を見るのは結構疲れる。だから「個性」で「個の時代」を生き抜こうとするのは楽じゃない。

 そこで脳内に浮かぶ、没個性・量産型オンリーワンホルヘがたまに口にする言葉が「Hay que vivir(アイ・ケ・ビビール)」。直訳すれば「生きねばならぬ」という意味だけれど、この言葉には独特な意味合いを感じる。(主体的に)という括弧書きが、頭に付いているような響きがある。ラテン音楽の歌詞に出てくることも多く、そういう風に聞こえるのかもしれない。チリで圧倒的な個性を放っているはずのぼくが、ホルヘズに個としての強さを感じる理由は、この言葉が纏う雰囲気の中にある気がする。

 諦めや楽観、覚悟が入り混じったような「人生ってそういうもの」という意識があって、その前提に立ってなお「(主体的に)生きねばならぬ」。少なくともぼくは、チリで出会った人たちの逞しさが、このメンタリティーから生まれたものと考えている。「個の時代」だけじゃなくどんな時代を迎えたとしても、強く生きる助けになる心得じゃなかろうか。

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